めちゃくちゃ快晴だった今日。
ひとりで川越まで足を伸ばしてきた。
この地域はちょっと久しぶりだけど
歩きやすい場所なんでラクだったかも。
日曜日って歩いている人が本当に少ないの。
観光地ではごった返しているんでしょうけど
ちょうど12時に歩き始めたので、
いつもよりも心を低くして、インターホンを押しました。
「こんにちは。お昼の時間に恐縮です。
天理教の布教をさせてもらっているyoshiです。
もし良かったら、しばらくお耳を傾けていただけませんか」
これをベースを思ったことを変化させて言ってます。
今日は若いご主人さんが出てくれたのが多かったかな。
だんだんと戸別訪問が進んでいって時間も経過していくと
思いがけない、、見慣れたビニールハウスがみえた。
今までこの場所に来るときは、初雁球場に車を止めて
だんだんに歩かせてもらって、移動してきてここに来るのに
今日はまったく違う場所からやってきた。
つながっていますねーーー。
ということは、以前出会った方の家がこのあたりに
あるんじゃなかったかな、、、というおぼろげな、、でもない
記憶の糸を手繰ってみたり。一軒はありました。
変化なしです。すごい人生を通ってきた年配の方です。
もう一人の母子の方の家までは探さなかった。
自分は何のために信仰をしているのか。
この頃、理の親がこういうことをわたしたちに投げかけてきます。
私も時々考えます。何のためににをいがけに歩いているのか。
信仰とにをいがけおたすけは、一緒なんでしょうか。
信仰ってなんだろうか、そもそも。