以下は、次章についての、序章である。
大阪の官民の叡智を集めて20年超もかけて、国鉄清算事業団が所有する大阪駅貨物駅跡地再開発、梅田北ヤード再開発の事業計画が完成した。
2010年以前の事である。
戦後の都市計画の中で、最も素晴らしいものの一つだった。
当時、規制改革、開放等の言葉が大流行りだった。
当時の政権も首相が主宰して規制改革開放会議なる組織を作っていた。
議長はオリックスの宮内だった。
北ヤードの事業計画が大阪再生の起爆剤になる事は衆目の一致するところだった。
不動産広告では禁句の用語で言えば「二度と出ない物件」と言っても過言ではないロケーション。
それが北ヤードだった。
国鉄清算事業団は、この土地に匹敵する跡地を東京・汐留にも所有していた。
ロケーションから言えば、北ヤードに比較する事は出来ないが。
東京都は、実質的には国民の財産である国鉄清算事業団所有の土地を1円でも高く売却できる為の、都市計画を迅速に行った。
事業計画が完成すると同時に、世界にオープンにした公開入札が行われた。
全ての区画が坪1億円以上で落札された、
電通は落札後本社ビルを建てた。
世界有数の不動産王だった香港の李嘉誠も落札。
上階に5つ星ホテルが入るビルを建てた。
大阪は、遅れに遅れた。(その間の経緯は既述の通り)
やっと、この事業の第一期分譲が開始された。
規制改革・開放の全く正反対に、オリックスの宮内が主導し編成された関西12社連合が殆ど無競争で落札した。
その落札価格約4000万円は、実際の相場からみれば半値八掛けの価格だった事は、歴然たる事実である。
所謂バブルの崩壊以降、東京に比して大阪の地盤沈下は甚だしかった。
東京一極集中が甚だしく進んだのも歴然たる事実である。
だから、私は、この落札事情については、異議の声もあげなかった。
落札者には施工開始時期も定められていた。
施行開始期日が近づいていた時、リーマンショックが起きた。
落札者の主体であるオリックスの株価は急落した。
ここで落札者は、売却に関しての官民の内、官側の主体だった大阪市(市長)に対して、工事開始時期の延期を申し入れた。
何故か、大阪市は速やかに了承した。
この稿続く。