にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

家から徒歩で歩こう3日目

2019年06月23日 20時33分37秒 | 地元の布教

身体のあちこちで痛みを発している朝だった。笑

左側の腰が痛かった、、、足首も。肩や首はガチガチに凝っている。
年を感じてしまう、、、ずっとこんなだったら辛いなぁぁ

 

今日も家からにをいがけに行く。そうはいってもかなりの弱気。
「10軒で終わりにしようかなぁぁ」とか・・・・・・
身体が悲鳴を上げているような、、、

気になっていた近所のアパート。いつだったか母子さんが出入りしていたのを
見かけて気になっていた。けど、全室お留守。

 

 

とぼとぼとぼとぼとぼとぼ・・・

 

 

トボトボトボトボ・・・・・・・

 

 

ただ移動をするだけの時間。
どこへ行かせてもらえばいいんだーーー。
交差点ってカギを握っているような気がする。

 

 


家を回っていて道に出ようとしたら目の前を人が通過。足の身上のようだった。
帽子をかぶってて杖をついてて、、、年配の方でよく見かけるふうな方だった。

ちょっと迷った。進行方向が一緒なので追い越しながら「こんにちは」とお声かけ。
お顔を拝見したらお若いのでビックリした!!!

「若いじゃない!」って思わず言ってしまった。
私よりも20年は年下に見えた女性はとても気さくな方だった。
脳梗塞で半身がちょっと不自由で、リハビリを兼ねてお散歩をされている。
明るい笑顔で家族のみなさんも助けてくださると言う。お子さんもまだ小さい。

『受け入れることができているから本当に大丈夫です』と
笑顔でおさづけも断られた。
この子なら大丈夫かなって思ってしまった。
「年配の方がなるような病気に若くしてなってしまったのには意味があると思う」と私。

医師からそこらへんは聞いているという。中学時代にスポーツをやってこなかった
人は先に行って自律神経がどうとかこうとからしい。
自分もそうじゃん!!自分大丈夫かいな。理の上ではどんな意味があるのか
拝殿で伺ってみようと思っている。

 



家族の中に病気の方ができたとき、絆が強くなる場合と逆の場合もあると言うこと。
私は長女の身上を通して会話のない夫婦が会話をするようになって一生懸命考えたこと。
詳しくは書ききれないような事をじっくりと彼女は聞いてくださった。
家のほうにも行かせてもらっても構わないとも言って下さった。
『こんなとこでこんなお話しを聞けるとは思わなかった』と謙虚な方だった。



 

こんな出会いを神様は用意してくださってました。
もったいないような出会いです。次につなげたい。
家が分かったとはいえ、なかなかいけない自分だ。
これじゃなんのためににをいがけをして人と出会いたいなんて言ってるのか
わかんないよ、、、意気地のない人間だわ・・・・






 

 

 

 


家から徒歩で行こう2日目

2019年06月19日 09時23分50秒 | 地元の布教

昨日は歩き初めから足が痛かった。にをいがけに行くっていうのに
行って帰ってきたような状態に不安がよぎる。
前日の足の疲れが取れていない・・・・・・・・・・。

どこが痛いって足首の上(弁慶の泣き所)が痛い。夕べシップを貼ったところ。
ちょうどこどもおぢばがえり(KOG)の初日の朝かならず痛くなる場所だ。
懐かしい一年ぶりの痛みだ。
KOGでは写真ひのきしんだから。

 

家から歩いたには違いないけど、
駅が近いので一駅下って降りて、歩いて戻りながらにをいがけをさせて
いただくことにした。自分がどうやったらやる気になるのか考えることも
大事なのではないか、、、、、自分で考えることがミソ(?)。。

そんなにやる気がなくてもだんだんと意欲がわいてくる、、、ものだ。

 

 

一駅下った駅で降りて、しばし戸別訪問をしていた。
踏み切りをわたり、駅向こうへ移動をして行ったら車が出たり入ったりの家があった。
そこはとばして、その隣の家をピンポンしたらさっきの車の運転の方が
『なんか用ですか?』と。自分の家らしいかった。
天理教の布教活動をしているyoshiですと言うと、自分の実家は財産すべてを父親の後妻にだましとられてしまって、なにもなくなった、という話をしだしてくれた。後妻さんというのが天理教の教会の奥さんだった方らしかった。昔は信仰熱心の方が財産家の畑もお供えしてしまって家族は本当に生活が苦しくって大変だったという話を聞くけど、今はそんなことはないと思っていた。
嫌な気持ちにさせてしまって、、、、、と謝られたけど平気だった。
その方は当時は子供。あとになってから周りの大人から色んな事を聞かされたんだろうなって思わせていただく。

その方の恨み事を聞かせていただくのも今日の私の仕事だったと思うと共に、
「貧に落ちきる・・・・・・・おやさまじゃん」って。
後妻さんがやったことっておやさまのひながただよね、と。
私が聞かせていただいた内容をシンプルに考えるとそうなるのではないか。

 



なぜこのような方に会わせてくださったのか。
日常的にもっとおやさまを感じさせてもらって通りなさいってことかと。
おやさまをわすれてませんか、と。

上級の会長様がおっしゃっていた。
どんな災害の中にも親神様のご守護はきっとあるはずです、と。
家族にとっては鬼のような最悪な後妻さんだったとはいっても、楽しい日、嬉しい日、他にも良かったことはあったのではないか、、、そういう部分は語られていかないのはなぜですかね。

 

 

 

こういうお道のひどい話を聞かせてもらっても、きっと何か誤解があったんだよ、と思ってしまうのだけど、このあとしばらくやる気はダウンしてしまった。
コレじゃいかんと思って気持ちを奮い立たせた。

 

 

出会った方で深い部分で感じさせていただいたり
自分のなかの引き出しを増やしていける。そんなかには話のタネを
一つ一つしまっておいて、いつでも蒔けるようにしておくんだよね。
時々確認しないと自分の持っているものを忘れてしまう。



今日もありがとうございました。

 

 

 




 


 


 

 

 

 

 

 


 


家から徒歩で歩こう1日目

2019年06月18日 10時28分24秒 | 地元の布教

一昨日17日から思うところあって、家から徒歩でにをいがけに出た。
近いけど行かない地区ってある。電力会社が近所になることさえ
実感がなかったので、歩いていったら別世界だった。
徒歩15分で来られる場所ではないようなくらい景色が違っていた。

 

 

だから意欲的になれた。
とりあえず道のはたの家だけ回らせていただくことにした。

まだ引っ越してくるずっと以前に戸別をした横長のアパートがあった。
「ここ来たことある・・・・・」

身上の方がいらして『体調が悪いんで、、、、、、』と3人ほどいらっしゃった。
おさづけはどこも受けていただけなかった。 「おさづけを、、、、」と
話が出ただけでも布教をしている身としては 自分の出る幕があるような気にさせていただけてありがたい。

もちろん皆さんお元気のほうがいいですけど 体調悪くてもなかなか言えないと思う。

 

天気はいいけど風がすごい。

その日は2時間で23人だった。出会いはあった。
母子の方。戸別なので近いうちにお子さんの顔を見にいきたい。

 

 

 

 主人の夕飯を準備してから夕づとめに行こう。今日は一駅分を歩くことにした。
もう一駅は電車と思いながら人駅の距離の長さを痛感。
少しでも近道を通りたいけど、それがいまいち分からなくって、、、、
車で教会へ参拝できるってありがたいことだとつくづく思った。

 

 

 

その晩、2回も足が釣り掛けてしまう。予兆が分かるのですぐに体勢を変えて
なんとかしのげた。手で触ると、筋がスゴイ突っ張っているのがわかる。
ちょっと頑張りすぎちゃったのかなーーーーーー。
シップを貼って寝ることにした。



自分の足腰に感謝でした。
出会いに感謝でした。

 

 

そうそう!!

他宗教の年配の方に声をかけて知った。
寝ているときにお告げ(?)とかを受けて信仰をするようにって夢の中で言われて、
自分でその団体を探した。それから30年の信仰だって聞かせていただいた。
代もつながっているようで。
夢で教えていただいたら誰でもそこへ向かえるわけではないんでしょうに。
数日間夢にみたらしい。同じ内容ではないけど、毎日続いていたとのこと。
お道でいう丹精を夢の中で受けていたのか?

いろんな宗教があるものだ。霊感のある方だと私は思う。
昔、そういう方に会ったことがあってびっくりだらけだった記憶がある。
なにがいい悪いではないと思うけど、
自分にぴったりの教えにみんな導かれているんでしょうかね。
そこが分からなくって、やめちゃう人もいるみたい。

時間がかかるのかな。気付くまで。

 

 

 


昨日も今日も毎日が大事な日

2019年06月01日 09時08分10秒 | 地元の布教

今日は13時から上級教会を会場とした
婦人会創立の決起の集いがあります。
初めてなので、どんな感じかなって思って、楽しみであります。

oyomeとお孫ちゃんとでお昼を持って行く予定。

 



今日から6月だ!!!!!
ぢば定めの月は終わってしまった。色々と細かなことはあったな。
上半期に一人の方でも教会にお連れしたい!!!

今日のお話を聞かせていただいて、手応えを感じることができたらいいな。
こちら次第なんでしょうかね。。。。

 

 

昨日も川越に行かせていただいて、
一昨日の続きの地域を布教させてもらってきました。
大きな出会いがあったわけでもないけど、
母子さんへの声かけでちょっとした手応えを感じることはできました。
路上のにをいがけの醍醐味でもあるんでしょうね。
断られるんですけどね。

 

ではまたーーーー。


 


落ち込んでもいられない

2019年05月29日 10時13分25秒 | 地元の布教

昨日は拝殿奉仕の日。
今日は外で人と出会って勉強をさせていただきたい。
10時前に家を出られたんだけど、
ひとつプラスの家事を済ませてから出ることにした。


私は物事の説明というか報告が大の苦手だ。
親から言って頂いたことを実行するのはいいけど、
相手がいる場合の私と相手とのやり取りとか
細かい部分を聞かれても、確認の意味では聞いていなかったりが
多いような気がする。自分の事だったら言えるかと思うけど
上手に言おうとするから言葉が出なくなってしまうのだろうか。

自分にできない苦手な部分を得意とする方は多くいるので
「うらやましい」といつも思ってしまう。

 

今日は外で(外のほうがいい)たくさんしゃべってきたいですし
神様のご守護のありがたさをお伝えして来たい。