秋季大祭の前の清掃ひのきしんをみなさんで
させていただきました。とは言っても、来れる人のみになってしまいます。
こういうひのきしんって
真実が表れると思います。
どうせするんだったら、喜んでさせていただいた方がいいに決まってますよね。
明日は上級教会の秋季大祭です。
そういえば、東本大教会の秋季大祭に参拝したいのだけど
行きにくいんですよねー。部内でもないですからね。当然だけど、、、
一昨年だったかな、、一人で参拝させていただいたのは。。。。
誰か一緒に行かないかなー、行かないよね~、おそらく。
行ってもいいのなら一人でも行けるけど。
では、おやすみなさ~~~~い。
今日もいい日でした。
人間が、お道を歩む上での過程です。
人間は難しくないんだぞ。目(芽)が出て、歯(葉)が出て、頬(穂)が出て、鼻(花)が咲いて、耳(実)のるんだ。これは、サラッと、聞いたので、誤りがあるかもしれませんが、素晴らしい事です。人間道をやる上では、目が大切。目に入った、という事は神様が見せた事だから、いたずらに避けたり、惜しみの心を使っては因縁通りの道になる。先ずは、目が大切。誠の心で接していく。どこどこまでも見たら、道に合わせる。かようであります。歯は合わせる。何事につけ、下から合わせるのが、順序よい。人に対して、目で誠ならば良い芽がでる。出た芽に心を合わしていく事が葉になる。育つには順序通り。つまり、上級・親への伏せ込みで徳を積む。順序に合わす。自ら、順序の道を通って、理を頂く。理は神であり、道が神である。
穂が出るには頬。頬は喜び。嬉しさ。頬が痩せる中の徳積みから、徳のある丸顔へ。
鼻はにおい。筋の通った心、かぐわしい香り。そんなお道の人。
そして実り。耳。聞かせて頂いた事を守るからこそ、みのる。実。多少アレンジしました。何せ、サラッと聞かせて頂いただけですから。文章にすると、忘れてしま
私は、この目(芽)という通り方に感激してしまい、他を忘れてしまった。目の勤め方こそ、教会・布教所・ようぼく一人一人が、道を広げていく、成人していく第一歩だと思います。目に入ったという事は、神様が見せてくださったという事だからね。いたずらに避けたりしては理が立たない。理を立てなくて神様の働きはない。
感激しました。
ブログやってて良かったです。
何度も繰り返して読ませていただきました。
目の勤め方、、初めてうかがいました!
まず浮かんだのがにをいがけのことです。
私は自分の信仰にイマイチ自信がないので
耳の身上も手伝って、、、先案じをします。
母子の方に路上でお声をかけるのが特に苦手なんです。見ても目をそらしたり、できたりできなかったりとムラがあります。
ちゃんと声をかけてあげられるように・・・
目に映ったのは神様が私に見せてくださっているんですね。
そう思うともっと勇気が出せそうに思います。
目は親の理と聞かせて頂いてます。
親へのつとめがホントに大事なんですね。
親に合わせることがまた大事ですよね!
ありがとうございました!!
お勇み様ですかー。
他系統の知り合いのほうが多い?
修養科で一緒だったりすると、そうなるかも。
いいんじゃないですかねー。
一人よりつながりあっていた方がいいですものね。孤独じゃないし。
来月は行かせて頂いてみようかな。
続くんですけどね、大祭が。