宮沢賢治の作品に見る法華経の影響
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宮沢賢治の作品に見る法華経の影響*
サニナ・ヴィクトリヤ (学籍番号 200921751)
研究指導教員: 黒古一夫
副研究指導教員: 武者小路澄子
1. はじめに
日本で有名な詩人・童話作家である宮沢賢治(1896-1933) は、 岩手県花巻に生まれ、幼いころから仏教(浄土真宗) の信仰に厚い家で育てられた。 しかし、 青年時代に賢治は法華経に惹かれ、
『南無妙法蓮華経』 の経典が彼の座右の書になる。生前の賢治は、 詩人・童話作家だけではなく、 農業技術者 (科学者)、 仏教者(法華経信者)として盛んに活動した。 そして、 賢治の活動の基底を支える法華経の教え (思想)、 特に宮沢賢治の文学に現れた法華経の影響に興味を持った。 つまり、賢治の根本思想に法華経の考え方があり、 それが彼の童話作品や詩に強く反映されて、彼の文学世界を形成しているところに興味を持ったということである。
賢治の童話 詩に触れているうちに、彼の「宗教心」 (仏教だけではなくキリスト教などにも通じる) に関わる 「自己犠牲」 や 「衆生済度」、 「まことの幸福」、「不殺生戒」 などの思想が、彼の作品に反映されていることに気づいたのである。 そして、 法華経思想の影響を受けた賢治の文学に現れた 「死後の世界」、 「宇宙のエネルギー」、 生き物に対する 「大慈悲の心」などをどう読み取るか、 が重要だと思ったのである。
2. 序章 宮沢賢治の文学とその宗教観
賢治は、法華経の教えに従って、 自分の創作と生涯を通して「エゴイズムを否定する」という考えに至っていた。
賢治の文学作品には、 法華経に関わる言葉やメタファ的な表現、 オノマトペ(擬声語・擬態語) などよく使用されており、 作品の登場人物が特に自然の擬人化 (神様としての岩手山、 風の神様としての又三郎など)という形で記述されていることがある。
つまり、賢治はそのような形で法華経 (仏教) に説かれている自然との調和を考えていたということである。
3. 第一章 浄土真宗から法華経へ
賢治は、子供の頃から浄土真宗の雰囲気に囲まれ育ったが、しかし、18歳頃に初めて島地大等編『漢和対照妙法蓮華経』 (1914年)を読み、感銘を受け、それがきっかけで法華経へ帰依することになった。 そして彼は、 浄土真宗が自分の一人の救いや死後の 「極楽浄土」 での救いを説く教えであるのに対して、 法華経が自分より他人 (衆生) の救い、「あの世」 より 「この世」で「仏国土」の世界を実現すべきであるという教えであることを知り、1920年10月には日蓮宗の宗教団体 「国柱会」に入会する。
そこで賢治は、 高知尾智耀に 「法華文学」の創作を勧められ、法華経の教えを基にした創作や活動などを進んで行うようになった。
4. 第二章「自己犠牲」 と 「衆生済度」
賢治の七つの童話『よだかの星』 (1921年)、 『蜘蛛となめくじと狸』 (1918年)、『オツベルと象』 (1926年)、『グスコーブドリの伝記』 (1932年)、 『銀河鉄道の夜』 (1924年)、 『双子の星』 (1918年)、 と『カイ□団長』 (生前未発表) を取り上げ、 作品の分析を行った。 そして、これらの作品には法華経の 「法華七喩」の中で最も有名な「三車火宅」に現れている「衆生済度」 思想を見出すことができ、 生き物に対する「大慈悲の心」も存在していた。 さらに、 法華経の薬王菩薩の行動 (仏様に供養するために自分の身を焼いて命を捧げる) に現れている 「自己犠牲」が、深く反映されていることもわかった。
5. 第三章 「まことの幸福」の達成
「まことの幸福」 の達成ということに着目し、 『ひかりの素足』 (1920年)、 『四又の百合』(1923)と『貝の火』 (1920) を取り上げ、 考察を行った。 これらの童話には、「まことの幸福」 に近づくためにどんな行動をすればいいのか、幸せになるためにどのような「道」を選べばいいのか、ということが描かれている。
ここには、仏様の「命の永遠性」と「仏様の出現」、法華経の 「如来寿量品第十六」 「死後の世界」などの精神が反映されており、悪行を行えば「罪」は必ず来るという教も記述されているとわかった。
6. 第四章 「不殺生戒」の意味
「不殺生戒」の考えを一番反映している童話は、賢治の生前には未発表であった『ビヂテリアン大祭』、 『なめとこ山の熊』 と 『フランドン農学校の豚』である。 ここには、 全ての生き物に対する 「大慈悲の心」、また同情愛情や仏教の「輪廻転生」の精神などが反映されている。 これらの童話で、「肉食」は「罪」として考えられており、 生き物を殺してはいけないという 「不殺生戒」 を守るべきという賢治のメッセージが込められている。
7. 第五章『農民芸術概論綱要』論
『農民芸術概論綱要』に現れている 「宇宙のエネルギー」、あるいは「宇宙意志」 と 「宇宙感情」をどう読み取ればいいのか、という分析を行った。 この「宇宙のエネルギー」の意味について、 簡潔に以下のようにまとめて
● 各々の人は、 「宇宙 (自然) との調和」を自分の中に感じられる。
● 各々の人は、自分の心中に宇宙との「相互「依存」・「共存」 (不可分性・心の中に深い宇宙との関連) を十分に認識する。
● 宇宙と溶け込むのような 「力」 (エネルギー)を感じることによって、 現世に生きているうちに自力で 「正しい」 (純潔な、 公正な、 誠実な、献身的な等) 行動をし、 「まことの幸福」 (最
高の幸せ)まで至ることができる。
8. 第六章 『雨ニモマケズ』論
賢治は、自分の死の二年前に書いた『雨ニモマケズ』 (1931年) の中に 「デクノボー」 思想を盛り込んでいた。 この「デクノボー」 の行動の特徴は、 法華経の「常不軽菩薩行」 のイメージと重なる、と言われている。 「常不軽菩薩」 は、 法華経の 「常不軽菩薩品第二十」 の観音様 (仏様) で、 この菩薩は他人に対して「礼拝行」を行っており、 「人間礼拝」、つまり人間、 また仏様に対する尊敬・愛情・専心の気持ちを強く持った菩薩であった。 「デクノボー」は、まさに「常不軽菩薩」そのものだったのである。
参考文献 (主なもの)
[1] 先行研究 『宮沢賢治の文学と法華経』 分銅惇作著、 水書坊出版 1993年
[2] 『宮沢賢治研究資料集成』 続橋達雄編、日本図書センター 1990~1992年
[3] 『魂の救済を求めて-文学と宗教との共振』 黒古一夫、 佼成出版 2006年
[4] 『はじめて読む法華経』 立松和平、 水書房2002年
[5] 『法華経入門』 菅野博史、 岩波新書 (新赤版)2001年
[6] A.N.Ignatovich 『Cyrpao Berke Jorocauyaechoi AxapMbI (原作『妙法蓮華経』) ロシア語翻訳 S.Peterburg 出版 1962年
[7] 『兄のトランク』 宮沢清六、 筑摩書房 1987年
[8] 『まことの世界の追求』 西田良子、 「日本児童文学」 1968年2月号
[9] 『宮沢賢治全集』 (全13巻) 筑摩書房 1968年
[10] 『宮沢賢治の手紙』 米田利昭 大修館書店1995年