私と同様に月刊誌WiLLとHanadaを毎月欠かさず購読している有数の読書家である友人が以下の特集記事は凄いよ、と言ってきた。
その時の私は、作業中だったので、読まずにいた。
ただ、友人が田中英道氏を宮脇淳子さんのご主人である岡田英弘氏と混同していたので、それは違うよ、とだけ返答した。
昨夜、WiLLの読み残しを一気に読んでいて、その特集に到達した。
生きている内に知ることができて良かった。
私は京都に住んでいない人間の中では京都を訪れている世界一の人間だと思う。
8か月間も入院していた大病を完治した翌年の2012年には1年365日のうち300日、京都を訪れていた。
この時、最も訪れていた場所は京都府立植物園。
四季折々の花々や野鳥、蝶等の撮影に明け暮れていた。
数年前には1年のうち100日を嵐山散策、撮影していた。
渡月橋を嵐山公園の方に渡って突き当りに行くと小川が流れている。
そこに秦氏についての記述がある。
無論、その記述に田中英道氏の世紀の発見、日本国民全員必読の考察は書かれていない。
私と同様に誰もが秦氏や蘇我氏は単に渡来人とだけ認識していたはずである。
見出し以外の文中強調は私。
古代日本にユダヤ人が渡来した 田中英道東北大学名誉教授、茂木誠予備校世界史講師
ユダヤとのかかわりなしに日本史は語れないー日ユ同化論の真相に迫る
ユダヤ人埴輪という発見
田中
日本の大学の学者は、新しい歴史的事実には口を閉ざしています。
私がユダヤ人埴輪の研究を発表した際も、日本の歴史学者は戸惑うばかりで、今のところ沈黙を続けています。
古代日本列島に、ヘブライ人(=ユダヤ人)が集団で渡来した痕跡が、さまざまな形で見つかっています。
ところが、そういった研究に真正面から取り組む学者がほとんどいません。
一方、私のこの見解は2019年のテルアビブ大学の国際学会で、すぐに発表が認められ、招待されたのです。
茂木
私は常々、ユダヤ人の歴史など、動画で発信してきました。
だから、独自のユダヤ研究をされている田中先生と、『日本とユダヤの古代史&世界史』(ワニブックス)を上梓することができ、私としても大変刺激的な一冊になりました。
田中
茂木さんは成田空港のすぐそばにある千葉県芝山町で発掘された殿塚・姫塚という2つの前方後円墳、通称、「芝山古墳」から出土した「ユダヤ人埴輪」「画像参照」を見に行かれたそうですね。
茂木
ええ、初めて訪れました。大学時代に考古学を学んだので古墳には興味があり、芝山古墳から出土した埴輪自体は何度も見たことがありました。
でも、考古学者がいうように、この埴輪は“武人埴輪”であると思い込んでいた。
しかし、田中先生から「この埴輪はユダヤ人を模した人物埴輪である」と聞いてから、もう一度この埴輪を見に行くと、もう「ユダヤ人埴輪」にしか見えなくなってしまいました(笑)。
先生は、なぜこの埴輪がユダヤ人であるとお思いになったのでしょうか。
田中
ツバの付いた山の高い三角帽子をかぶり、長い髭を生やし、長袖・長ズボンを身にまとい、剣をたずさえています。
明らかに渡来系の人物であると感じました。
少なくとも日本人的な特徴はない。
そして、最大の特徴は、服装や帽子ではなく「みずら(髪型)」です。
「みずら」とは耳のところで束ねられた髪のこと。
茂木
聖徳太子の肖像画の両脇に並ぶ子供の髪型と言えばイメージしやすい。
この「みずら」には、どういった特徴があるのでしょうか。
田中
「みずら」とは、どの民族もがするわけではなく、ユダヤ人がユダヤ教徒であることを示す証として、割礼(性器の一部を切除すること)に加え、このような髪型にしています。
『旧約聖書』には、次のように書かれています。
・あなたがたの「鬢(びん)」の毛を切ってはならない。髭の両端をそこなってはならない(レビ記19章27)
・髪の毛のすみずみを剃る人々はそれ(=異教徒)である(エレミヤ記9章26)
「びん」とは、髪の毛の左右両側のもみあげの部分です。
ユダヤ人男性は、髪と髭を切らない、男性器の包皮は切り取れと、異教徒と違うことを肉体的に表現しようとしました。
ユダヤ人以外にこの「みずら」の風習のある民族を見たことがありますか?
茂木
いや、ありませんね。
あの「みずら」に似たもみあげをユダヤ人の間では「ベイオト(ヘブライ語でPAYOT)」と呼んでいます。
確かに、「ユダヤ人埴輪」の「みずら」と、ユダヤ人の「ペイオト」は、そっくりです。
田中
このような「ユダヤ人埴輪」が関東を中心に、関西や九州からも出土しています。
茂木
田中先生の功績は、みなが、「武人埴輪」だとして思考停正していたものを「ユダヤ人埴輪」だとして“再発見”したことにあると思います。
これまでの歴史家や学者が、ユダヤ人を模した埴輪であると、なぜ読み取れなかったのか。
田中
狭い専門分野しか語れない彼らが、西洋やユダヤ人の歴史について、あまりにも疎かったからではないでしょうか。
加えて、これまでの日本の歴史は中国や朝鮮半島との交わりで発展してきたという固定観念が強く、凝り固まっていた。
遠く離れた異国の民族、ユダヤ人が古代日本と関係があったことに対する疑念が拭い去れない面もあったでしょう。
この稿続く。