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7月9日は新聞休刊日

2018-07-09 05:47:47 | 社説を読む
今日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを一部紹介します。

朝日新聞
・ 

読売新聞


毎日新聞
・ 極刑によって事件が終わったわけではない。オウム真理教の松本智津夫死刑囚らの死刑執行は後継教団の信者たちに動揺を与え、教祖を神格化する動きにつながりかねない。社会は事件をどう受けとめ、前へ踏み出せばいいのか。模索が続く

▲「オウムをやめた私たち」(岩波書店)という本がある。教団を脱会した元信者が集まる「カナリヤの会」のメンバーが赤裸々に体験を語る。地下鉄サリン事件から5年たった2000年に出版された

▲あの事件とは何だったのか。社会のこれからを考えるには、彼らの言葉に再び耳を傾けるべきだろう。オウムの魅力も過ちも知っているからだ

▲大学1年の時に入信した男性がいる。サークルに入ると先輩が就職のことを話している。その先に、結婚して家庭を持って老後を迎えるという道が見えてしまったという。「オウムにひかれる人たちって、そういうコースが幸せな道なんだって鵜呑(うの)みにしていた人たちではないと思うんです」

▲そんな「むなしさ」を抱える若者にとって、オウムは助け舟になった。オウムもまた心のすきにつけ込んだ。では、彼らの居場所が失われていいのだろうか。西条八十(さいじょう・やそ)作詞の童謡「かなりや」には、こうある。<唄を忘れたかなりやは 後ろの山に棄(す)てましょか><いえ、いえ、それはなりませぬ>

▲「唄を忘れたかなりや」は、象牙の船に乗せて月夜の海に浮かべれば、忘れた唄を思い出す。迷える若者が思い出すべき唄とは何か。彼らに聞かせる唄を探さなければ。

日本経済新聞
・連敗記録で人気を集めた競走馬のハルウララ。火をつけたのは型破りの県庁職員だった。赤字の高知競馬を救うべく望んで出向し、特定の、しかも脚の遅い馬を宣伝する奇策に出る。「本当にいいんですね」。紹介文をマスコミに送る時、広報担当は何度も念を押した。

▼そうした楽しい人々を取材で知っていたせいか、有川浩さんの小説「県庁おもてなし課」も楽しく読んだ。高知県に観光客を呼ぼうと熱血職員やユニークな県庁OBが奮闘する物語だ。高知は開発下手だった。おかげで山、森、川、海がそろって残る。高知県の価値は、この自然にこそある――。作中で指南役が力説する。

▼自然との共存。そういえばきれいに響くが、山や海が近く川も多いとは、ひとたび自然が牙をむけば、その力をまともに浴びることも意味する。近年は1998年と2014年に大雨が襲った。警察や地元紙のウェブサイトで見られる当時の様子が痛々しい。その高知を含む西日本一帯がいま記録的な豪雨に苦しんでいる。

▼広島県や愛媛県などでは、すでに何人もの命が失われた。多くの住まいが奪われ、工場や商店の被害も重なる。まだ大きくは報じられていない地域でも、さまざまな傷が広がっている可能性は高い。ハルウララ人気は全国からの支援がつくった。混乱と悲嘆の中にいる人たちに向けできることは何か。想像力を働かせたい。

産経新聞
・古来、七夕と雨は浅からぬ縁で結ばれていた。牽牛(けんぎゅう)と織り姫を詠んだ中国の古詩に「泣涕零如雨(きゅうていおちてあめのごとし)」の一節がある。一途に相手を思う織り姫が雨のような涙を流している、と。牽牛も女心を察してか、七夕前日は逢瀬(おうせ)に使う牛車を丹念に洗ったという。

 ▼7月6日あるいは七夕の雨は牛車から飛び散るしぶきとされ、「洗車雨(せんしゃう)」と呼ぶ(『雨のことば辞典』倉嶋厚、原田稔編著)。雨と涙の詩情に潤う関係は言葉も育んできた。恋にまつわる涙を「袖の雨」「袖時雨」といい、悲嘆の折に降り注ぐ雨を「涙雨」と呼ぶ。

 ▼これらの言葉を口にするとき、耳朶(じだ)を打つ土砂降りを思い浮かべる人はいまい。西日本から東日本にかけて降り続いた大雨はしかし、天の川をはさんだ慕情だけでなく、昨日までの人の営みも、家族や友人らとの分かちがたい結びつきも冷たく断ち切ってしまった。

 ▼気象レーダーの映し出す長大な雨雲の下には、氾濫した河川に漬かる街があり、土砂に埋まる家屋があった。地上とは思えぬ光景である。連絡のつかない家族らを案じ、不安を募らせる人も多いだろう。拭いきれない涙が被災地で流されたことを思うと言葉を失う。

 ▼「気象観測史上初めての…」という表現が流行語大賞の一つに選ばれたのは、平成2年だった。平成最後の夏を迎え、「異常気象」と呼ばれたものが日常となりつつある。防災も減災も、地球の異変に鈍感では成り立たないと、増え続ける犠牲者の数が教えている。

 ▼ツイッターには悲痛な声があった。「一刻も早く救助が必要です。助けてください」。泥の海に浮かぶ屋根に取り残された人々の写真も、1枚や2枚の投稿ではない。涙雨には「ほんの少し降る雨」の意味もある。言葉をも殺す空が、恨めしい。

中日新聞
・「雨禁獄(あめきんごく)」とは雨を獄に閉じ込めることで、白河法皇の故事に由来する。ひどい雨のせいで自分の行幸を何度も延期せざるを得なくなった法皇は腹を立てて、降る雨を器の中に入れ、それを監獄に置いて罰したと、源顕兼の「古事談」にある

▼獄につなぐ程度ではどうにも気が治まらぬ。ひとびとを情け容赦なく苦しめる、この大雨である。土砂崩れや水害などによる被害が西日本を中心に各地で相次いでいる。死者、行方不明者も時間が経過するにつれて増えている。心配である

▼一時、今年の梅雨明けは全国的に早いように感じていたのが、そうではなかった。人の目を欺いていたわけではなかろうが、西日本から東日本にかけて梅雨前線がしぶとく居残っていた。そこに南からの暖かく湿った空気が流れ込み、この記録的な大雨になったと聞く

▼気象庁の特別警報の表現である「数十年に一度の大雨」。「数十年に一度」のはずだが、毎年のように耳にしている気がしてならない

▼気候変動による高温化の影響だろうか。「異常」「記録的」が、もはや「普通」になりつつあることをおそれる。そして大勢の犠牲に大粒の「空知らぬ雨」も降る。空から降らぬ雨とは、涙のことである

▼恨めしいことに非常に強い台風8号が南から接近する。科学技術がいかに進歩しようとも、雨を獄につなぐことはできない。備えるしかない。

※ オウムが1件、豪雨が3件でした。

豪雨というシンプルかつ悲惨な出来事をどうまとめるか。

入りが問題です。

日経はハルウララ、産経は七夕、中日は雨禁獄。この違いがおもしろい。




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