にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

日曜のにをいがけ

2018年09月09日 20時53分03秒 | 地元の布教

めちゃくちゃ快晴だった今日。
ひとりで川越まで足を伸ばしてきた。
この地域はちょっと久しぶりだけど
歩きやすい場所なんでラクだったかも。

 

日曜日って歩いている人が本当に少ないの。
観光地ではごった返しているんでしょうけど
ちょうど12時に歩き始めたので、
いつもよりも心を低くして、インターホンを押しました。

「こんにちは。お昼の時間に恐縮です。
天理教の布教をさせてもらっているyoshiです。
もし良かったら、しばらくお耳を傾けていただけませんか」

これをベースを思ったことを変化させて言ってます。
今日は若いご主人さんが出てくれたのが多かったかな。


だんだんと戸別訪問が進んでいって時間も経過していくと
思いがけない、、見慣れたビニールハウスがみえた。
今までこの場所に来るときは、初雁球場に車を止めて
だんだんに歩かせてもらって、移動してきてここに来るのに
今日はまったく違う場所からやってきた。
つながっていますねーーー。

ということは、以前出会った方の家がこのあたりに
あるんじゃなかったかな、、、というおぼろげな、、でもない
記憶の糸を手繰ってみたり。一軒はありました。
変化なしです。すごい人生を通ってきた年配の方です。
もう一人の母子の方の家までは探さなかった。

 

自分は何のために信仰をしているのか。
この頃、理の親がこういうことをわたしたちに投げかけてきます。
私も時々考えます。何のためににをいがけに歩いているのか。
信仰とにをいがけおたすけは、一緒なんでしょうか。



信仰ってなんだろうか、そもそも。

 

 


苦手な9月みたい

2018年09月09日 08時46分19秒 | 他のおみち話

毎年今くらいの時期は
ゆううつな気分で毎日を通っている。
んじゃないかなーーーー、今がそうだし。

 

9月は全国的に布教をがんばりましょうの
月なんですよね。それまでもそんな気持ちで、
なんとかって思ってさせてもらっているんだけど(怠けもします)
さらに頑張れって強く言われるのがあまり嬉しくなかったり
プレッシャーをかけられている様に思っちゃいます。

 

「はぁぁぁ・・・」

 

そんなため息も出ます。

 

 

行事も多いんですよね。
婦人会総会がある。
毎年、この一年間自分はなにをしてきたんだろうかと
思い知らされる日が10月にある。


 

 

 

一年前の記事を読んだら、勇んでました。
おかしいなーーーー。
空元気で記事を書いていたのかな。

だんだんと気合を入れていかないと。

 

 

今年もヤブラン、咲きだした。