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【天〜天和通りの快男児〜】を哲学的に紹介したい。/哲学チャンネル

2021-10-08 06:10:33 | 哲学の窓

哲学チャンネル より 【天〜天和通りの快男児〜】を哲学的に紹介したい。を紹介します。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=NGGYr7yHCnc

※書籍 天―天和通りの快男児 全18巻 完結コミックセット https://amzn.to/3dF1lJT
※関連した過去動画 【ショーペンハウアー①】西洋哲学解説【表象】【意志】 https://youtu.be/WYtA_zI5Ub0
 
動画の書き起こし版です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『天~天和通りの快男児~』は1989年から2002年の間に 近代麻雀ゴールドで連載されていた麻雀漫画です。(全18巻) 作者は福本伸行さん。 代表作はなんといっても『カイジ』ですね。 『天』には個性的な登場人物が数多く現れます。 主人公である天貴史。 破天荒な性格で、何事にも執着がなくいつも貧乏だけど 周りから常に愛される存在。 そんな天と出会った井川ひろゆき。 リアリストな大学生で天とは真逆の性格を持っています。 そして天才赤木しげる。 後にスピンオフとして『アカギ』という漫画にもなる超人気キャラです。 天才的なギャンブルの才能と、その独自の哲学思想によって 誰にもまねできない生き方を体現している存在です。 その他、数多くの魅力的なキャラクターたちが 個性をぶつけ合わせしのぎを削る戦いを描いています。 そんな中でも、特に最後の章 単行本ですと16.17.18巻は異色です かつて天才の名を欲しいままにしたアカギが 若年性アルツハイマーを患ってしまいます。 アカギは「自分を失ってしまう前に片をつけたい」と 安楽死することを選びます。 安楽死を決行する夜。生前葬という名目で過去に親交があった者ライバルだった者。 合計8名を呼び出します。 呼び出された8名はアカギに死んで欲しくないので それぞれが一対一でアカギと対話し、 彼の死を阻止するという構成で話が進みます。 そこで繰り広げられる様々な対話の中に 哲学的に考えさせられるものがたくさんちりばめられているのです。 今回はその一部を紹介したいと思います。
 
~成功を積み過ぎると窮屈になる 若くして暴力団の組長になり、大成功を収めている原田に対して アカギは「おまえはろくに生きていない」と言い放ちます。 人生において『勝つこと』は最低限必要だとしながらも 成功を積み過ぎると満足に動けなくなりむしろ自由ではなくなると言います。 成功は裸を許さない。装うことを強要してくる。 それはみすぼらしい人生であり「本当に生きていると言えるのか?」 と問いかけます。 原田はそれによって、自分が成功という呪縛に縛られていたことに気付きます。 裸足で庭を歩く。そんな普通のことも常識によって縛られている。 個人的に大好きなエピソードで、好きすぎて額にして飾っています。
 
~普通ということ 井川ひろゆきは人生に悩んでいました。 悪い人生ではないもののどこか消化不良で生きている感じがしない。 アカギはそれを見抜き、ひろゆきを諭します。 ひろゆきは惨めな生活をするリスクを負って行動するぐらいなら 『まとも』な生活を選んだ方がましではないかと言います。 アカギはそれに対し、そもそも『まとも』や『普通』という言葉は 客観的に見るとおかしい言葉だと断言します。 まともや普通は時代時代で移り変わるものであり 『正しい人生』などというものはそもそもありはしない。 その正しい人生という概念は時代時代で人々を惑わせる。 そのようなものに合わせる必要は一切ないと言い放ちます。 『熱い三流なら・・・上等よ・・・!』 は後世に残したい名言です。
 
~死について アカギは死ぬのが怖くないのか?という問いに対し 論理的に死の恐怖を分析します。 彼はある意味虚無主義的な思想を持っており、 死んで0になるならそれでよし、 死んで意識が残るなら面倒な身体から解放されるのでそれもよし。 だからどちらに転んでも問題はないと言います。 彼の才気はこのような死生観から来るものだったのかもしれません。
 
~魂について 魂はあるのか?という質問にアカギは 「まるでない。とは言い切れないのではないか?」と答えます。 これまで生命が進化してきた歴史、そこには確実に目的が存在し その目的を運ぶ何かを魂と呼ぶことが出来るかもしれない。 アカギは生命には方向性があると考えているようです。 これはまさにショーペンハウアーの思想と似通っていますね。 読み方によっては「人間は意志の表象である」とも読み取れます。 作者の福本さんはまず間違いなくショーペンハウアーを読んでいます。(断言)
 
~生命の流れと自分 なんと、漫画の中でリチャード・ドーキンスの 『利己的遺伝子論』が取り上げられます。 人間はDNAの乗り物に過ぎず、それに操られている。 アカギはこの理論に一部同意します。 それは先ほど述べた生命観とリンクするところで 生命誕生以来という長いスパンで考えた場合には 人間を乗り物に例えるのも妥当だと考えます。 しかし、スパンを短くして『人間の一生』と捉えると 話は変わるのではないかと主張します。 『人間の一生』というタイムスケールで考えると 少なくとも感覚的にはその主従が逆転します。 「DNAとやらも含めて俺の乗り物だ」 「主役はあくまでも俺、命は俺を運ぶもの」 「俺が俺を全うするために命がある」 だからこそ、その『俺』が消えてしまう命に アカギは価値を見いだせなかったのでしょう。 今回紹介した場面は天最終章のほんの一部です。 個人的に、アカギは誰よりもわがままに自分の生と向き合った存在だと感じます。 漫画のキャラだからこそ成立する存在でもあり その意味でも『天』自体が漫画というプラットフォームの特性を活かした 素晴らしい作品だと思います。 ご興味がありましたら最終章だけでも結構ですので ぜひ読んでみてください。

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