にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

理を頂くのはどっち

2007年11月17日 22時00分41秒 | 他のおみち話

 

11月8日分の記事を書いてて思ったんだけど。


拝殿奉仕って・・私の場合だけど、
本音と建て前が使い分けられないと務まらないなって。
私だって、とことん信心できている訳じゃないから、
つい自分の本音を言ってしまいそうになったり、言っちゃったり。
それが良かった場合もあるかもしれないけど、
本音ばかりで言っていたら、人を丹精どころじゃなく・・・・
自分の思いをただ発散させているだけになってしまうのだろう。



いろんな人と話をさせてもらいながら、いろんな思いを経験して、
本当に拝殿って、奉仕者の方が理を頂くのだなって、つくづく思ったよ。



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4 コメント

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Unknown (さな)
2007-11-24 08:25:19
ずっとこの記事が、こころのどっかに引っかかってました。
私は本音で話したい方です。
時には人を傷つけちゃうこともあるかもしれないけど
最近はそれですごく困ったという思いも少ないです。
ただ、「言えないこと」はいっぱいありますね。
本音か、もしくは言えないので時期を待つか・・。

台詞で、同じような言葉なのに、
なぜか人の心に響くものとそうでないものの違い、
というのを聞いたことがあります。
心に響く台詞というのは、その人自身の
経験や実感から来ているものなのだそうです。
そういう土台のある台詞には、何か重さがあるんだって。

時と場合で、仕方ないときもあるかもしれませんが、
建前だけで自分の気持ちが伴っていない言葉って、
いくら話しても上滑りするような気がするんですけど、
どうでしょうかね。

建前をいかに自分の中に取り入れて、消化して、
自分のもの(本音)にしていくかってことなのかなと
思ったりしています。
あと、その本音の部分でも、いろいろなものがあるから、
その中のどの部分を話すのか、話したらいけないのか、
時と相手によってうまく使い分けるのが
技術なのかなと思ったりしてます。
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yoshi (さなさんへ)
2007-11-24 09:03:31
そうそう!!
さなさんみたいに自分の表現できにくい気持ちが、
言い表せたらいいのだけど。
さなさんは、ズバリ言えるのですごいなって思う。

コメントの最後の文章の塊の部分が、
私のいいたいことです。
技術ですよね。
それがなかなか難しいというか分らない。
失敗しても構わないと言うから、思い切ったことを言ってもいいんでしょうが。
相手のことを思えば、なにを言っても許してもらえるわけじゃないし。

拝殿っておやの思いを伝える場所だし、お役目だと思うんですよ。でも、自分が親の思いをよく分っていなかったりするので、実感をこめて言えないですね。
「私自身もよく分らないの、まだ」
みたいなことを加えたりします。

逆の立場になったとき、
確かに拝殿先生が言ってくれている言葉が、
『これこれなんだよ、こうしなきゃあね』
みたいなただの建て前の話だったら、聞けないですね。前に座っているのが苦痛になってきます。
中座する勇気もないんだけど。

本音も建て前も一緒なんだなって実感します。
あ、、最近、2個中座したんだった!!
3人で話を聞いているときで、途中参加だったんですけど、話が見えなくて。。とにかく苦痛で時間が惜しくなったので中座しました・・・こういう時もたまにはあるかもです。あと2人、聞いてるから大丈夫かなって。

私も上滑っているかもね。苦笑
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Unknown (さな)
2007-11-24 11:11:02
いあ~偉そうに言えないですけどね(^^ゞ
上滑りしたり、暴投したり、傷つけたり、
そんなことを繰り返しながら、
だんだんと、
投球で言えば、振りかぶってから、
ちょっと方向を変える、球種を変えるみたいな、
微妙なことができるようになるのかなって思います。
相手の表情とか見ながら。

そして今も、ちょっと微妙な方が
拝殿にいらしてます。
主人が相手をしてくれてますが・・。
日々勉強でございます(^^ゞ
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yoshi (さなさんへ)
2007-11-24 21:48:03
なんかいいですね。
会長さんが拝殿で奥様がPC。
想像できるってもんです。
いまのうちだけでしょう。

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