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9月14日は新聞休刊日

2015-09-14 05:12:46 | 社説を読む
今日は新聞休刊日なので、昨日のコラムを見てみましょう。

朝日新聞
・ 「ロンドンは花束となって揺れている」――。のちに語りぐさとなる書き出しで本紙特派員の記事が載ったのは、1953(昭和28)年6月3日の朝刊だった。英国のエリザベス女王の戴冠式(たいかんしき)は、華やかなトップニュースとして世界を巡った

▼父君ジョージ6世の急死とともに即位したのは前の年の2月だった。63年余が流れ、今月9日に高祖母のビクトリア女王を抜いて、在位が歴代最長になったとニュースが届いた。王室によれば、同日の午後5時半ごろ、高祖母の2万3226日と16時間23分を超えたという

▼かの国らしい律義さに感心する。といっても祝賀の行事は行わず、女王夫妻は当日も鉄道の開通式典に出席して公務をこなした。祝うことは高祖母の死を喜ぶことにつながる、との配慮からと伝え聞く

▼そういえば、114年前のビクトリア女王の葬儀を、ロンドンに留学中の夏目漱石が見ている。大変な人波の中、下宿のあるじに肩車をしてもらったと日記に残る。「柩(ひつぎ)は白に赤を以(もっ)て掩(おお)われたり」。寒い2月の土曜日のことだ

▼そのビクトリア女王の享年も、89歳の現女王はすでに超えている。ダイアナ元皇太子妃の事故死の際には、冷ややかな対応が国民の批判を招いた。寒風も吹いたが、いまや広く敬愛を集め、王室支持の世論は高値安定を保つ

▼この間の首相はチャーチルをはじめ12人を数えるそうだ。希代の大輪というべきか。日本人にも親しみの深い女王である。永(なが)く延ばしていただきたい、在位の歳月だ。

 
毎日新聞
・ 歌手の平原綾香(ひらはら・あやか)さんは、野球選手がコンダラという器具で体を鍛えていると思っていた。「巨人の星」の主題歌の一節「思い込んだら試練の道を」を、頭の中で「重いコンダラ……」と変換していたからだ

▲思い込みで有名なのは向田邦子(むこうだ・くにこ)さんの随筆「眠(ねむ)る盃(さかずき)」だ。「荒城(こうじょう)の月」の「めぐる盃 かげさして」をなぜか「眠る盃」と歌ってしまう。子供のころ、父の宴席に残っていた盃の酒が「ゆったりと重くけだるく揺れる」のを知り、「酒も盃も眠っているように見えた」と、しっとりした落ちがついている

▲童謡「赤い靴」の「異人さんに連れられて」が「いい爺(じい)さん」に聞こえたり、唱歌「ふるさと」の「兎(うさぎ)追いし」を「うさぎ美味(おい)し」と覚えていたり……。子供の柔らかな頭にメロディーと一緒に入ってくる歌詞の変換ミスは、パソコンとは違って独特の味わいがある

▲歌に限らない。児童文学作家の中川李枝子(なかがわ・りえこ)さんは「欲しがりません 勝つまでは」の戦時標語を「星が出ません 勝つまでは」と勘違いしていた(私の「戦後70年談話」)。戦争中の夜空はきっと真っ暗なイメージだったのだろう

▲こちらの歌はどうか。自民党歌「われら」(岩谷時子(いわたに・ときこ)作詞)は「われらの国に/われらは生きて/われらは創る/われらの自由」で始まる。変換ミスは起こしそうにない。でも、この党は「われらの自由」を、自分たちが好き勝手に振る舞える自由と勘違いしてはいないだろうか、と心配になる

▲一色に染まらず、誰もが自由に意見を言える国へ。歌の本旨はそこにあるはずだ。国会の最終盤が近づく。自民党議員は虚心に党歌を聴いた方がいい。

 
日本経済新聞
・ 台湾で手軽に一杯やれる店といえば「熱炒(ルーチャオ)」だ。海鮮を売り物に、しかし肉でも野菜でも何でもござれの居酒屋である。ビールは冷蔵ケースまで自分で取りにいく。ご飯も食べ放題。そんな具合だから若者に大人気だ。台北の中心部には熱炒が軒をつらねた通りもある。

▼ある店のメニューのなかで秋刀魚の3文字が目を引いた。あの、サンマだ。日本の秋の味覚とばかり思っていたのが大間違い、この南の島でも昔からなじみは深いらしい。それで調べてみれば、台湾のサンマ漁獲量は昨今ますます増えて昨年は日本を追い抜いている。大型漁船を繰り出し、公海上で大量に捕獲するそうだ。

▼もっとも料理して食べるのは一部で、大半は加工して中国に輸出しているという。その中国の船も大挙してサンマ漁に向かいはじめたと聞くから、日本が頃合いの獲物を手に入れる前に公海上でうんと先取りされることになる。そうしたなかで先日、ようやく各国が規制を話し合う北太平洋漁業委員会の初会合が開かれた。

▼まずは資源量を調べてルールづくりを検討することになったそうだが、手をこまぬいていると日本の食卓からサンマがどんどん遠ざかるに違いない。「新さんま入荷!」。いつもの飲み屋で、うまそうな貼り紙を見て塩焼きにしてもらったら850円取られた。かの熱炒の2倍である。わたのせいだけでなく苦い味がする。

 
産経新聞
・ 旧暦の2月、8月に列島を襲う風の猛威を、先人は「二八月荒れ右衛門」と恐れた。「八月」の風は今の9月に訪れる台風を指す。気象の格言にも雨風にちなむものが多い。いつ崩れるとも知れぬ空模様への備えが、人々の心を占めた証しだろう。

 ▼栃木、茨城の両県には「日光蓑(みの)に筑波笠(かさ)」の口伝があると聞く。2つの山がまとう雲の形は、近づく雨を知らせてくれる、と。ここ数日、関東から東北にかけて狂奔した雨雲は、蓑でも笠でもない。南北500キロ、東西200キロにわたった数珠つなぎの積乱雲である。

 ▼気象衛星のとらえた長大な雨雲の帯に、目を疑った方もおられよう。東日本を縦に走った線状降水帯に、学校で習い覚えた前線の面影はない。昨今は空の動きが格言を裏切ることも多く、「先人の知恵が色あせる」との嘆きを聞く。空の、地球の変化が激し過ぎる。

 ▼堤防が決壊した茨城県などでは、逃げ遅れた住民が多かった。防災意識の有無がすべてとは言い切れない。国や都道府県の管理する河川が2万以上ある中、治水万全の川はほぼないという。荒川、隅田川などを抱える首都東京も向こう岸の災禍と侮ってはなるまい。

   
中日新聞
・ 「大学へ入ったのは太宰九年であり、東京オリンピックの入場パレードに泣いたのは、太宰十七年秋ということになる」。作家の久世光彦(くぜてるひこ)さんが書いている

▼久世さんには、三つの年号があった。西暦と元号に加え<太宰暦>。太宰治と関係がある

▼太宰元年は一九四八(昭和二十三)年。その年に太宰は自殺しているが、元年としたのは久世さんが太宰作品に初めて触れた年だからである。「優しくて凶暴な太宰に蹂躙(じゅうりん)された年」。中一の久世さんをそれほどに魅了した

▼太宰六十八年は不思議とこの作家の話題が絶えぬ。太宰ファンを公言する又吉直樹さんの芥川賞受賞もあった。太宰が一時期、住んだ「碧雲(へきうん)荘」(東京都杉並区)の保存を求める声も高まっている。先週は太宰が、師でもあった佐藤春夫に宛てた芥川賞の受賞を懇願する新たな手紙が公表された

▼「芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます。御恩は忘却いたしませぬ」。和紙の手紙は四メートル超という。その長さは、いつの時代の若者のだれもが抱える抑制の利かぬ熱、焦りと苦しみの量かもしれぬ

▼受賞できなかった現実と太宰のその後を考える時、四メートル超の手紙が太宰六十八年においても胸に迫る。青年期とは野望と、それがかなわぬ痛みの連続か。痛みを分かち合う存在として太宰がいる。今年が「太宰元年」になった若者もきっといる。

※ おもしろかったですね・・・。

まずは毎日。「重いコンダラ」には笑ってしまいました。
しかし、私自身、思い違いの歌詞はいくつもありました。
有名どころでは、中島みゆき「回る 回る 4時代は 回る」
フレーズを聴くと、こうなりますよね。

ふるさとの「うさぎ美味し」は私もそう思っていました。

そんな事例をいくつも挙げた上で、自民党歌「われら」につなげるところが秀逸です。


中日も読み応えがありました。
私も、太宰に狂った頃があり、津軽にも行きました。
その当時を思い出します。


朝日のエリザベス女王も興味深く読みました。
漱石がビクトリア女王の葬儀を生で見ていたとは・・・・、初めて知りました。


コラムはおもしろい!

筆者は素晴らしい!
 

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