2019年8月21日から27日までの7日間、中欧4カ国(チェコ、オーストリア、ハンガリー、スロバキア)へ行ってきました。
自分にとっては初めの訪問なので、社会科教師としての最初の印象を80回にわたって書き留めています。
ただ、あまりにも短期間での訪問であり、現地の人への取材もわずかなため、あくまで主観的なものです。誤解や曲解も十分あり得ますので、引用にはご注意いただくと共に、間違いはご指摘いただけると幸いです。
今回は第52回 夕食へです。
今回の特集はベルヴェデーレ宮殿。
8月24日(土)、4日目、オーストリアの首都、ウィーンにいます。
ウィーンの中心部。
夕食に向かいます。
集合場所が地図中の赤い○
見にくいので説明します。上の線が国立歌劇場。
地下を通って赤い○に向かいました。
歩行者用信号は個性的でおもしろい!
地下でクラリネットの演奏をしていました。
これが、やたら上手い!
「連れて帰りたい」と思ったくらいです。いくらか置いてきました。
地上へ出ると、
正面の建物が、赤い○のすぐ下の赤い線
ウィーン分離派会館(ゼセッション)です。
。ここは1898年にクリムトら分離派の拠点として建造されました。
ウィーンの美術館を支配した保守的なキュンストラーハウスから1897年に独自の「オーストリア造形芸術家連盟」を設立したため、自らを「分離派」と称し、クリムト、モル、レンツ、オットー・ヴァーグナー、オルブリヒらがそのメンバーとなっていました。
オットー・ヴァーグナーは前回紹介した、カールスプラッツ駅を設計した人です。
この年に、ウィーン市評議会は彼らのために建設用地を提供し、オルブリヒ(1867~1908)の設計によりこの建物が作られました。
建物建造の資金を提供したのが、実業家で篤志家のカール・ウィトゲンシュタイン Karl(1847~1913)です。
彼の家にはクリムトやブラームスも出入りしており、娘はクリムトのモデルに、後にピアニストとなったカールの子パウル(1887~1961)はブラームスの肖像画をのこしています。
もっともカールの子の中で最も有名なのが、『論理哲学論考』で知られる哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン (1889~1951)です。
有名人の名がぞろぞろ出てきます。
建物の正面には、
“DER ZEIT IHRE KUNST, DER KUNST IHRE FREIHEIT”
(時代にその芸術を 芸術にその自由を)
という理念が掲げられています。
もう一つ紹介します。
上の地図の下の赤い線がアン・デァ・ウィーン劇場です。
劇場にはルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンが一時期住んでいました。
これらは、この劇場で初演されました。
1805年 - 『交響曲第3番(英雄)』(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
1808年 - 『交響曲第5番(運命)』(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
1808年 - 『交響曲第6番(田園)』(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
劇場エントランス
外観です。向かいはナッシュマルクト
上の4枚の画像出典 https://www.wien.info/ja/music-stage-shows/opera-operetta/theater-an-der-wien
「ナッシュマルクト」は、1774年から続くウィーン最大の市場です。
生鮮品から乾物、エスニック食材、イートインも可能な食料品店や飲食店が軒を連ねます。
画像出典は https://www.travel.co.jp/guide/article/30855/
レストランへ向かいます。
この落書きをご覧ください。
ここがレストランです。
特集はベルヴェデーレ宮殿。
行ってはいませんが、ベルヴェデーレ宮殿を紹介しておきます。
国立歌劇場から南に数百メートル行くと、バロック建築の宮殿が見えてきます。Belvedereは美しい眺めの意味です。
もともとハプスブルク家に仕えたプリンツ・オイゲンが、当時の代表的な建築家であるヨーハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントに、夏の離宮として造らせたものです。
オイゲンの死後に、ハプスブルク家のマリア・テレジアに売却され、マリー・アントワネットが過ごしました。モーツアルトが御前演奏を行った場所でもあります。
今は美術館になっており、クリムトなどを見ることができます。
画像出典 https://tabijozu.com/wien-belvederepalace
それにしてもウィーンは見所が多い!
次回に続きます。次回は、 シェーンブル宮殿コンサートです。
今回は、阪急trapicsのツアー「さわやか中欧」での旅行でした。感謝の気持ちを込めて、この名前をお借りします。
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