以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江、村上、平野等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
西太后の為の弁明
習近平は国家主席に就くとすぐ日本を罵り始めた。
北京でだけでなく英国に行っても「日本は残虐だった」と吹いて回った。
南京大虐殺の嘘も3倍に膨らませ、日清戦争についてもわざわざ記念式典を催して「日本の支那侵略の始まりの日」にした。
それは嘘が過ぎる。
支那は当時、最新鋭の戦艦2隻を備えた東洋一の大艦隊を擁して逆に日本侵略を考えていた。
対して日本は少々の巡洋艦しかなかった。
支那人は弱い相手には嵩にかかる。
ペリーを真似て艦隊を東京湾奥に乗り入れ、ダメだというのに瀬戸内海も通り抜けた。
日本人は無作法を嫌う。
かくて貧弱な日本艦隊は3倍の支那艦隊に戦いを挑み、陸戦でも雲霞の如き支那兵と戦った。
世界は日本の負けを疑わなかったが、結果は支那の無様なまでの敗北だった。
しかし習近平は敗れた支那をあたかも「犯された処女」のように装う。
ただ、みっともない負け方には言い訳が必要と思ったか、あれは「当時の満洲人王朝清の腐敗と無能のせいだ」と釈明した。
貴重な戦費を頤和園の修復に回した西太后の罪だと露骨に仄めかした。
でもこれも過ぎた虚だ。
清は大艦隊を整えたうえ、それを動かす士官の養成にもカネを惜しまなかった。
多くの支那人を英海軍大学に留学させ、軍事顧問も多数招いた。
海戦では負けるはずはなかったが、でも負けたのはなぜか。
例えば高級士官、方伯謙を見よう。
彼は英海軍大に留学し、戻って巡洋艦「済遠」の艦長に抜擢された。
初陣は日清戦争劈頭の豊島沖海戦で、日本の巡洋艦「浪速」とぶつかった。
艦長は東郷平八郎だった。
砲撃戦で「済遠」は被彈すると白旗を掲げ、艦を停めた。
公式の降伏の形だ。
東郷艦が拿捕のため接近すると方伯謙は突如魚雷を放って遁走した。
東郷は危うく躱(かわ)したが、世界はその卑劣に呆れた。
「済遠」は黄海海戦にもぬけぬけ出てきたが、激戦になると艦首を巡らせて逃げ出した。
僚艦の「広甲」もつられて遁走した。
主要艦2艦が逃げたら東洋一の大艦隊だって陣立は崩れる。
支那は惨敗した。
支那人(漢人)にいい教育を施せばまともになると米国務省のピルズベリーは考えた。
が、30年経ってそれが間違いと知った。
満洲人の西太后も思いは同じだっただろう。
彼女は敵前逃亡した方伯謙を捕え旅順で首を刎ねた。
「腐敗と無能」はむしろ支那人将兵の方だった。
しかし当の支那人は方伯謙の斬首を今も冤罪だと言い張る。
白旗で相手を油断させてなぜ悪い。
時に利がなければ再起を図る。
劉邦だってそうやったと。
いずれにせよ悪いのは西太后だとしている。
なぜ彼女をそこまで憎むのか。
だいたい支那人は昔から長城を越えてきた異民族に支配され、奴隷にされ続けた。
とくに清は厳しく差別し、満洲人との通婚も禁じ、後宮にも支那女は入れなかった。
彼らの蛮風もそのまま残ったが、西太后は日清戦争敗戦の反省から初めて漢人の改良に取り組んだ。
まず纒足を廃し、凌遅の刑もやめさせた。
さらに科挙の制も廃し、日本留学を登竜門にした。
負けた国に学ばせる。彼女の度量の大きさが分かるが、漢人にすれば自分たちの習俗や伝統をただ破壊するだけの満洲女に見えたのかもしれない。
おかげで辛亥革命後には4000万人が投票する総選挙までやったが、それもうたかた。
漢人は徐々に元の顔に戻っていった。
典型は蒋介石軍の孫殿英だ。
彼は演習を装って西太后の眠る東陵を荒らした。
棺も暴いて兵卒は屍姦し、口中にあった夜明珠も盗んだ。
それを知った蒋介石は上前を要求し、宋美齢も便乗して夜明珠を取ってスリッパの飾りにした。
漢人改良に尽くした西太后へのこれが漢人のお返しだった。
習近平も歴史を直視して西太后と日本を正当に評価してほしい。
2023/1/11, at Osaka