台風関連か
朝日新聞
・ イラクの流血 中東の混迷が深刻だ
読売新聞
・ 公立病院再編 地域の実情踏まえ検討を急げ
・ 日産新体制 若返りテコに業績立て直しを
毎日新聞
・ 神戸市で教員いじめ 信じがたい劣化を憂える
・ 2年ぶりノーベル文学賞 世界を意識し権威回復を
日本経済新聞
・ 貿易戦争の終結には程遠い米中の合意
・ 野党が政権をめざすならば
産経新聞
・ 愛媛の誤認逮捕 警察にあるまじき失態だ10.13 05:00
・ 外資の出資規制 安全保障上の対応徹底を
中日新聞
・ 歴史的な抱擁は教える 週のはじめに考える
※ 台風は明日の社説ですね。
中日です。
病床の元インドネシア大統領(九月死去)と、同国の支配から独立した東ティモールの元大統領が交わした歴史的な抱擁について、語りたいと思います。
七月、闘病中のハビビ元インドネシア大統領=当時(83)=を見舞ったグスマン元東ティモール大統領(73)が、何かささやきながら額にキスし、胸に頭を埋めました。ハビビ氏もグスマン氏の手を取り、口がかすかに動いていたように見えます。敵対してきた両国の元指導者の心が一つになったような光景でした=写真(左)。
死の50日前、病室で
グスマン氏に同行し、ビデオの撮影に携わった東ティモールのカルロス駐インドネシア大使に許可をいただき、画像を掲載します。大使は「二人の偉大な指導者は、この抱擁で人間性と慈悲の心、謙虚さ、そして友愛のあるべき姿を示してくれました」と振り返ります。
ハビビ氏は約五十日後、世を去りました。
両国は、とても指導者同士が抱擁できるような関係ではありませんでした。ポルトガルの植民地だった東ティモールは、スハルト独裁政権下のインドネシアに一九七六年、武力で併合されました。放火、殺害、レイプ…。独立運動は徹底的に弾圧され、四半世紀で餓死を含め二十万人が死亡したといわれます。
その改善の糸口を示したのがハビビ氏でした。スハルト政権が瓦解(がかい)した九八年、副大統領から後継大統領に就いたハビビ氏は、半年余で東ティモール独立に道筋を付ける住民投票実施を決断します。
弾圧から解放への転換
ずっと抑圧してきたのになぜ方向変換を? 諸説あります。「国軍が住民投票しても独立派は少数と読んでいたため」「独立派司教らがノーベル平和賞を受けて国際圧力が高まったため」などです。そして「これ以上、強権的に支配してはならない」という人道的な動機があったかもしれません。
住民投票は翌九九年に行われました。国軍の見通しは外れ、独立派が78・5%を得て圧勝。三年後、東ティモールは二十一世紀最初の独立国としてよちよち歩きを始め、現在に至っています。
世界には、報道されないとわからない事実ばかりです。
報道の大切さを痛感します。
朝日新聞
・ イラクの流血 中東の混迷が深刻だ
読売新聞
・ 公立病院再編 地域の実情踏まえ検討を急げ
・ 日産新体制 若返りテコに業績立て直しを
毎日新聞
・ 神戸市で教員いじめ 信じがたい劣化を憂える
・ 2年ぶりノーベル文学賞 世界を意識し権威回復を
日本経済新聞
・ 貿易戦争の終結には程遠い米中の合意
・ 野党が政権をめざすならば
産経新聞
・ 愛媛の誤認逮捕 警察にあるまじき失態だ10.13 05:00
・ 外資の出資規制 安全保障上の対応徹底を
中日新聞
・ 歴史的な抱擁は教える 週のはじめに考える
※ 台風は明日の社説ですね。
中日です。
病床の元インドネシア大統領(九月死去)と、同国の支配から独立した東ティモールの元大統領が交わした歴史的な抱擁について、語りたいと思います。
七月、闘病中のハビビ元インドネシア大統領=当時(83)=を見舞ったグスマン元東ティモール大統領(73)が、何かささやきながら額にキスし、胸に頭を埋めました。ハビビ氏もグスマン氏の手を取り、口がかすかに動いていたように見えます。敵対してきた両国の元指導者の心が一つになったような光景でした=写真(左)。
死の50日前、病室で
グスマン氏に同行し、ビデオの撮影に携わった東ティモールのカルロス駐インドネシア大使に許可をいただき、画像を掲載します。大使は「二人の偉大な指導者は、この抱擁で人間性と慈悲の心、謙虚さ、そして友愛のあるべき姿を示してくれました」と振り返ります。
ハビビ氏は約五十日後、世を去りました。
両国は、とても指導者同士が抱擁できるような関係ではありませんでした。ポルトガルの植民地だった東ティモールは、スハルト独裁政権下のインドネシアに一九七六年、武力で併合されました。放火、殺害、レイプ…。独立運動は徹底的に弾圧され、四半世紀で餓死を含め二十万人が死亡したといわれます。
その改善の糸口を示したのがハビビ氏でした。スハルト政権が瓦解(がかい)した九八年、副大統領から後継大統領に就いたハビビ氏は、半年余で東ティモール独立に道筋を付ける住民投票実施を決断します。
弾圧から解放への転換
ずっと抑圧してきたのになぜ方向変換を? 諸説あります。「国軍が住民投票しても独立派は少数と読んでいたため」「独立派司教らがノーベル平和賞を受けて国際圧力が高まったため」などです。そして「これ以上、強権的に支配してはならない」という人道的な動機があったかもしれません。
住民投票は翌九九年に行われました。国軍の見通しは外れ、独立派が78・5%を得て圧勝。三年後、東ティモールは二十一世紀最初の独立国としてよちよち歩きを始め、現在に至っています。
世界には、報道されないとわからない事実ばかりです。
報道の大切さを痛感します。