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東北地方太平洋沖地震を海外はどう報じているか・・・2日朝-1-

2011-04-02 06:25:58 | 日本を見つめる世界の目
またまた、海外のメディアが東日本太平洋沖地震をどう報道しているかを見ましょう。

【中国】
人民日報 http://j.peopledaily.com.cn/home.html

中国大使館、被災地援助を申し出
 駐日中国大使館公式サイトによると、程永華大使が3月29日、大使館定例記者会見に臨み、3月11日に発生した東日本大震災について、日本に心からの慰問の気持ちと援助の意向を示し、次の通り話した。

 3月11日に日本を襲ったマグネチュード9.0の巨大地震とそれに続く大津波によって、多くの日本人が死傷し、重大な財産損失がもたらされた。中国は今回の災害を非常に重視し、深い同情を抱いている。胡錦濤国家主席は日本の明仁天皇に電報を送り、犠牲者慰問のため在中日本大使館を訪問した。また、全国人民代表大会の呉邦国委員長は横路孝弘衆議院議長と西岡武夫参議院議長に、国務院の温家宝総理は菅直人首相に向け、それぞれ電報を送り、犠牲者に対する深い哀悼の意を示し、日本人が一日も早く困難を克服して立ち直り、故郷を再建するよう祈っており、中国政府・国民は日本が必要とする援助を喜んで提供する気持ちだと表した。温家宝総理はまた、「両会」終了後の記者会見で、日本国民に慰問の意を示した。

 中日両国は一衣帯水の隣国であり、時期こそ違うが、ともに重大な自然災害に見舞われた経験がある。両国政府と国民は、一方が災害に見舞われた時に他方を慰問し、互いに援助の手を差し伸べることで、両国間の互助精神を体現した。中国は東日本大震災を我が事のように受け止め、中国政府や社会各界は様々な方法で日本に援助を提供し、被災地の人々による一日も早い故郷再建を支援しようとした。

 中国政府は3月12日、日本に3千万元相当の人道主義救援物資を提供することを発表、16日には日本側の要請に応じ、ガソリンとディーゼル・オイル各1万トン(計1億5千万相当)の無償緊急援助を追加した。中国政府による物資援助第1陣は3月14日夜に日本に到着し、第2陣も3月28日夜に到着した。燃料は29日に大連から日本に向け出発した。中国各級政府関連部門、友好団体、民間企業、駐日本中国大使館、在日華僑華人、中国資本企業なども積極的に支援の手を差し伸べ、被災地に金銭や物品を寄付した。中国赤十字会は3回で計2600万元を寄付した。中国三一重工は100万ドル相当のポンプ車を無償で提供した。このポンプ車は福島原子力発電所に到着、放水作業が行われている。

 震災発生後、中国国際救援隊の一行15人は3月13日から20日まで、被災した岩手県大船渡市で行方不明者の捜索救助作業にあたった。海外救援隊の中で、真っ先に被災地に駆け付け最後まで残った中国国際救援隊の仕事ぶりは、被災地の地方政府や他国の救援隊から高く評価された。



福島原発でプルトニウム漏洩 5gで全人類が死亡
プルトニウムとは人造の放射性元素で、殺傷力が極めて大きく、主に核兵器の製造に用いられる。プルトニウムは世界だ2番目に毒性の大きな物質で、人類が吸入するとガンを起こす可能性がある。専門家によると、角砂糖1個分ぐらいのわずか5gのプルトニウムが、全人類を死亡させるのに十分な量だという。

中国 3月の検索ワードランキング、トップは「日本地震」

在日中国人:震災で5人犠牲 1万5035人無事 [16:16]

福島原発周辺の地方自治体が集団で移転 [16:15]
 福島第1原子力発電所の放射線漏れの危機が日増しに深刻化するのにともない、原発所在地や周辺の地方自治体が現地の住民と共に次々と集団で移転している。日本の東北部で強い地震が発生した翌日、福島県双葉町の住民2200人以上は原発から30キロ離れた避難所に避難したが、放射線漏れが日増しに深刻になったため、双葉町町長は19日、1200人以上の住民と共に200キロ離れた埼玉県さいたま市に移動し、さいたまスーパーアリーナに一時避難した。現地政府の協力と支援の下、双葉町は最終的に県内に位置する加須市の廃校となった高校の校舎を選び、臨時の行政窓口と業務場所を設置することを決定した。さいたまスーパーアリーナや他の避難所で生活していた双葉町の避難者1360人以上が2回に分かれて同校舎に入り、新たな生活を開始する。写真は3月30日、車に乗って埼玉県の新たな避難所に移動する福島第1原子力発電所の所在地・福島県双葉町の住民。

放射線検査を受ける日本の新生児 [11:00]

日本で原発反対のデモ 警察ともみ合いに [10:59]

チャイナネットhttp://japanese.china.org.cn/

総合点80点:大地震に見る日本自衛隊の実戦的戦闘力
日本の東北地方で大地震が3月11日に発生して以来、自衛隊の主力の大半が出動し、震災救援任務にあたっている。その間の自衛隊の救援活動から基本的な戦闘力を評価すると、総合得点は80点だといえる。自衛隊はふだんめったにメディアの前に姿を見せないが、突発的な事態になると驚くような成果をあげている。

▼平和時の軍備レベルは90点:自衛隊は平和部隊ではない

冷戦以降、日本は外に平和国家の発展路線を示してきたものの、それは日本が戦争準備をしていないということではない。今回の震災救援には自衛隊のふだんの戦力、特に長期的に平和な状態での軍備レベルが反映されている。一言でいえば、自衛隊は平和部隊ではないということだ。

自衛隊の戦闘意識は高い。朝鮮戦争勃発後、日本は再び武装化の道を歩み始め、近代的戦闘力をつけ、いつでも戦争ができる準備を整えてきた。

ふだんの最も戦闘意識の細かい部分は警戒任務に反映される。現在でも日本の各基地は大敵に備えているかのように砂山を積上げ、車両が出入りするたびに全面武装した哨兵がどこから来たのか尋問し、さらに数十メートル進むと又砂袋を積上げた半円形の掩体が見えてくる。兵士らは芝生の整備の時でもヘルメットを被り、平素から戦闘に備えていることからも、どれだけ戦闘意識が高いか伺える。

兵器の装備も決められた場所に配備され、いつでも使用可能な状態にしてある。自衛隊は救援装備を各班まで用意しており、緊急時には部隊が兵器庫からすぐに生命探知機、音響探知機、ガス探知機、小型削岩機、油圧ジャッキ、背負式消火器、救助作業用誘導棒などの救援装備を取り出すことができるようになっている。

平素の訓練・演習・実践。日本のようにさまざまな自然災害が頻発する国では、自衛隊は平素からさまざまな防災訓練の実効性に重点をおき、演習の重点を未来の戦場に設定している。自衛隊の緊急ヘリコプターは各街道、各村を出入りする電子地図や飛行路線を掌握しなければならない。これらのデータは予め決められたもので、一回で成功できるよう試験飛行をすませている。

自衛隊は地方自治体が組織する緊急対応演習に参加する。演習の規模はさまざまで種類も多く、消火、救護、盗難・誘拐対策、地震対策、SARSなど何でもそろい、警察、自治体、消防隊、ボランティア、自衛隊が一堂に参加する。自衛隊は災害訓練に日頃から取り組んでいるため、災害に見舞われた際には救援任務を効率よくこなせる。例えば、災害救助のエキスパートである陸上自衛隊が使っている救援設備は平均30分で2階建ての建物での救援をすませることができる。

▼通常の緊急対応能力は90点:15%の戦闘力を失った状況でも高速機動力は高い

日本は自然災害の多い国でるため、自衛隊は災害などさまざまな突発的な事態に度々対応するうちに熟練度が増し、無意識のうちに対応能力が大幅に向上することになった。

迅速な反応。1時間での到着は、「可能かどうか」ではなく、命令だ。自衛隊の反応は迅速で、配備も、持ち場につくのもテキパキとし、1995年の阪神大震災の時の教訓が役立っている。

自衛隊は徹底的に前非を改めようと中央即応集団を発足、各連隊に24時間態勢のチームをつくり、緊急事態に対応する体制と陸海空3自衛隊の「統合運営体制」を構築し、1時間で救援現場に到着するという作戦命令を自らに課した。

高度な機動力。今回の救援活動で世界の軍隊の中でも最高水準を誇る自衛隊の高度な機動力が発揮された。

自衛隊の救援活動の追跡すると、4時間以内で海陸空の3経路から全救援部隊を出動させたことからも海陸空3自衛隊の機動力はいずれも非常に高いことがみてとれる。さらに、兵力の出動率も高い。36時間以内で10万人の部隊が被災地に集まった。日本の総兵力23万人であるから、兵力の約半数が出動したことになる。米軍でさえこれほどまでの出動率に達したことはない。第三に、自衛隊の出動率が高いのは自らの津波による被害状況が深刻だったのと、複雑な電磁環境を考慮したもので尋常ではない。

実際、今回の津波で自衛隊は大きな被害を受け、少なくとも15%の戦闘力を失ったことが統計でわかっている。自衛隊自身も震災後の復興が必要な状況にあって、半数近くの兵力を割いたのだ。こうした機動力は戦場で高い戦闘力をみせるだろう。

また、自衛隊と米軍は今回初めて大規模な合同救援活動を展開している。日本の東北方面隊司令部に「統合任務部隊」が編成され、駐日米軍との調整を担うことになった。こうして3自衛隊連合、日米連合で救援活動にあたっている。

▼非通常戦対応能力は50点

大災害を前に、日本国民は秩序ある、落ち着き払った様子を見せている一方、自衛隊は放射線漏れの処理で混乱、動揺し、即座に有効な対応ができないでいる。

また、予測を上回る災害に各部門が協力できずにいる。地震発生当日、日本の内閣は即座に災害対策本部を発足するとともに、自衛隊を直ちに被災地へ派遣したが、内閣と防衛省の間に対策面で対立があるため、防衛省は何度も救援人員を見直し、なかなか救援活動に取り掛かれなかった。

原発危機を対処する際の決断力もない。原発事故が益々深刻化する中で、内閣と東京電力、防衛省は有効な意思疎通体制を築けていない。

一方、部隊は非常時の作戦能力にと乏しい。自衛隊は原発事故の処理経験が乏しいにもかかわらず、上空からの注水作業では危険を顧みず4回の注水作業を行ったことは称賛に値するが、その後、警察がデモ隊を鎮圧するための高圧送水車で3号機に水をかけ温度を下げる時にはなかなか目標の箇所に水が届かず、自衛隊の専門レベルが疑われた。

今回の救援任務で、自衛隊は通常の、事前準備をしておいた救援活動には余裕ある対応ができるが、想定外の、予定になかった救援活動では混乱することが明らかになった。これは大規模な非常時の作戦行動を実施する能力に欠けるということだ。


外国の援助を受けるのに慣れていない「援助大国」日本
3月29日午後、「知日大使」と高く評価されている程永華駐日本中国大使が、定期記者会見の席上で日本の援助受入れ面での「わからない」ところを、繰り返して「理解しがたい」と言う言葉で表した。この表面化した問題について、日本の新華僑報の蒋豊編集長はインタビューを受けてこのように語った、「日本は『援助大国』の立場に慣れてしまっていて、どのように外国の援助を受けるべきかあまり経験がなくなっているのだ」と。

程永華大使は、「中国側が提供する予定のミネラルウォーターなどの2回目の救援物資が28日、日本に到着した後、日本側が、中国側に直接被災地に輸送するよう求めたことに対し、疑問を感じる」と述べた。2008年の四川大地震の際、中国の世界からの救援物資の受け取り状況を取り上げ、物資の輸送については受け手が手配するのが世界では一般的だと指摘。

また、程大使の説明では、3月16日中国はガソリンと軽油の無償援助をする事を宣言し、うちガソリンが一万トン、軽油が一万トン、合計人民元1億5千万元相当である。この後日本側と一連の協議を行ない、当該物資は28日正午大連港で船積を開始、29日日本に向けて出発した。ただ日本側の要求でこの燃料は愛媛県と広島県に輸送される。ここまで説明して程大使は、「私はこの事が理解できない、この二つの目的地は被災地区からかなり遠い、なぜ直接東北地方の港に運ぶ事が出来ないのか」と直言している。

この日本が援助を受ける事について生じた程大使の言及した問題について、日本の新華僑報の蒋豊編集長は、インタビューを受けて主に以下の三点の原因と分析した。

第一に、目下の与党は野党としての時間が長かったので、政権担当の経験に不足している。今回の災害は強い地震と津波、放射能物質漏れという「三難同時襲来」の状態にあり、対策の効果から見るとうまくいっているようだが、その施政経験の弱点をさらけ出しているところが少なくない。

第二としてこの種の大災難に見舞われて、表面上は日本の政界は一致団結しているように見えるが、実際は朝野のせめぎあいは依然見えないところで続いている。与党はその失策の尻尾を野党に捉まれ、後々勘定を支払う事になるのを心配している。とりわけ対外関係、対中事務処理上で相対的に慎重かつ保守的な対策の選択となる事が避けられない。

第三に、日本は地理上アジアヨーロッパ大陸プレートと太平洋プレートの交差する地点付近にあり、大小の地震は日本人には日常のものとなっている。この国の建物、飛行場、道路等の建築物は、日本社会と民衆にとり、大変強固な耐震性を持っているのである。そのため日本は自然災害の頻発する国なのだが、永年「援助大国」として慣れきっていて、どのように外国の援助を受けるべきかに就いて既に少し慣れていないところがあり、その考え方や行政の体制面でのそれ相応の準備が不足している。



大震災で日本から学んだ5つのこと
一衣帯水の隣国である日本が今回、複合的な災害に見舞われ、良い手本と悪い手本を示したことで、中国は極めていい勉強になった。次にその5点をあげる。

(1)社会の安全にかかわる重点産業すべてを民間企業に任せてはならないこと。日本で放射線漏れが深刻化した主な原因は体制に問題があるためだ。天災であると同時に「人災」でもあるといえる。東京電力は原発への長期投資が水の泡になるのを危惧して、相応の社会的責任を取りたがらず、民間企業の弱点をもろに暴露した。

(2)国民が厳しい環境でも生活していける自己救済の方法を学ばなければならないこと。日本の国民は災害に対して冷静に対応し、集団的なパニックにはならなかった。この点は称賛に値する。ただ、国民が現代化された生活スタイルに慣れきっているため、一旦ガソリンの供給ルートがストップすると、食料や水など身の回りのことが大きな問題になる。テレビ画面には、寒いのも我慢して救援を待つ被災者の姿が映っている。廃墟の中から木材を探して自ら暖を取ろうとする人はほとんどいない。これは実に不思議なことだ。日本の国民は安逸な生活に慣れきっており、震災後も政府や、現代エネルギー、生活スタイルに頼り過ぎている。この点は現代化の過程にある中国社会が十分に考えるべきことでもある。

(3)政府と地方自治体の間にいつでも意思疎通のできるルートを確保しておくこと。日本の体制の硬直化が救援がまんべんなく行き渡らない根本原因となっている。

(4)災害情報のリアルタイムな発表と防災予測設定の基準を高めることが災害対策のカギとなる。現代の通信手段を使えば迅速に被災地の人命救出情報を救援隊に知らせることができる。中国はより多くの現代通信技術を普及させ、通信技術を含むすべての建物を確保し、高いレベルの防災基準をつくらなければならない。今回の地震の教訓のひとつは、予防施設の建設が実際の津波よりも低い等級だったことだ。

(5)各地方自治体は日頃から住民の資料や電子情報の保存に注意し、被災後、迅速に人口情報を掌握し、住民を救出できるようにしておかなければならない。また、福島原発事故は日本国内および国際社会に深刻に脅威をもたらしているが、中国ですでに建設あるいは建設中の原発数十基も厳しい監督監理をしていく必要がある。



日本沈没はあり得ない①優雅と恐慌
3月中旬の扶桑は、本来桜の芽がふくらみ始めてだんだん成長していく季節なのだが、この突然の大災害の襲来は、この美しい時期を全く葬り去ってしまった。

このような大規模災害に遭って、私は人の力の小さい事、頼りにならない存在である事、「人の知恵と力は大自然に打ち勝つ」「自然を征服する」などの類の妄言には苦笑をせざるを得ないと言う事を深く感じたのだった。周知の如く、日本は世界中でいちばん危機対応の意識が高く、転ばぬ先の杖という事をよく知り、震災時の対策能力の高い国だったのだが、今はなす術もない。日本で永年生活をして日本に対して多くの思い出を持ち日本と日本文化についての少なからぬ文書を書いてきた者として、今回私は筆の力の無力を感じて「日本沈没」の警告が必ずしも杞憂に終わらぬことを自らの身をもって経験した。一衣帯水の隣国であり、同じく天災の煩雑なる中国の人間として、ここからどのような経験と教訓を学ぶべきであろうか。

日本の落ちつきある態度と恐慌状態

まず、何といっても日本人の大災害に見舞われた際のあわて騒がず、整然とした落ちついた態度について話をしなければならない。このような落ちつきのある態度について西側のメディアは「災害の中の驚嘆すべき優雅さ」と形容しているが、これは人を感動させるものであった。実際のところこの「優雅さ」には悲しみの含みがあるのだが。

地震と津波の三日後、まさに内外のニュースの報道が湧き上がるようになっていた時に、私は長い付合いのある友人の久保田澄美子さんと電話で話をした。久保田さんは年齢が八十近くで東京の大森に住んでおり、二年前に緑内障の手術をしたがうまくいかず両目が失明状態に近い。彼女の朗らかな声からは、恐れやおののきによる不安な響きは少しも感じられず、私に対し何度も感謝の意を述べたのちに、その余すところですぐに私に電話をかけなかった事を詫びていた。ここからも日本人特有の他人に迷惑をかけたくないという性格を感じ取る事ができた。

公平に言えば、日本人の落ちつきある態度も相対的なもので、日本人も人であり人類の持つ全ての心の弱さをそなえている。多重の災難(とりわけ放射性物質漏れ)によって目の前で挟み撃ちにされた時、日本人はほとんど以前のあの優雅さを保つ事はできなかった。もし第一波で向きあった災害が地震や津波の如く、たとえ人を死地に追いやると言えども瞬間的に終わりとなる散る桜の花のように日本人の生と死の美学に合致するものならば、日本人にとっては心の準備と対応策の取れるものであった。ところが第二波の災難の放射性物質漏れ事故は、恐怖の思い出がある上に、それは目で見ることができず、触る事もできず、人の命を奪う事鈍器で肉を割くが如しで、その苦しみの過程はなかなか明けぬ長い夜のようであり、日本人も冷静な態度を保つ事はできなかった。

考えてみてほしい、もし同じような事が中国人の身の上に起こったら我々はどのような反応を示すだろうか。少し前のばかげたデマ、全国に及んだ食塩の買い付け騒ぎは、理性の欠乏、物事を落ちついて考えるという安定力の不足を印象付けた。現在災難のただ中にある日本と較べると大きな差がある、と言わざるを得ないではないか。(李兆忠)
 


日本沈没はあり得ない②「肉弾勇士」が減ったが
時代は確かに変わった。今回の大地震を80年前の関東大地震と比較すると直ちにわかるのだが、日本社会は大いなる進歩を遂げており、神道や迷信は大多数の日本人にとっては既に廃棄済みの存在となっており、科学・民主・人権思想が深く人心に入っており、各個人の価値が尊重されている。この勢いは必然的に一つの結果をもたらしている、即ち無条件に国家のために奉仕献身する「肉弾勇士」や「特攻隊員」は大幅に減っているという事だ。

今回放射性物質漏れに対処している東京電力の社員や海上自衛隊隊員の態度からもその一端を窺い見る事ができる。彼らは高度の職業意識を発揮しているのだが、彼らの先輩達と較べると明らかな変化が見られる。それは理性の変化、自我意識の変化であり、海上自衛隊の隊員には放射性物質のために生命の危険にさらされる事を理由に飛行機を出動させる事を拒否した者さえいた。これは日本人の愛国心が以前より希薄になった事と示しているのだろうか。そうではない。これは日本の社会の進歩に伴って日本人の愛国心に新しい要素が注がれ、ある種の世の中で広く認められたものを備え持つに至ったという背景がある。これら全てが目下東京電力の50名の勇士が淡々として、放射性物質の輻射の脅威に向き合いつつも、その持ち場を離れないという壮挙の上に現れている。(李兆忠)



日本沈没はあり得ない③凶事に逢って吉と変える
日本は地震や火災が頻発する島国である。日本の歴史の発展と地震は密接な関係がある。1923年関東大震災が起きて、日本の統治者は国土が狭すぎる事、動き回るのに充分でない事を強烈に意識するに至り、後に日本が他を顧みることなく侵略拡張政策と軍国主義をエスカレートさせる直接的触媒の役割を担った。即ち、1943年9月から1945年1月の間、日本の軍国主義の拡張が大きな挫折をし戦争が泥沼に陥っていた際に、日本では連続して三度の大地震が発生して日本人の厭戦気分を強いものにした。またのちに日本が「無条件降伏」を宣言をして平和主義路線に転向、力を余す事なく全力で経済的物質の繁栄を追及し遂に世界第二の経済大国になる事に軽視できない作用として働いた。1995年の阪神大地震は、破壊の規模は大きかったが、バブル経済破綻後の低迷の続く日本経済に新たな活力をもたらし、日本の都市構造、市町村の建設の合理化に新たな契機をもたらした。

これらから見て取れるように、地震は日本人の、変に処して驚かず凶事に逢って吉と変えるという能力を涵養した。それは『日本沈没』の作者が書いているように『ある意味では、毎度の地震と戦争の災難を経る度に日本の面目は一新され、ここから大きな歩みで前進するのだ』。

では今回はどうか。

私は預言者ではないし、日本問題の専門家でもない。しかし以下の事は確信する:日本の今回受けた損害は史上例のないものであり、その試練も前例のないものである。元気を回復するにはかなりの時間がかかるだろう、しかし一旦放射性物質漏れの危機がコントロールされるに至れば、日本社会は迅速に正常な姿に復帰し全ての事が新たに開始される、と。

日本が沈没する事はあり得ない。(李兆忠)



米軍、福島の原発事故処理に専門部隊を派遣

福島原発の事故と人類にとっての教訓
このところ、北京のテレビでは毎日のように日本の大地震と福島原発の事故とそれへの対応について伝えられている。私は政府高官や保安院関係者、電力会社の人たちの記者会見で「もう大丈夫です。避難された方々もそろそろご自宅にお戻り下さい」という言葉が出てくることを祈るように願って映像を見ているが、どうもまだ未解決の課題が残っていってこずっているように見える。私は仕事で日本に長期滞在していた頃には、茨城、福島、宮城、岩手に何回も行っているので、毎日心を痛めている。

一部の国では原発の建設を中止するような動きも見られるが、私見ではあるが環境条件があるなら、この新エネルギーのプラス面を否定してはならないと思っている。もうだいぶ前のことだが、アメリカの有人宇宙船が解体して砕片となって散り散りに落ちていく映像を見たことがあるが、こんな悲劇があっても、人類は宇宙探査を続けている。挫折を恐れてチャレンジを止めるようでは、人類には未来はないと言える。外国の宇宙飛行士に直接接する機会があった時に、私は「未知の世界に飛び立って行くのは、怖くないですか」という愚問を投げかけたことがあるが、その人は宇宙開発のロマンを語るのみで、怖いという言葉は耳にしなかった。私は一凡人としての自分の愚問を恥じた。

中国では自国の原発の安全性に対する点検が行われており、数々の専門家がテレビで、大気の環流で飛来した福島原発のものと見られる微量の放射性物質についても、まったく心配する必要はない量だ、と明言している。このことからも、私のような一応ジャーナリストとして生きてきた人間ですら、原発のメカニズム、流出する放射性物質をどう見るかについては、まったく門外漢であることが分かった。

福島原発の件は、日本人にとっては身近に実感していることだが、千キロも離れたところで暮らしているわれわれにとっても他人事ではないと思う。この際に日本人と一緒に原発のメカニズム、事故への対応、放射性物質の実害などについておさらいしてみる必要があると思う。

避難している人たち、自宅にいて外出を控えている人たちにはたいへんなことだが、生半可な知識や風評などに振り回されないように、この際、専門家の話をじっくり聞いて深く考えることが不可欠である。

そういう意味で、福島原発の件はやがては全人類にとっての教訓となるのではないか。私の知人の間では、日本人はまじめな人が多く、とくに技術的な仕事、品質管理の面で抜きん出ており、中国人は大いに学ぶべきだという人がいる。ところが、その日本人がつくった原発で、大地震、大津波で不可抗力と言えなくもないが、こういう事態が発生し、テレビの映像で世界じゅうの人たちの知るところとなっているのだ。しかし、われわれはこれは人類全体にとっての再学習の機会と見ている。やがては福島原発の今回のハップニングは、人類にとっての教科書となり、後世の人たちにとって貴重な「資産」となるに違いない。現場で日夜奮闘している人たちを励ましたい気持ちでいっぱいだ。かさねて今回の天変地異で亡くなった人たちのご冥福を祈る。



地震発生リスクのある9つの原子力発電国
米国の原子力発電による年間発電量は7987億キロワット時 

米国は1979年にスリーマイル島原子力発電所事故が発生してから、新しい原子力発電所を建設していないが、今も世界最大の原子力発電国だ。米国の104基の原子炉の発電量は、フランスと日本の総量を上回る。米国の地震危険度マップを見ると、東日本大震災後に米国政府がカリフォルニア州の2つの原子力発電所に関心を寄せていることも納得できる。この2つの原子力発電所はいずれも活断層の近くにある。米国の地震の多い地域であるアラスカ州に原子力発電所はない

フランスの原子力発電による年間発電量は3893億キロワット時 

フランスの原子力発電量は米国の半分にも及ばないが、フランスは世界で最も原子力に頼っている国である。フランスの電力の80%が国内19カ所の原子力発電所の58基の原子炉から供給されるものだ。フランスの地震危険度は高くない。最も活発な地域でも、危険度は米国の中東部と同じ程度だ。

日本の原子力発電による年間発電量は2658億キロワット時 

現在起きている日本の福島第一原子力発電所事故は、世界で最も深刻な原子力事故の一つとされているが、福島第一原発はエネルギー不足の日本の原発の手本でもあった。原子力発電は日本の3分の1の電力需要を満たし、福島の原発事故発生前、日本は原発による発電量が総発電量に占める比率を2050年までに50%に引き上げる方針だった。日本には4つのプレートがあり、地震が発生する可能性が世界で最も高い国である。しかも、この地震危険度の高い国で1億2650万人が生活している。

ロシアの原子力発電による年間発電量は1549億キロワット時 

ロシアが原子力発電の発展に力を入れる理由は日本と異なる。この土地が広く人口が少ない国には、大量の化石資源があるが、モスクワはこれらの化石資源の輸出を増やしたい考えだ。国民が天然ガスの代わりに原子力を使用し、より多くの収入を得ることを奨励している。 

4基の小規模の原子炉を除いて、ロシアの大部分の原子力発電所は人口密集地域から近い場所にあるが、これらの地域の地震危険度は比較的低い。しかし、現在建設中の原子力発電所は、ロシアで地震危険度が最も高い地域カムチャツカ半島にある。

韓国の原子力発電による年間発電量は1404億キロワット時 

原子力発電の発展で、韓国は遅れている。スリーマイル島原子力発電所事故が発生する1年前に原子力計画をスタートさせた。日本と同様に韓国にも化石資源がなく、巨大なエネルギー需要を満たすため、原子力発電を発展させる必要がある。朝鮮半島は日本南端の北西部に位置するが、韓国の地震危険度は低い。

ドイツの原子力発電による年間発電量は1282億キロワット時

福島第一原発事故の発生後、ドイツの原子力発電所は最低3カ月の安全検査を受けることになった。ドイツの17カ所の原子力発電所は約4分の1の電力を供給しており、その将来が論争の焦点となっている。福島第一原発事故が発生したことで、ドイツは再び同国の原子力の未来を考えるようになった。

カナダの原子力発電による年間発電量は859億キロワット時 

カナダ西部はカナダで地震活動が最も活発な地域である。向こう10年でカナダは9基の新しい原子炉を建設する計画だが、この地震活動が活発な地域は建設地の候補に入っていないようだ。

ウクライナの原子力発電による年間発電量は788億キロワット時 

ウクライナを通して、原子力発電の過去と未来を見ることができる。ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所事故は、世界で最も深刻な原子力事故だ。25年経った今も原子力発電はウクライナで重要な役割を果たしており、約半分の電力が4つの地域にある15カ所の原子力発電所から供給されている。ウクライナの大部分の地域は地震危険度が低い。

イギリスの原子力発電による年間発電量は657億キロワット時 

イギリスには現在、9つの地域に19基の原子炉があり、電力の約18%を供給する。1950-60年代、イギリスは多くの原子力発電所を建設したが、稼動中の基数を超える26基が閉鎖された。イギリスは世界で唯一、第1世代の原子炉を今も運営する国である。イギリスの地震危険度は低い。





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