2024年4月13日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る東海の古城史跡」(2024年4~6月)「三河 安祥城と周辺史跡」へ行ってきました。
講師は七種英康先生です。その様子を、5回にわたって紹介してきました。今回は、最終回です。
今回は、⑤山崎城祉、⑥保科正直邸址、⑦富士塚 です。
⑤山崎城祉
出典 https://blog.goo.ne.jp/midorishako/e/d4a9339ae32e94cf6c34a0035e6a54aa
下の家系図から、松平信孝(三木)を探してください。7代清康の弟です。
清康は「守山崩れ」で亡くなった後、その子広忠に付いていましたが、広忠の家臣や、そのバックにいる今川義元に嫌われたため、広忠と敵対するようになり、織田に付いたのです。
そのため、岡崎城にそなえて1543年(天文12年)に築いたのが、この山崎城です。
航空写真です。
下の古図と見比べてください。
山崎神明社の北の堀の西半分が残っています。その北東の曲輪に日長神社があります。
今の神明社の数倍の敷地があったと思われます。
神明社の社誌です。
社殿のすぐ裏が土塁です。
土塁が続いています。
深い堀が見えます。
堀に下りてみました。
昭和の工事により、堀を石垣で補強してあります。
石垣は社殿の裏のみです。
1960年代には、まだ土塁がまるまる残っていました。
説明です。
さらに新しい説明です。
動画をご覧ください。
No.203_城跡巡り 山崎城址(愛知県安城市)
⑥保科正直邸址
保科正直については、まずこの動画をご覧ください。
保科正直 武田、北条、徳川と渡り歩き、生き延びた勇将
こうやって見ると、それなりに活躍した人ですね。
正法寺です。ここに保科正直の屋敷がありました。
土塀です。
短い動画です。
【保科正直邸址】(正法寺)安城市指定史跡 安城市山崎町大手82
⑦富士塚
『岡崎領主古記』(江戸時代)によると安城城付近には安城畷(安祥縄手)合戦の戦死者を弔った十三塚があったとされています。
その中で、最大のものが富士塚です。富士塚は安城城から北北西約800mにあり、天文9年(1540)6月6日の安城城落城時の合戦で戦死した者の塚とされています。
区画整理のためか、前半分が切れています。中かから何が見つかったのかが気になります。
左側の説明部分です。
短い動画です。
【富士塚】安城コロナワールドの南にある古戦場
安城市は、歴史の史跡整備にとても力を入れていると感じました。
そして、そのパンフレット類もとても充実しています。
第2回で紹介した安祥城のほか、以下の資料が簡単に手に入ります。
今回でこのシリーズもおしまいです。
今回も、新しい発見をさせていただいた七種英康先生、アシスタントの則竹さん、そして一緒に学ぶ皆さんに感謝申し上げます。
安祥城周辺-1- -第2回- -第3回- -第4回- -第5回-
このブログでの他のシリーズは・・・
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