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【ウィトゲンシュタイン①】西洋哲学史 現代哲学解説【写像理論】【分析哲学】

2021-07-26 06:10:24 | 哲学の窓

哲学チャンネルより 【ウィトゲンシュタイン①】西洋哲学史 現代哲学解説【写像理論】【分析哲学】を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=RIWlepikcYw

とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。 
 
【ソシュール】西洋哲学史 現代哲学解説【記号論】【言語構造学】 https://youtu.be/DLWIT0PmowY 幸福論|ラッセル 紹介 https://youtu.be/ZKdqvqWAsvU ※書籍 ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考 シリーズ世界の思想 (角川選書) https://amzn.to/35ZEPHS
 
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ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは1889年に オーストリア・ハンガリー帝国のウィーンに生まれます。 4歳まで全く言葉が喋れず、その後も重度の吃音症に悩まされていたそうです。 そんなこともあって、14歳までは学校にいかず、自宅で教育を受けていました。 本格的に哲学にのめり込む前に精読した哲学書は姉から勧められた ショーペンハウアーの【意志と表象としての世界】のみだったと言います。 1912年にケンブリッジ大学にてバートランド・ラッセルに哲学を学び、 1922年に【論理哲学論考】(以下論考と略称)を発表すると 『哲学の問題は全て解決された』と判断し、哲学の世界から離れます。 その後、小学校の教員になりますが、虐待の疑いをかけられて退職。 ケンブリッジ大学に戻り、哲学の研究を再開します。 大学で職に就くための学位を持っていなかったウィトゲンシュタインでしたが 師であるラッセルの強い勧めもあって【論考】を博士論文として提出し それが受理されて教職につくこととなります。 【論考】を提出した際、それを審査する立場のラッセルの肩を叩き 「心配しなくて良い、あなた方が理解できないことはわかっている」 と言い放ったエピソードが個人的には大好きです。 論考の序文のフレーズはあまりにも有名です。 『おおよそ語りうることについては、明晰に語りうる。 そして、論じえぬものについては沈黙しなければならない』 語れるものは語れるけど、語れないものについては黙っていよう。 そんな意味だと解釈できますね。 これは一体どのような主張なのでしょうか。 ウィトゲンシュタインは、 『世界(そのもの)は人間が理解できる意味を備えていない』 と考えました。 そのため、世界を理解するためには、人間が理解できるフレームを 与えてやらないといけない。 では、そのフレームとは何か? それが【言語】です。 つまり彼は、世界を理解するためには言語を理解することが必要で、 それまでの哲学はこの言語の扱い方を間違えていた。 言語を分析することで、思考=言語の限界を明確にする必要がある。 そう考えたのです。 【写像理論】という考え方があります。 前提として世界は事実の集まりだとします。 これは納得できますよね。 いろいろな事実が個別に存在していて、それを全部足し合わせると世界になる。 そして、これらの事実にはそれに対応した【科学的言語】が存在します。 山が綺麗に色づいている トロッコが線路の上を走っている 事実には必ずそれに対応した言語が一対一のセットになっています。 (なぜ一対一かを問うと沼に入り込むので割愛します) 言い換えると、事実とそれに対応した言語の間には 『確実に確かめられる』関係が成り立っているのです。 事実の総体が世界であり、その事実全てに対応しているのが言語であり、 事実と言語間の関係を全て確かめられるのであれば、 言語の全てを分析すれば、世界の全てが理解できる。 と考えても問題なさそうです。 このようにしてウィトゲンシュタインは人間が世界を理解できる理由を明確に説明しました。 その上で、それまでの哲学には致命的な問題があると考えます。 例えば『神は善である』という命題があったとします。 これを写像理論に当てはめて考えてみましょう。 事実を理解するためにはそれに対応した言語を理解すれば良いのでした。 でも『神』や『善』という言葉の定義は定まっていません。 そのため、神が厳密に何を指しているのか、 善が厳密に何を表しているのかが非常に曖昧です。 定義が定まっていない言語を利用して、事実を言語化することはできません。 もっと簡単に言えば、『事実を確かめられない文章』は そもそも言語の誤用だと言うのです。 このことから、それまでの哲学は、言語の誤用で成り立っていると主張しました。 これらを踏まえた上で、 哲学がやるべきことは言語化できない事実についての探究ではなくて、 言葉にできることとできないことの境界線を確定させることだ。と考えたのです。 事実とセットで存在する言葉に関しては分析を通してその意味を理解することができます。 一方で事実が確認できない言葉に関しては、どう頑張ってもその意味を理解することができません。 これらのことをギュッとまとめたのが 『おおよそ語りうることについては、明晰に語りうる。 そして、論じえぬものについては沈黙しなければならない』 というフレーズです。 ウィトゲンシュタインはこのようにして人間が理解できる範囲を明確に提示しました。 そして、境界線の整理は終わったから、あとはその内側を分析するだけだよね。 ってことでよろしく。と哲学の世界から離れていくのでした。 前期ウィトゲンシュタインと呼ばれるこの哲学は、 後にアメリカの哲学界に引き継がれ、 論理実証主義のカルナップなどに大きな影響を与えます。 次回は後期ウィトゲンシュタインについて 今回同様、表面的な部分だけを解説させていただきます。
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