にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

川越駅から霞ヶ関駅まで

2019年02月07日 20時22分15秒 | 東上線駅布教

一昨日だったと思うんだけど
川越駅から出発して徒歩で霞ヶ関駅目指しながら
布教活動をさせていただいてきました。


普通ににをいがけに行かせていただこうと思って家を出たのだけど
あの・・・・・車を持たない自分の足だけ(行き帰りは電車だけど)を使って
移動しながら飲まず食わずの歩きが忘れられなかった。

家にもどって車を置いて電車に乗った。こういう時は駅が近いのでありがたい。
今月から500円だけ生活費の中からパスモ代と決めて予算をとった。
高校生が早帰りの時期なのか電車内が混んでて、
光景が自分の心中とは裏腹で現実的な状況がむしろ可笑しく思えました。


川越駅はいつも変わらずの街でまんべんなく人が流れてて、
けど路上で声をかけ始めたのは川越市駅に近づいてきてからやっとのこと。
母子さんや女子青年さんにお声かけ。
戸別もそのあたりから。
「ただ歩いているだけじゃ散歩と同じじゃないか!!!」
歩けば歩くほどそう思うようになってきました。



あまり人がやらないようなこんなことさせて頂いてても
意味があるのか。意味を持たせたいから必死になってしまう。
だんだんとこのやり方は自分に合っているんだと思うようになってきた。

自分を奮い立たせるための起爆剤にしたいと思って始めたけど、
そんなに大したことをやっている感はないし、
特別すごいこともそんなに起こらない。不思議なことも起きて欲しいし
見せていただきたいけど、まだそこまで行ってないんでしょうか。
こういうのって神様にもたれているとは言えないんだろうか。
試しているんでしょうか、おやさまをーーーー。

 

色んなことが頭の中でぐるぐる回っている道中。
見せてもらっているのに自分に見えないだけかもしれない。
こんなんじゃダメだよなーーー。
長い長い初雁橋をわたってから住宅街になだれ込んだ。
「あれ??」気のせいか日常生活の中では聞かないような
高さの音だから分かった。
拍子木の音が聞こえた、ような気がした。
確かに聞こえる。太鼓も聞こえる。

どこからだろうって住宅の玄関先を見ながら看板がないか探した。
月次祭に違いない。私が知る限りでは太鼓が入る普段のおつとめは
月次祭か入社祭。角を曲がった家の玄関先にいた奥さんににをいがけがてら
訪ねると、何軒か先にそういうところがあると言う。

なんか情報が薄いなーーー。知名度が低いのが驚いた。

旗を発見。
どんな人がおつとめをされているんだろう。
しばらく立ち止まったりうろうろして聞いていた。
そのうち玄関先で参拝をさせていただいて離れて行った。


勝手に励ましていただいた。月次祭に遭遇したのは実は2度目。
こんなことそうはないと思う。そういえば、このあたりに教会があるって
昔誰かに聞いたことがあったなって思い出した。

 

 

 

 

 

 

迷路のような住宅街でばったり出会った母子さんと
話をすることができた。若いママで2人目の6ヶ月の男の子を
前抱っこして買い物から帰宅するところだった。
ちょっと強気の方だったけどしっかりと答えてくれたし
私に自分の思いを言って下さった。
お子さん2人とも夜泣きをするそうだ。

家の中で家内、母親の役割は大きいこと。

子供の夜泣きは主人の嘆きって聞かせていただくので主人は言うに
言えない思いがあるのかもしれないから、
話しやすいようによく聞いてあげて欲しいことなど。
うちは大丈夫だと思いますよと言ってたけど、
何か記憶に残ってくれていると信じたいし、そう伝えた。

 

 



駅前で会ったベビーカーのお母さんにも話を聞いていただけた。
ありがたかった。ようぼくとしての今日の自分の存在を
かみ締めることが出来た。それが嬉しかった。




4時間かけて2駅を歩かせていただく事が出来て
感謝の気持ちがこみ上げてきた。陰の裏づけとして行動したので
あまり自分の口から話したくないってのもあるけど、
聞いていただきたいという感情も持ち合わせてます。

こんな動きでも誰かがおぢばへ呼んで頂ける裏づけにならせていただけたら
本当にありがたいと思う。けど、自分が誰かをお連れ出来るのが
一番うれしくありがたいことですよね、、誰だってそう思うと思うし。

 

 

ありがとうございました。

また聞いてください。