遠州FW -17-
令和5年12月10日、いつものメンバーで、遠州にFWに行ってきました。その様子を数回にわたってお知らせします。
諏訪原城の4回目です。
場所の確認。右上の○印です。
空から見てみましょう。
前回紹介した古図です。
復元想像図です。
解説板は充実しています。
文字起こししてみましょう。
諏訪原城は、本曲輪を扇の要にたとえ、 扇状に曲輪が広がっているため、 江戸時代には 「扇城」 と呼ばれることもあった。 二の曲輪は、 南北約315m、東西約75mの広さを誇る城内最大規模の曲輪である。 平成22年度の調査で、 二の曲輪中馬出との通路が土橋ではなく、 通路中央部が途切れ 「木橋」となることを確認した。 虎口部分では、城門(間口約 2.4m、 奥行き約.5m) の礎石 (建物の土台となる石) 4ヶ所を、 曲輪内の調査では、 外堀と平行する土塁の基底部 (幅約20m) と土を突き固めた版築が確認されている。 二の曲輪を南北に仕切る土塁は、 西側に設けられた土塁との接点で幅約1m弱の大人一人が通れる程度の開口部が検出され、 二の曲輪南北間を繋ぐ通路跡と推定される。
本曲輪に向かいます。
堀だらけ。
ここもそう。
説明がありがたい。
文字起こししてみます。
本曲輪は、 守城戦において最終拠点となる最も重要な曲輪である。 平成16年度から平成19年度にかけて実施した発掘調査で、 焼土 (焼けて赤黒くなった土) を挟んで上下二時代の遺構面 (当時生活していた平坦面)を確認した。 焼土より下の遺構面が武田氏時代のもので、上面が徳川氏時代と考えられる。 武田氏時代の遺構は、建物の柱穴 (柱を建てるための穴) を、 徳川時代の遺構は、本曲輪虎口部分で城門(間口約2.1m、 奥行き約1.5m) の礎石 (建物の土台となる石) 4ヶ所を確認した。 この虎口部分では、L字形に囲む枡形の土塁基底部を検出し、 本曲輪を囲む東側土塁の上面平坦部で、 建物の基礎 (細長く連続した布基礎) と思われる遺構を確認した。 本曲輪前面の内堀の規模は、 堀幅約20m、 深さ約10m、 堀は逆台形の形に掘られた箱堀で、 堀の底の幅は約6.75mであった。 また、 北側斜面の平坦地も堀(横堀) であることが判明した。 かわらけや鉄砲玉、炭化米や土壁の破片、 瀬戸美濃で作られた丸碗などが出土している。
本曲輪です。
ここで、春風亭昇太師匠が、クラウドファイティングで資金を集めて、樹木を切り倒しました。
その結果、次の景色が見られるようになったのです。
それが
これです。
絶景でした!
牧ノ原台地がはっきりと見えます
駿河湾も見えますね。
動画です。
【1分で続100名城紹介】No.146 諏訪原城 #お城 #静岡県
次回は最終回です。
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