白坂慎太郎先生の哲学入門
第64回、 マザーテレサ 名言です。
ここから https://www.youtube.com/watch?v=snVyX-XCMbg
マザー・テレサ(1910年 -1997年)はカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者です。
「マザー」は修道女への敬称で、「テレサ」が修道名です。コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広めらました。
生前からその活動は高く評価され、1971年にはローマ法王パウロ6世から勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラト・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けました。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれています。このアメリカ名誉市民はわずか7人しかません。
2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世はテレサを列福し、福者であると宣言しました。
愛とは?
最も抽象度の高い概念です。言葉を越えています。
ウィトゲンシュタインが「語り得ないものは沈黙せねばならない」といいましたが、「愛」も語り得ないものです。
言葉は、実に当てにならないものなのです。不便な道具なのです。
体験、イメージ、感情の方が当てになります。
愛は、在り方が重要です。言葉で考えたものが、行動になり、結果になる。
マザーテレサは、愛という在り方で生きた人なのです。
マザーテレサが、どんな気持ちで言葉を言ったのか、どんな気持ちで行動したのか、それは本人しかわかりません。
が、考えることが哲学なのです。
正解ではないのですが、正解に近づこうとする試みが大切なのです。
言葉で理解できないことを、言葉から理解しようとしてみること、それが哲学なのです。
言葉1「このようで一番大きな苦しみは、誰からも必要とされず、愛されていないこと」
この言葉を発した時のテレサの心情を考えてみると・・・・
テレサは、キリスト教に対しての本当の愛についての理解が深い人です。
神は、博愛が前提です。
そうであるなら、全ての人は、必要とされているのです。
それでも、あえてテレサが「誰からも必要とされず、愛されていないこと」と言ったということは、あなたはそれに気付いていないだけ。
彼女は、教育の大切さを言いたかったのだろうと、白坂先生は解釈しました。
言葉2「身近な小さなことにおいて誠実になりなさい」
テレサは、地位とか名誉とかを考えたのではなく、目の前の人に愛を感じてもらおうとした結果、後からいろいろなものを得たのです。
身近なものに愛を。
分かる気がします。
言葉3「世界平和のために私たちは何をすればいいのですか?」
「家に帰って家族を愛してあげてください。」
これも、言葉2と同じです。
自分のことを理解してくれる人が一人でもいれば、この世から自殺がなくなるでしょう。
世界平和のためには、まずは身近な人に対して誠実にあれ。
今回は白坂先生の解釈でした。
第64回、 マザーテレサ 名言です。
ここから https://www.youtube.com/watch?v=snVyX-XCMbg
マザー・テレサ(1910年 -1997年)はカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者です。
「マザー」は修道女への敬称で、「テレサ」が修道名です。コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広めらました。
生前からその活動は高く評価され、1971年にはローマ法王パウロ6世から勲章「ヨハネ23世教皇平和賞」、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラト・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けました。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれています。このアメリカ名誉市民はわずか7人しかません。
2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世はテレサを列福し、福者であると宣言しました。
愛とは?
最も抽象度の高い概念です。言葉を越えています。
ウィトゲンシュタインが「語り得ないものは沈黙せねばならない」といいましたが、「愛」も語り得ないものです。
言葉は、実に当てにならないものなのです。不便な道具なのです。
体験、イメージ、感情の方が当てになります。
愛は、在り方が重要です。言葉で考えたものが、行動になり、結果になる。
マザーテレサは、愛という在り方で生きた人なのです。
マザーテレサが、どんな気持ちで言葉を言ったのか、どんな気持ちで行動したのか、それは本人しかわかりません。
が、考えることが哲学なのです。
正解ではないのですが、正解に近づこうとする試みが大切なのです。
言葉で理解できないことを、言葉から理解しようとしてみること、それが哲学なのです。
言葉1「このようで一番大きな苦しみは、誰からも必要とされず、愛されていないこと」
この言葉を発した時のテレサの心情を考えてみると・・・・
テレサは、キリスト教に対しての本当の愛についての理解が深い人です。
神は、博愛が前提です。
そうであるなら、全ての人は、必要とされているのです。
それでも、あえてテレサが「誰からも必要とされず、愛されていないこと」と言ったということは、あなたはそれに気付いていないだけ。
彼女は、教育の大切さを言いたかったのだろうと、白坂先生は解釈しました。
言葉2「身近な小さなことにおいて誠実になりなさい」
テレサは、地位とか名誉とかを考えたのではなく、目の前の人に愛を感じてもらおうとした結果、後からいろいろなものを得たのです。
身近なものに愛を。
分かる気がします。
言葉3「世界平和のために私たちは何をすればいいのですか?」
「家に帰って家族を愛してあげてください。」
これも、言葉2と同じです。
自分のことを理解してくれる人が一人でもいれば、この世から自殺がなくなるでしょう。
世界平和のためには、まずは身近な人に対して誠実にあれ。
今回は白坂先生の解釈でした。