にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

布教師のよろこび

2023年10月19日 18時31分01秒 | にをいがけ・おたすけ
今日こそはおさづけをさせていただく方々に
会わせていただこうと昨日から考えていて
一日を通らせていただこうと思ってた。

昨日は会活動でみんなを勇ませる準備をする係りなので
もうひとりの婦人さんとふたり必死になって
細かな根回しから当日は司会、集計とふたりで頑張ってた。
もちろん車を出して下さるひのきしんの婦人さんとか
いましたけど、お茶の仕度の女子青年さんもいたので

無事に終わって本当に良かったわ。


そんなこんなで、その翌日の今日、昨日の「なんとか!!」
の思いはどこへやら、まったくやる気が起きず。好きな場所へ
行って好きなことをやりたい。
2日続けて、目一杯は出せないんだなって実感できた。
もうね、とぼとぼ歩いていたもんね。疲れていたし。

それでも、なんとか移動をして繋いでいる女性の家に
向かったんだけど、いなかった。近所を戸別して歩いていたら
一人暮らしの身なりのしゃれたおじいさんと出会った。
お客さんが来たときやパソコンでなんかするときに
使う部屋に通された。物置のような別間。

親神様がやしろとなる者、おやさまとこかん様を別間に
隔てて置いてもらいたいとお察しであったような、おふでさき第9号だ。
自分の番で解説した下りだから覚えている。


で、今日はそこで1時間以上話を聞いていただいたり
おじいさんが熱心に取り組んできた宗教のことなど
自分たちの話などをじっくり。けど、なんとかおさづけを
取り次がせていただきたく願っていながらだったけど、
結局は自分の信仰しているものがあるから、悪いけど
それができないときっぱり。
しみじみ熱心なんだなーーーーーと改めて気づく。



『熱心だね』
と私のことを言って下さったけど、
「私が熱心というよりか、所属教会そのものが熱心なんですよ。」と、
自分で言いながらホントそうだなって思ったなーー。

理の親だって、その上の上級教会の先生方もまたその上も
熱心がずっと続いています。



必死に話して聞いても受けて頂けなかったから
すんごいガッカリした。こんなにがっかりしたのも久しぶり。


とぼとぼ歩きながら、戸別しながら、

さっきのお留守の家に向かった。今度は在宅していたけど
『ごめん!!これから体操なんだよ!』と、
せっかく来てくれたのに、、と申し訳なさげだった。


『どうしているかなって思ってたよ』と言ってくれた。
「私も毎日、どうしているかなって思ってたんですよ」と
同じ様なことを考えてた。
庭のイチジクなんだけど、14個も夏に収穫ができたって。
何十年も1個もならなかったイチジクの樹。
剪定と肥料(油粕)をあげるといいですよ、とアドバイスしたら
すぐに自分で切って、肥料をあげて、そしたら!!!!
実行したからですね!!!
私も頑張ろうって思える。

お供え用のお菓子をいただいた。勝手にお供えにする。
拝殿で今日のことを報告させてもらった、、昨日からのことも
含めて、今日の流れを青年の拝殿先生に報告。
『今日は良かったじゃないですか!盛りだくさんで。
おさづけはできなかったけど、お話聞いてもらえたんでしょう?』

確かに今日ほど話を聞いていただくことは久しぶりのこと。
コロナ禍になって初めてのことだった。ん?2回目だ。
話を聞いていただくことが布教師の喜びですね、確かに。
思い出させていただけて、参拝、報告に行って良かった。

疲れがちょっと取れたような気がした。