《 「勉強した」とはどういうことか? 》
このシリーズの具体的な内容に入る前に、押さえておかなければいけないことがあります。
これは、教師も親も、時として陥る罠があるのです。
それは、「勉強した」とはどのような状況を指すのかということです。
学校や家庭、TVドラマの中で、「○○ちゃん、勉強した?」「うん、ノート4ページもやった。」とか、「昨日は何時間勉強した?」「4時間頑張りました。」という会話を聞くことがあります。
これは、そもそも間違いです。
「エーッ!」という悲鳴が聞こえそうですが、これらは勉強したとは言いません。
勉強とは、行為ではなく成果なのです。
「講演を聴いて勉強になった。」「(近所の八百屋さんで)勉強して○○円でどう?」これらの「勉強」は、成果であり結果であることが分かると思います。
ここで「勉強」をイメージしてみましょう。
○ → ○ ;はじめから出来るものを繰り返しても勉強したとは言いません。例えば、九九をマスターしている子が、ノートに九九を100回書いても、勉強したとは言えませんね。
× → × ;出来ないものが、やっぱり出来ない。努力は認めても、勉強したとは言いません。
○ → × ;あり得ないように思われるかもしれませんが、いわゆる芸能教科ではあることです。幅を広げるための概念崩しがこれに当たります。次の× → ○のためのステップとして位置づけることは出来ますが、勉強の前段階と考えるべきでしょう。
あるいはスポーツで,練習しすぎて故障することもあります。
× → ○;これだけが「勉強した」と言えるのです。出来なかったことが出来るようになった。わからなかったことがわかるようになった。知らないことを知った。それが「勉強した」ことになるのです。
だから、「ノートに4ページ勉強しました。」は違います。「ノートに4ページまとめたら、○○ということが勉強になりました。」「問題集をノートに4ページ解いたら、これまで出来なかったことが5つ出来るようになり勉強になりました。」という言い方が正解です。
「1時間勉強した。」も同様です。
これが「ふり返り」です。勉強の成果を確認することがふり返るということなのです。
今後の「勉強にはやり方がある」シリーズは、このことが大前提になりますので、ご承知おき下さい。
勉強したかどうかは,時間や量ではなく,成果で測るのです。
「勉強」になりましたか?