「直階」に始まる神職資格というものがあり、ほとんどの神社では神職になるにあたってこの資格を持っていることが求められます。
そう言うと全ての作法を修めた状態で神職になるのかと思われますが、実際には “神職になってからその神社のやり方を学ぶべし” という事で踏み込んで習わずに来るところも少なからずあります。
祝詞の読み上げ方もその一つではないでしょうか。
月次祭での祝詞奏上
私が感じる所では、祝詞の読み上げ方はその神職・神社のお考えによって幾つかに分けられるかと思います。
①微音で奏上する …周りの人には聞き取れないくらいの小さな声で奏上する方法で、神様以外に内容が聞こえないようにという意味があります。 読み終えた祝詞は人の目に付かないようにお祭りの後お焚き上げするという作法もあったようなので、祝詞奏上の古い型を残したものなのかもしれません。
②節をつけて奏上する …一様ではないのですが、例えるなら和歌の読み上げをする時の様に音階や調子をつけて奏上する方法です。 神様に言葉をお供えするものとして、装飾する意味で行われるものと思います。
③淡々と奏上する …節を付けるのとは逆に、音を平らかに奏上する方法です。 ②と比べこちらは作為のない素直な言葉を申し上げるという意味があります。
④大きく奏上する …大声でというと語弊がありますが、他の人に聞こえるように奏上する方法です。 ①と逆に、祝詞は参列者を代表して読み上げるものであるから皆に聞こえるようにという意味があります。
私の浅い見聞で語るのもお恥ずかしい事で、勿論どれが正しいというものでもなくこれが全てでもないのですが、それぞれ意味があってのものと伝われば幸いです。 祝詞を聞く機会があれば気にしてみてはいかがでしょうか。