以下は前章の続きである。
「強制徴用」という虚構
研究者たちは、日本の労務動員を「強制動員」としてひとまとめにして話しますが、その中で一番広く知られている動員方法は「徴用」、または、韓国人が通常使う表現の「強制徴用」というものです。
この強制徴用に対し2018年10月30日、大法院は日本の企業に、韓国人1人当たり1億ウォンの慰謝料を支払え、という判決を下しました。
しかし、この判決もやはり、明白な歴史歪曲に基づくでたらめなものです。
まず徴用は、1944年9月から長く見て1945年4月頃までの約8ヵ月間、短期間実施されました。
その後はアメリカ軍が玄界灘の制海権を握り、朝鮮人を日本に輸送できなくしました。
そのため、徴用で日本に行った朝鮮人は10万人以下だったと推定されます。
徴用は法律が規定する強制的な動員方法でした。
徴用を拒否すれば1年以下の懲役、もしくは100円以下の罰金に処せられました。
徴用以前には、1939年9月から実施された「募集」と、1942年2月から始められた「官斡旋」という方法がありました。
募集と官斡旋には、法的強制性がありませんでした。
朝鮮人が応じなければそれまでのことで、その朝鮮人を処罰することはできませんでした。
募集では、日本から来た企業の社員に朝鮮人が「私が行きます」と意思表示をし、審査を経て日本に行きました。
つまり、朝鮮人たちの「自発的な選択」に任せられていました。
官斡旋は募集とは少し違って、朝鮮総督府が行政組織を利用し、朝鮮人の日本渡航をより積極的に支援しました。
徴用が実施されたときもそれ以前と同様、多くの朝鮮人がブローカーに大金を握らせ、小さな船に命を任せ日本に密航しようと試みました。
当時の朝鮮の青年たちにとって日本は、一つの「ロマン」でした。
また、徴用が実施される以前もそうでしたが、徴用された朝鮮人の多くが、勤労条件のより良い所へ逃亡しました。日本の青年の大部分が戦場に連れ出されていたので、日本では労働力が非常に不足していました。
特に炭鉱のような鉱山において問題が深刻で、朝鮮人のうち64パーセントがそこに配置されました。
しかし、朝鮮人は大部分が農村出身で、鉱山の地下労働をとても恐れ、多くが建築現場のような所に逃げて行ったのです。
つまり、朝鮮人労務動員を全体的に見ると、基本的には自発的であり、強制的ではありませんでした。
強制連行だったとは言えません。
当時は「強制連行」とか「強制徴用」という言葉すらありませんでした。
特に強制徴用という言葉、今回大法院の判決に登場したこの言葉が、一体どのような理由で出て来たのか知っておく必要があります。
まず、強制徴用という言葉、そのような概念は、もともとあり得ないものです。
徴用自体が強制だからです。
強制徴用という言葉は、我々韓国人がたびたび使う「駅前の前」と同じです。
「駅前」に「前」の字が入っているので、後の「前」は必要ないのです。
同じく強制徴用という言葉にも「強制」という言葉は必要なく、徴用だけでよいのです。
それなのになぜ1965年以来今に至るまで、韓国の研究者、政府、言論、市民団体は強制徴用という言葉に執着し、それを使って来たのでしょうか?
徴用は戦争が終わるまでの数カ月間だけ実施されました。それを明確に認めてしまうと、反日種族主義の歴史学に困った問題が生じます。
1939年9月から1944年9月までの、より数の多い労務移動が、労務者の自発によるものになるからです。
反日感情を広く伝播させるためには、徴用実施以前にも朝鮮人が自身の意思とは関係なく強制的に連れて行かれ、労務移動の全てが日帝の強制だった、と主張する必要がありました。
つまり、徴用のような強制性を1939年まで遡って、その時期からの全ての移動は強制だったと主張したかったのが、彼らの腹の内だったのです。
こうして作られたのが「強制徴用」です。
したがって、この言葉には、単なるミスだとする言い訳では見逃すことができない、巧みな歴史的事実の誇張と歪曲が含まれています。
私は、こんなにも深刻な概念的操作を研究者という人たちがなぜ行なえたのか、どうしても理解できません。
この稿続く。
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