2025年2月9日(日)、愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC) 「美濃路・稲葉宿」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、7回にわたって紹介しています。今日はその最終回。
今回訪問したところです。
稲葉宿Ⅱ
まずは動画をご覧ください。全体像がつかめます。
萩原宿(美濃路)
前回の最後に紹介したバス停の前が、山田 文七(やまだ ぶんしち)家
山田文七家は美濃路の稲葉宿の名跡です。
他にも、山田市三郎家、山田藤吉家があり、明治時代から昭和時代まで当主は代々名跡を襲名しました。
後で紹介する萩原騒動で農民の標的になった、大地主である山田市三郎家。
江戸時代の山田市三郎家は尾張藩の為替御用達(大名貸)を勤めていました。
ここまでが山田市三郎家?! でかい!
藤市酒造株式会社 - 1872年(明治5年)創業。代表銘柄は「瑞豊」。木曽川の伏流水を用いた酒造りを行っています。
旧中部電力稲沢営業所
本町通りの北側にある、鉄筋コンクリート造3階建ての近代建築です。1912年(明治45年)に設立された稲沢電灯株式会社の本社として、1936年(昭和11年)に建てられました。1939年(昭和14年)には稲沢電灯が東邦電力株式会社に吸収されて東邦電力稲沢営業所となり、その後の吸収合併によって中部電力稲沢営業所となりました。1984年(昭和59年)には稲沢市が中部電力から購入し、1985年(昭和60年)から2017年(平成29年)まで稲沢市民俗資料収蔵庫として使用されました。(Wikipediaより)
第7代山田市三郎(山田祐一、1876年~1950年)もやはり実業家として名を残した[5]。1912年(明治45年)には稲沢電気株式会社(後の稲沢電灯株式会社)を設立し、明治末期以後には耕地整理組合の活動などで農業振興に寄与した。その後も当主は中京銀行頭取などを務めている。
旧稲葉郵便局
本町通りの南側にある、鉄筋コンクリート造2階建ての洋風建築。第6代山田市三郎(山田深三郎、1850年~1927年)が1874年(明治7年)に稲葉郵便局を開設しました。1959年(昭和34年)まで稲葉郵便局(稲沢郵便局)として使用された。
第6代山田市三郎は、1900年(明治33年)に稲沢銀行を創立して頭取に就任しました。国鉄東海道線稲沢駅の誘致にも尽力し、1904年(明治37年)の開業後には稲沢駅周辺の発展にも寄与した。
石碑が見えます。
稲葉宿には、3箇所問屋場が置かれ、美濃路沿いの宿場の中では最も多かったそうです。西・中・東とあり、中問屋場跡としてここに写っている建物前に碑があります。
3か所の問屋場のうち、小沢村の東問屋場を原家、 稲葉村東町のここ中問屋場を伊東家 、稲葉村西町の西問屋場を両家が交代でつとめました。 1問屋場2日交代でした。
ところで、問屋場とは?
画像引用 https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index2/a0212.htm
寶光寺
津島道道標
宿場内にあった道標です。道標には、「右つしま道 三里」と刻まれています。
ここから南方面へ津島道として分岐していたようです。
「山彦本店」の看板が・・・
愛知県を中心に10店舗展開中のスーパーで、代表は山田さん。
山田家の子孫でしょうか?
やまひこ本社です。
稲葉の住所です。
愛知文教女子短期大学のテニスコート。
愛知文教女子短期大学
愛知啓成高等学校
金華山 禅源寺
木造阿弥陀如来坐像
仏像シリーズ14 禅源寺の木造阿弥陀如来坐像
稲葉騒動では、この鐘の音で農民が一斉に蜂起しました。
稲葉騒動(いなばそうどう)とは、1869年(明治2年)12月20日夜から12月24日にかけて、尾張国西部一帯(稲沢・一宮・津島の133村)で起こった農民一揆です。発端がこの稲葉宿であったことから稲葉騒動と呼ばれました。
詳しくは、Wikipediaから紹介します。
尾張国では尾張藩が統治する藩政期には大規模な百姓一揆がなかったが、幕末期には農村部の困窮は著しかった。1869年(明治2年)は凶作だったことで、農民は役人に救米を要求したが拒否された。
これらの理由により、同年12月20日夜、数千人が稲葉宿に集結して役人に強訴した。また、大地主である山田市三郎家を襲撃し、主屋、玄関、書院、長屋門、土蔵、塀などが打ち壊され、諸帳面や証文類が破られたり焼き払われた[1]。さらに周辺の村の庄屋宅を襲撃するなど、一揆は中島郡・海東郡一帯から春日井郡の一部にまで拡がり、3万5000人から4万人が参加したとされている。騒動は4日間に及んだが、農民隊を含む尾張藩兵らの銃撃を受け制圧された。尾張藩側は大砲までくりだし、百姓側に多くの死傷者が出た。しかし稲葉騒動後、尾張藩は56石余の救米給与などを行った。
「竹槍で どんと突き出す 二分五厘」で有名な地租改正反対一揆の先駆けともいわれる。
市指定文化財 勅使門
一間薬医門、桟瓦葺 主柱控柱ともに面取方柱。寄進者は稲葉宿脇本陣の吉田又吉と伝え、同人のたてた五輪卒都婆に寛永念年とあり、建物の様式からもその頃の建立であることが知られる。
主柱を唐居敷上に立て、柱上の冠木をのせ、控柱間には虹梁をかける。男梁上に板蟇股と斗、絵様肘木をのせて棟木を受ける。
軒は一軒疎垂木、破風端絵様入り、柱間の冠木下には楯、方立、蹴放を入れ、襷入り桟唐戸を吊り、上方の桟の間には透彫唐草文をいれる。扉は下は唐居敷に、上は長押下に木製藁座を打って吊り込む。
説明引用 https://www.city.inazawa.aichi.jp/0000002753.html
秋葉三尺坊大権現
宮田用水土地改良区
中央管理所は江南市・宮田にありますが、宮田用水土地改良区は、ここ稲沢市にあるのです。
親近感がよりわきました。
旧家が立ちらこちらにあります。「山田」さんが多い。
稲沢市の多い「姓」を調べてみると・・・
「山田」さんは2位でした。
出典 なまえさあち
崇福寺
臨済宗妙心寺派の寺院です。
愛知県には4,668カ寺(46カ寺は登記閉鎖等)の寺院(全国1位)がありますが、そのうち稲沢市には177カ寺(全国57位・愛知7位)の寺院があります。
出典 https://jpinf.boo.jp/Loli4Buk/Loli4BukNO23/InfoLoli4Buk0106450051801.html
神社、寺院数の全国ランキング
稲葉宿の動画です。
【美濃路の活性化★】美濃路てくてく散歩、稲沢市の稲葉宿本陣跡スタート【景観スポットあります♪】
美濃路 稲葉宿-[Network2010]
ちょっと前の古い町並 稲沢市旧稲葉宿 愛知県
ちょっと前の古い町並
稲沢市旧稲葉宿 稲沢市の旧稲葉宿は「尾張志」によると慶長5年(1600)とあるが、「地方古義」では清洲宿の設定が同7年(1602)、再整備を元和2年(1616)とするので、この前後と推定されている。 寛文末年頃(1672)頃の「寛文覚書」によれば、尾張藩領 清洲代官支配で稲葉村の家数は122軒・人数727人で、文政5年(1822)の「徇行記」によると、家数259軒・人数1,003人であった。 美濃路は東海道の宮宿から分かれて北西に向かい、名古屋宿・清須宿・稲葉宿・萩原宿・起宿・墨俣宿・大垣宿・垂井宿で中山道と合流する、約60kmの脇往還道路であったが、東海道と中山道を結ぶ街道のため、主要街道なみの通行者があったようだ。 それが為とは思わないが、明治に開通した東海道線も東京から名古屋までは東海道に沿い、名古屋からは美濃路・中山道に沿って京都に入っている。 稲葉宿は稲葉・小沢両村で宿駅業務を行う合宿で、宿内の町並みは8町21間あり、清須宿へ一里半、萩原宿へ一里半であった。 本陣は一軒で小沢村に、脇本陣も一軒で稲葉村東町にあり、旅籠は7軒あった。稲葉村は東町・中町・西町の3区に分かれていた。 享保16年(1731)に六斎市が認可され、朝鮮通信使通行には仮御茶屋をも建てられた。 今町並みには県道も国道も通っておらず、昔のままの古い町並みが残った。 切り妻造りの平入り、中2階建・2階建ての商家の建物が連なり、虫籠窓も備わった重厚な建物の町並みは落ち着いた佇まいであった。 多くの家では、一階の格子をガラス窓に、中2階の虫籠窓もガラス窓に改装されてはいるが、伝統的な商家の建物の雰囲気は十分に残っていた。 名古屋のベットタウンとして、発展著しい町であるが、旧稲葉宿の町並みは何時までも残って欲しいものと思う。
古い町並を歩く 長年の私のホームページです。 http://matinami.o.oo7.jp/mati7/top.html
駅が見えてきました。
稲沢市の観光案内です。
この日のゴール。充実したコースでした。
今回でこのシリーズは終わりです。
今回も、新しい発見をさせていただいた七種英康先生、一緒に学んだ皆さんに感謝申し上げます。
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