遠州FW -8-
令和5年12月3日、いつものメンバーで、遠州にFWに行ってきました。その様子を数回にわたってお知らせします。
今回から、いよいよ高天神城です。
まずは場所の確認。
基本情報です。
〒437-1435 静岡県掛川市上土方嶺向3136
「高天神を制するものは遠江を制す」と言われた高天神城。
そのHPは大変良質です。
このサイトも参考にしながら、写真を見ながら見学しましょう。
現地の案内板です。
上部の現在地から登ります。
搦手門の案合板です。
通常、搦手門は、大手門の反対側、すなわち「玄関:勝手口」=「大手門:搦手門」です。
敵は、少数の場合、守りの弱い搦手門から攻める場合が多く、ガイドさんは、「敵を搦め捕る門」と説明されました。
案内板の内容です。
高天神城は、掛川市の中央に位置する小笠山から南東に張り出した、 標高 132mの鶴翁山(かくおうざん)に築かれた山城です。 戦国時代には、遠江(とおとうみ)の覇権をかけて甲斐の武田氏と三河の徳川氏による激しい争奪戦が繰り広げられ、「高天神を制するものは遠江を制す」と
高天神城の構造は、 中央に位置する井戸曲輪を挟んで東峰(本丸、御前曲輪、 的場曲輪、三の丸)と西峰(西の丸、二の丸、 堂の尾曲輪、 井楼曲輪) に分けられ、それぞれ独立した曲輪群で構成されています。この東西の峰は、単独でも城として機能するつくり
となっており、俗に「一城別郭」(いちじょうべっかく) と言われています。
高天神城では、南側の入り口を「追手」 (おうて)北側の入り口を 「搦手」(からめて) と呼んでおり、追手が表の入り口、
搦手に裏の入り口があったと考えられます。 搦手門の詳細な位置や規模は不明ですが、江戸時代に描かれた絵図から、現在とほぼ同じ位置に搦手から井戸曲輪へつながる道があったことが分かっています。
矢印のように進んでいきましょう。
ここからスタートです。
画像は、バーチャル高天神城です。
https://takatenjinjyo.com/virtual/
途中、水が溜まっていました。
山城を歩くときは「水を見ろ!」
このようみ道が整備されていたのは一部だけです。
三日月井戸です。金魚が泳いでいるので、常に水があることがわかります。
上の礫層と、その下の粘土層との間から水が浸み出ています。
矢印のゴールまできました。
井戸曲輪の右隣にある鐘曲輪にある案合図です。
拡大してみましょう。
先ほど紹介したバーチャル高天神城です。
左から登ってきました。右の階段を上がり,その後、大河内石窟に向かいます。
明日に続きます。
遠州FW -1- 遠州FW -2- 遠州FW -3- 遠州FW -4- 遠州FW -5-
遠州FW -6- 遠州FW -7- 遠州FW -8- 遠州FW -9- 遠州FW -10-
遠州FW -11- 遠州FW -12- 遠州FW -13- 遠州FW -14- 遠州FW -15-
遠州FW -16-
このブログでの他のシリーズは・・・
ベトナム・ホーチミン みてある記 -1- タイ・バンコク 見てある記-1- シェムリアップみてある記 -1- 香港に来ています 台湾レポート-1- 平成25年度北方四島交流訪問事業 -古釜布湾- なごや探索 出雲 函館 京都散策 さわやか中欧 見てある記 -1- 美濃 見てある記 -1- 東京散策 みちのく三陸海岸 見てある記-1- 滋賀探訪 新城FWに参加しました-1- 碧南FWへ行ってきました -1- 安城へ行ってきました1 -本證寺- 「勝鬘寺と大久保氏ゆかりの上和田城址」(岡崎市)-1- 北陸探訪 -1- 剱神社 近江FW 長久手FWへ行ってきました -1- 遠州FW -1- 小牧FW -1- 末森城周辺FW-1- 「宮宿」-1- 大野城・大草城-1- 「鳴海宿」-1- 富士周辺五名城と諏訪の旅-1- 犬山城周辺 -1- 近江FWⅡ 安祥城周辺-1- 「有松宿」-1- 堀川七橋めぐり-1- 松平郷周辺FW -1- 桑名城 -1- 「池鯉鮒宿」-1-
「社楽の会」HP:中国ODAみてある記 韓国研修・その2 ブリスベン