2025年1月25日(土)、名古屋市 中村公園 へ行ってきました。その様子を5回にわたって紹介します。
地下鉄東山線「中村公園」駅3番出口から徒歩10分です。
今日、第2回は妙行寺です。
豊国神社鳥居です。ここを右に曲がります。
右折後、少し進みます。
下の案内図は、中村公園駅にあったものと同じです。
「信長攻略」以前にも見ました、
ここが妙行寺。
- 日蓮宗の熱心な信者であった加藤清正が、名古屋城築城の折、その余材と普請材を貰いうけて、妙行寺を清正誕生の地に移し、御先祖や御両親の菩提をとむらう為に再建したそうです。
- 熊本の本妙寺第三世日遥上人讃の加藤清正の束帯図や、加藤清正の生誕地碑があります。
「開運 清正公大霊所」の幟
妙行事山門
沿革です。
「加藤清正生誕地」の説明板です。
文字起こししてみます。
加藤清正誕生地
清正は幼名を虎之助といい、永禄五年(1562年)この地に生まれたといわれる。 天正(1573年~)のはじめ秀吉に仕え、数々の武功をたてた。とくに賤ヶ岳の七本槍は有名である。のちに肥後国(熊本県)五十四万石の領主となった。
慶長十五年(1610年)名古屋城築城の時、自分の誕生地に城の余材をもって妙行寺を再建したと伝えられる。 寺内には、秦鼎の撰文「清正旧里之碑」がある。
「加藤清正公」高藤鎮夫
加藤清正の簡単な年表
出典 https://www.bushoolife.com/katokiyomasa/
加藤清正は、家康とも関係が深くなっています。
出典 https://busho-heart.jp/kiyomasa/history/
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あらい浄行菩薩
本堂です。
加藤清正公生誕の地の碑です。
加藤清正公関係の動画です。
加藤清正|あいつが一番危険だ。徳川家康が恐れた日本軍最強と呼ばれた猛将
加藤清正の生涯 戦働きではなく事務能力で出世した神格化された男の実像【どうする家康】
【加藤清正】無双の武力で秀吉を支えた剛腕武将!朝鮮でも無双した清正の生涯を【ゆっくり解説】
中村公園に入りました。
小出秀正邸跡です。
説明です。
テレビ市政だより 天守閣を築いた小出秀政―ゆかりの地を訪ねて―
小出秀政と加藤家、木下家とはほぼ隣り。
武家と農家が混在しているのでしょうか?
明日、第3回は、常泉寺です。
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