今朝は新聞休刊日なので、昨日のコラムを紹介しましょう。
朝日新聞
・ 「すまじきものは宮仕え」だと、勤め人なら一度は思ったことがあるだろう。職場の理不尽に怒り、ときには悔し涙を酒でぬぐう。しかし次の朝には気を取り直して、勤め先に向かってまた靴をはく
▼憤怒や涙の原因になるのは、往々にして上司だ。〈気の変(かわ)る人に仕へてつくづくとわが世がいやになりにけるかな〉の一首が石川啄木にある。啄木は朝日新聞の校正係だったから、小社の誰かのことかもしれない
▼〈上役になるときせめて寛容でありたしと今の心励ます〉川辺古一。〈みづからの地位を守るがいっぱいの人に真向(まむか)ひ疲れ果てにけり〉小野隆雄。二つは青木雨彦編著『会社万葉集』から引いた。うなずく人は多かろう。胸に淀(よど)んで、赤ちょうちんでは流しきれない鬱屈(うっくつ)もある
▼福島県警のできごとは痛ましい。警察庁から赴任した上司(45)に執拗(しつよう)に面罵(めんば)された警部(51)が自殺した。同じ課の警視(52)も後を追った。警部を守ってやれなかったとの自責からという
▼他の課員の前で「小学生みたいな文章を作ってんじゃねえ」などと浴びせられた心中はいかばかりか。警部の死に警視は号泣したそうだ。ことの重さに比べて、「パワハラ」というカタカナ語はなんとも軽い
▼かつて小欄で〈異見巧者(いけんごうしゃ)の蔵へ呼び込み〉という江戸川柳を紹介した。叱り上手は人前で恥をかかせたりしない。蔵へ呼んで人払いをして叱る、と。上司たる者の心得だろう。どんな形であれ、職場の暴言が悲劇を招く過ちが繰り返されてはいけない。
毎日新聞
・ この季節、ガーデニングに凝っている友人の日課は、毎朝、バラについたアブラムシを駆除(くじょ)すること。茎にびっしりついた小さなつぶつぶをほうっておけば花芽がしおれる。農薬を避けたいなら、指でつぶすしかない
▲敵は植物の汁をたっぷり吸っている。だから日課が終わると指が緑色に染まるらしい。それを聞いて思い出したのが「グリーンフィンガー(緑の指)」。ガーデニングの世界では「なんでもうまく育てられる園芸の能力」を示す。それは才能というより、日々の作業の積み重ねなのだろうか
▲地道な努力には敬意を表したいが、これが農業ともなれば緑の指に頼ってはいられない。代わりに期待されているのがテントウムシだ。日本全国に生息するナミテントウはアブラムシを大量に食べてくれるが、ほうっておけば飛んで行ってしまう。そこで、独立行政法人農研機構の広島県にあるセンターが開発したのが「飛ばないナミテントウ」だ
▲同県福山市の公園で集めたナミテントウの中から飛ぶ能力の低いものを選んで交配を繰り返し、さらに生物農薬として使えるよう工夫した。ねらいは化学農薬の使用削減。イチゴなどで捕食効果を確かめ、先月から販売が始まった
▲遺伝子組み換えではないので野外でも使えそうだが、今のところ用途はハウスなど施設内に限られる。露地栽培に利用した場合の効果、環境や生態系への影響はこれからの課題だ
▲実は、緑の指の人たちも普段からテントウムシの訪問を心待ちにしているらしい。とはいえ、自然派の彼らが飛ばないテントウムシを歓迎するかどうか。今後の微妙なテーマになりそうだ。
日本経済新聞
・ 自らの誤りに気づいたら、すぐ改める。まわりの状況が変わったなら、思い切った軌道修正をする。そうした意味の「君子は豹変す(ひょうへん)」は、古代中国の周代にできあがったとされる書が原典になっている。五経の筆頭に挙げられ森羅万象は移り変わるものだと説く易経だ。
▼易経には伝説上の帝王の黄帝や尭(ぎょう)、舜(しゅん)について、こう触れているくだりがある。彼らは王位に就くと、物事に変化をもたらし、人々が暮らしに飽きないようにした。しかも変化を無理なく、喜んで受け入れられるように――。性急な改革は社会に摩擦を生みやすい。それを防ぐための上に立つ者への戒めなのかもしれない。
▼現代の中国でも、急速な経済発展の裏側で起きているきしみを抑えようと、政府は懸命だ。格差拡大への不満を和らげるため、この地域では少なくともこれだけはもらえるという最低賃金を引き上げる動きが拡大。企業に、雇用の不安定な派遣労働者の割合が10%を超えてはならないとした規定も今春から設けられている。
▼労働規制の強化は外資などの企業が国外に出ていくリスクもある。当局の目が届かない「影の銀行」や地方政府の債務の膨張問題も抱え、中国経済はどこへ向かうのか。社会にあつれきを起こさない配慮をしながら、「君子豹変」のような改革で国を成長に導くことは、簡単ではなさそうだ。易経にヒントはあるだろうか。
産経新聞
・ 「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我(けが)をした」。志賀直哉の短編『城(き)の崎にて』は、惨事をさらりと流すこの書き出しがいい。主人公の「自分」は事故で負った背中の傷を癒やそうと、湯治の宿を「但馬(たじま)の城崎温泉」に求める。時は大正6(1917)年。
▼城崎は名湯の誉れ高く、日露戦争後は傷病兵を癒やす湯治場となった。一足飛びに舞台が移る小説では、距離感はつかめない。四通八達した今でも東京から5時間強、大阪から3時間弱。そこに1年で100回以上の「日帰り出張」をしたという兵庫県議が現れた。
▼政務活動費から支出された旅費は領収書なし、経路も「記憶なし」という迷答ぶりだ。報道陣の追及に耐えかねると、見ている側が鼻白むほどの身も世もない号泣である。嫌疑を晴らすはずの会見で、逆に深まった「怪」と「嫌」。
▼初代内閣安全保障室長、佐々淳行さんは自著『危機管理・記者会見のノウハウ』(文春文庫)で「涙は記者会見のタブー」と説く。小沢一郎氏や加藤紘一氏を例に挙げ、大物政治家でも会見でこぼす一粒が値打ちを下げる、と。男泣きを通り越した「涙の叫び」はどうやら日本の値打ちまで下げた。
▼会見は一場の喜劇に終わらず、ネット上で世界に広がった。海外メディアは「温泉スキャンダル」と書き立てた。もちろん名湯に罪はない。城崎は日本海にほど近い閑雅な温泉街だ。小説中の「自分」は約3週間の滞在で、自身の死生観と静かに向き合っている。
▼名湯を巻き込んだ大騒動の始末を、渦中の県議はどうつけるのか。生傷に古傷、向こう傷に後ろ傷と傷にもいろいろあるが、「すねの傷」を癒やす湯は聞いたことがない。名湯の効能は、身銭を切って確かめてもらうほかあるまい。
中日新聞
・ 七十年前の七月十八日、一通の手紙が新聞に転載された。福井に住む四十八歳の母が、陸軍に入った長男に続き、海軍の飛行機乗りに志願した息子に宛てたものという
▼<たつた三人の男の子のうち二人を空へ、そして一人を陸軍へ送つた母は誇らかな気持でいつぱいです。母はいまやつと貴男(あなた)たちをお国へ返しそして空へ送りだしたのです。いま母の願ひは一日も早く貴男が第一線へ飛び出して、あのサイパン島の憎い敵をサンザン叩(たた)いてもらひたいのです>
▼このお母さんは翌十九日の新聞を手に、どんな思いを抱いたろう。こんな見出しが躍っていたのだ。<サイパン軍民全員戦死 皇国の勝利を確信 大義に生くるを悦(よろこ)ぶ>。わが子に目指せと言った太平洋の島は既に、米軍の手に落ちていたのだ
▼米軍の攻勢で追い詰められたおよそ三千人の日本軍は七月七日に玉砕攻撃を仕掛け、壊滅した。それだけではない。島内にいたおよそ二万の民間人のうち、半数近くが死んだ。多くの母子があるいは戦闘に巻き込まれ、あるいは絶壁から身を投げ命を散らせた
▼母の手紙は<訓練の邪魔になるといけないから母は一切面会には行きませんが、必ず必ずこの温い愛情で遠くから貴男を護つています>と続いている
▼果たして三人の息子さんたちは、戦後を迎えることができたのか。お母さんは、どんな戦後を送ったのだろうか。
※ パワハラ、テントウムシ、中国経済、号泣会見、サイパン玉砕と、テーマは多彩です。
限られた文字数で読者を引きつけ、納得させる筆力には、感服します。
朝日新聞
・ 「すまじきものは宮仕え」だと、勤め人なら一度は思ったことがあるだろう。職場の理不尽に怒り、ときには悔し涙を酒でぬぐう。しかし次の朝には気を取り直して、勤め先に向かってまた靴をはく
▼憤怒や涙の原因になるのは、往々にして上司だ。〈気の変(かわ)る人に仕へてつくづくとわが世がいやになりにけるかな〉の一首が石川啄木にある。啄木は朝日新聞の校正係だったから、小社の誰かのことかもしれない
▼〈上役になるときせめて寛容でありたしと今の心励ます〉川辺古一。〈みづからの地位を守るがいっぱいの人に真向(まむか)ひ疲れ果てにけり〉小野隆雄。二つは青木雨彦編著『会社万葉集』から引いた。うなずく人は多かろう。胸に淀(よど)んで、赤ちょうちんでは流しきれない鬱屈(うっくつ)もある
▼福島県警のできごとは痛ましい。警察庁から赴任した上司(45)に執拗(しつよう)に面罵(めんば)された警部(51)が自殺した。同じ課の警視(52)も後を追った。警部を守ってやれなかったとの自責からという
▼他の課員の前で「小学生みたいな文章を作ってんじゃねえ」などと浴びせられた心中はいかばかりか。警部の死に警視は号泣したそうだ。ことの重さに比べて、「パワハラ」というカタカナ語はなんとも軽い
▼かつて小欄で〈異見巧者(いけんごうしゃ)の蔵へ呼び込み〉という江戸川柳を紹介した。叱り上手は人前で恥をかかせたりしない。蔵へ呼んで人払いをして叱る、と。上司たる者の心得だろう。どんな形であれ、職場の暴言が悲劇を招く過ちが繰り返されてはいけない。
毎日新聞
・ この季節、ガーデニングに凝っている友人の日課は、毎朝、バラについたアブラムシを駆除(くじょ)すること。茎にびっしりついた小さなつぶつぶをほうっておけば花芽がしおれる。農薬を避けたいなら、指でつぶすしかない
▲敵は植物の汁をたっぷり吸っている。だから日課が終わると指が緑色に染まるらしい。それを聞いて思い出したのが「グリーンフィンガー(緑の指)」。ガーデニングの世界では「なんでもうまく育てられる園芸の能力」を示す。それは才能というより、日々の作業の積み重ねなのだろうか
▲地道な努力には敬意を表したいが、これが農業ともなれば緑の指に頼ってはいられない。代わりに期待されているのがテントウムシだ。日本全国に生息するナミテントウはアブラムシを大量に食べてくれるが、ほうっておけば飛んで行ってしまう。そこで、独立行政法人農研機構の広島県にあるセンターが開発したのが「飛ばないナミテントウ」だ
▲同県福山市の公園で集めたナミテントウの中から飛ぶ能力の低いものを選んで交配を繰り返し、さらに生物農薬として使えるよう工夫した。ねらいは化学農薬の使用削減。イチゴなどで捕食効果を確かめ、先月から販売が始まった
▲遺伝子組み換えではないので野外でも使えそうだが、今のところ用途はハウスなど施設内に限られる。露地栽培に利用した場合の効果、環境や生態系への影響はこれからの課題だ
▲実は、緑の指の人たちも普段からテントウムシの訪問を心待ちにしているらしい。とはいえ、自然派の彼らが飛ばないテントウムシを歓迎するかどうか。今後の微妙なテーマになりそうだ。
日本経済新聞
・ 自らの誤りに気づいたら、すぐ改める。まわりの状況が変わったなら、思い切った軌道修正をする。そうした意味の「君子は豹変す(ひょうへん)」は、古代中国の周代にできあがったとされる書が原典になっている。五経の筆頭に挙げられ森羅万象は移り変わるものだと説く易経だ。
▼易経には伝説上の帝王の黄帝や尭(ぎょう)、舜(しゅん)について、こう触れているくだりがある。彼らは王位に就くと、物事に変化をもたらし、人々が暮らしに飽きないようにした。しかも変化を無理なく、喜んで受け入れられるように――。性急な改革は社会に摩擦を生みやすい。それを防ぐための上に立つ者への戒めなのかもしれない。
▼現代の中国でも、急速な経済発展の裏側で起きているきしみを抑えようと、政府は懸命だ。格差拡大への不満を和らげるため、この地域では少なくともこれだけはもらえるという最低賃金を引き上げる動きが拡大。企業に、雇用の不安定な派遣労働者の割合が10%を超えてはならないとした規定も今春から設けられている。
▼労働規制の強化は外資などの企業が国外に出ていくリスクもある。当局の目が届かない「影の銀行」や地方政府の債務の膨張問題も抱え、中国経済はどこへ向かうのか。社会にあつれきを起こさない配慮をしながら、「君子豹変」のような改革で国を成長に導くことは、簡単ではなさそうだ。易経にヒントはあるだろうか。
産経新聞
・ 「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我(けが)をした」。志賀直哉の短編『城(き)の崎にて』は、惨事をさらりと流すこの書き出しがいい。主人公の「自分」は事故で負った背中の傷を癒やそうと、湯治の宿を「但馬(たじま)の城崎温泉」に求める。時は大正6(1917)年。
▼城崎は名湯の誉れ高く、日露戦争後は傷病兵を癒やす湯治場となった。一足飛びに舞台が移る小説では、距離感はつかめない。四通八達した今でも東京から5時間強、大阪から3時間弱。そこに1年で100回以上の「日帰り出張」をしたという兵庫県議が現れた。
▼政務活動費から支出された旅費は領収書なし、経路も「記憶なし」という迷答ぶりだ。報道陣の追及に耐えかねると、見ている側が鼻白むほどの身も世もない号泣である。嫌疑を晴らすはずの会見で、逆に深まった「怪」と「嫌」。
▼初代内閣安全保障室長、佐々淳行さんは自著『危機管理・記者会見のノウハウ』(文春文庫)で「涙は記者会見のタブー」と説く。小沢一郎氏や加藤紘一氏を例に挙げ、大物政治家でも会見でこぼす一粒が値打ちを下げる、と。男泣きを通り越した「涙の叫び」はどうやら日本の値打ちまで下げた。
▼会見は一場の喜劇に終わらず、ネット上で世界に広がった。海外メディアは「温泉スキャンダル」と書き立てた。もちろん名湯に罪はない。城崎は日本海にほど近い閑雅な温泉街だ。小説中の「自分」は約3週間の滞在で、自身の死生観と静かに向き合っている。
▼名湯を巻き込んだ大騒動の始末を、渦中の県議はどうつけるのか。生傷に古傷、向こう傷に後ろ傷と傷にもいろいろあるが、「すねの傷」を癒やす湯は聞いたことがない。名湯の効能は、身銭を切って確かめてもらうほかあるまい。
中日新聞
・ 七十年前の七月十八日、一通の手紙が新聞に転載された。福井に住む四十八歳の母が、陸軍に入った長男に続き、海軍の飛行機乗りに志願した息子に宛てたものという
▼<たつた三人の男の子のうち二人を空へ、そして一人を陸軍へ送つた母は誇らかな気持でいつぱいです。母はいまやつと貴男(あなた)たちをお国へ返しそして空へ送りだしたのです。いま母の願ひは一日も早く貴男が第一線へ飛び出して、あのサイパン島の憎い敵をサンザン叩(たた)いてもらひたいのです>
▼このお母さんは翌十九日の新聞を手に、どんな思いを抱いたろう。こんな見出しが躍っていたのだ。<サイパン軍民全員戦死 皇国の勝利を確信 大義に生くるを悦(よろこ)ぶ>。わが子に目指せと言った太平洋の島は既に、米軍の手に落ちていたのだ
▼米軍の攻勢で追い詰められたおよそ三千人の日本軍は七月七日に玉砕攻撃を仕掛け、壊滅した。それだけではない。島内にいたおよそ二万の民間人のうち、半数近くが死んだ。多くの母子があるいは戦闘に巻き込まれ、あるいは絶壁から身を投げ命を散らせた
▼母の手紙は<訓練の邪魔になるといけないから母は一切面会には行きませんが、必ず必ずこの温い愛情で遠くから貴男を護つています>と続いている
▼果たして三人の息子さんたちは、戦後を迎えることができたのか。お母さんは、どんな戦後を送ったのだろうか。
※ パワハラ、テントウムシ、中国経済、号泣会見、サイパン玉砕と、テーマは多彩です。
限られた文字数で読者を引きつけ、納得させる筆力には、感服します。