日本史事典.comより【中先代の乱とは】簡単にわかりやすく解説!!なぜ起こった?背景や経過・結果などを紹介します。
目次です。
- 1 中先代の乱とは?
- 2 鎌倉幕府滅亡後の混乱
- ①建武の新政
- ②後醍醐天皇と護良親王と足利尊氏
- 3 中先代の乱の勃発
- ①乱のきっかけ
- ②北条時行の支持
- ③鎌倉の奪還
- ④護良親王の最期
- ⑤尊氏の参戦
- 4 中先代の乱の影響
- ①後醍醐天皇と足利尊氏
- ②新たなる動乱へ
- 5 中先代の乱の語呂合わせ
- 6 まとめ
鎌倉軍が全滅して滅びた元弘3/正慶2年(1333年)から、足利尊氏が征夷大将軍に任ぜられた暦応元年(1338年)までにも、いろいろなことがありました。
時代が動くとはこういうことです。
1335年7月に起こった中先代の乱もその一つ。一時的に鎌倉幕府を復活しようという動きがありましたが鎮圧されました。
このほかにも、後醍醐天皇の周辺で、いろいろな動きがあったのです。
歴史は人と人との関係がつくっていくのです。
ここもわかりやすい! まなれきドットコムより
中先代の乱とは?簡単にわかりやすく紹介!【なぜ北条時行は乱を起こしたのか】
まとめを見てみましょう。
✔ 中先代の乱は北条高時の遺児時行が幕府再興の為に起こした乱のこと。
✔ 鎌倉幕府滅亡後の「建武の新政」は公家中心で武家の支持は得られなかった。
✔ 新政に対する武士の不満が足利家へ集まることで足利家は危険視されていった。
✔ 乱の混乱に乗じて倒幕の功労者であった護良親王が殺害されてしまった。
✔ 中先代の乱後の後醍醐天皇と足利尊氏の対立がその後の南北朝動乱につながった。
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