にをいがけからはじめよう

おみちに引き寄せられて25年。
落ちこぼれようぼくだけど精いっぱいのにちにち。

駅前布教 雨の新河岸

2016年03月09日 17時09分33秒 | 東上線駅布教

悩みに悩んだ結果、雨模様の中を行ってきました。
月一の駅前布教です。
雨だとまずリーフレットく張りができない。
傘を差してだとダメですね、経験あるけど。。。

新河岸駅に行かせて頂いてきました。
川越の次の駅で急行からは止まりません。
何度も行ってましたが、
去年の3月に5年ぶりくらいに行かせていただき、
今年も同じ3月にと思って行かせていただこう!!でもさ、、、
リーフレット配りができないしな、、、、あとにしようかな。


でも、新河岸駅が呼んでいる、、みたいなね。
思い立ったんだから行くしかない。配れなかったら
今回はいいじゃん、、そんな感じで。

お昼を食べてから電車に乗ったので、
本の少しだっていうのに東上線に乗り換えたら
眠くなってきました~~、お足元がぬくぬくなんすよ。。。^^
傘をむこうに倒しそうになってしまいました。危ない危ない。


やはり狭い駅なんで、それなのにタクシーが何台も
連なってた。思ったよりも乗客が多いんだーー。人口が多い?
甥っ子夫婦も砂ってとこに住んでます。

 

マフラーがあっても大丈夫なくらい寒かったけど、
寒くないような格好の上着を着ていったんで大丈夫。
いつも来ていた上着の特性のすばらしさを見つけました。

 

 

 

前置きがいつもよりも長い。


戸別をもくもくと。。なかなか心定めが決まらなくって
今日は数を数えないで回らせていただくことに。。。
お断りの方ばかり、当然です、いいんです。在宅者は多く
いてほしいのだよ。13~14人くらいだったかな。
1時間ちょっとなのに、、、、、、ありがたいことに。

いま自分がやっている行ないがどれだけの価値があるんだろう。
そんなことが頭をよぎる。価値なんかないかもしれない。

一人出会いがありました。
また行かせていただきます!!!

 

 

今どきめずらしい駅のホームに水飲み場・・・柳瀬川駅にて

 

と、さっきまでもうね、眠くて眠くって睡魔がにくい!!
なんとかキーボードを叩いてましたけど、
合っているのかな・・・・・一抹の不安。

確認したら違うことは書いてないけど微妙に違うのが、
リーフレット配りの件。何が何でもやってやろうじゃないか、
そんな強い気持ちがあったら、傘なんて差しててもできますよ。


今日の私はふと親の顔が浮かんだりしてました。今日は、
午前中に教会へ参拝をしてきてました。にをいがけに行ってくるように
して、教会を出てきたんですよ。
なので、拝殿にいた理の親に「駅前布教に行ってきまーす」とか
元気な声で言わせていただいたなら、きっと喜んでくださるのかなって。
想像しては消してのくり返しを頭の中でやっていたんで、
それができない自分にしょぼくれちゃってました。

頭の中がそんなんだったから、戸別をしようと駅前から歩き出しても
方向が定まらなくってさ、、、、だから心定めも決まらなかったのかもね。
なにげに理の親の影響を受けてますね、私。
親のことはいつも思ってますから。

 


「いまごろ雨ん中ピンポンして歩いているのかな」

誰かの家の玄関の前に立ちながら教友のことを思い出してました。
彼女もそうみたいですよ。「よっしゃ」と気合を入れなおして
またお隣へとお邪魔させていただくんです。一人で歩いているようで
孤独になることが多いけど、決してそういうわけではない。

にをいがけをされたことのない方は、
ぜひこんな切ないような気持ちを味わっていただきたいですね。
でも、ただ切ないだけじゃなくって、
にちにちの御礼をさせてもらっていることを忘れなかったら、
なんとかまた先に進めます。

なんてな、、、、私が言うなって、百年早いわー。

 


ど田舎町布教

2016年03月08日 17時23分39秒 | にをいがけ・おたすけ

1万歩歩き通して6~7人。

 

使命を果たしていないも同然ですね、、、、

 

 

 

 

 

 

 

数時間後再び、、、、、、、

 

このまっすぐの道を行くと、
どこに着くんだろうって思って、
戸別やらをしながら進んでました、今日は4回目だったかな。

今日、ようやくそこに着きました。

といっても交差点なんですが、、、先はまだあります。でも、
思いがけない交差点の示す場所だったんで、、、、
まっすぐに行くと、高麗川駅だって。
おなじみの超おなじみの高麗川駅に行くんだそうです。

その交差点がどこの交差点なのかは今日の時点では
不明。私のいままでの人生において経験した場所ではなかった。
表現が可笑しい、、、、、、、、、

次回はさらに進んでみよう。でも、まっすぐ進んできた道の反対側は手つかず。
あっち側も戸別訪問していかないとです。
まだまだ途方にくれそうなくらい家がある!!!

当たり前だっちゅうの!!!!

 

文章ヘタでスミマセン。

 


出会った相手に勇ませ励まされ

2016年03月05日 20時40分21秒 | にをいがけ・おたすけ

今日はどんより空の風も弱い日。
花粉が舞っている嫌な天気だった。
花粉症の人が苦手とする陽気。

10時から午後2時ころまで教会に詰めてまして
御用をして、そのあとにをいがけに出させていただいた。
川越市の名細っていう地域は初めてではないけど
すごい田舎ですよ。


1時間で在宅6人の方。すぐにお断り。4人目の方のあとに
「今日も歩けて良かったなぁぁぁ」なんてしみじみ。
なんもない歩きだけど、昨日と明日をつなぐことが出来たことは
良かった、ありがたいことなんだよなぁぁ

歩かないで終わってしまう日もあるのだけど、
歩いた日の終わりのほうが充実した気持ちになります。

 

5人目の方は一家の主人さんで、腰の低い方のようだ。
こういうものですと伝えるとご自分は履物を脱いで
家にあがって座られました。聞いてくださるようで
私もそばのベンチに腰掛けさせてもらいました。

かしものかりものの理の話をひとつ聞いていただき、
もうひとついいですか?と、、、陽気ぐらしのお話しも
聞いていただきました。ご主人さんは黙って耳を傾けて
おられましたが、きっと『まだかなーー』と終わるのを待ってたよね。

外に出て思ったけど、、なんでご主人さんは黙って聞いてくれたんでしょう。

「どう思われましたか?今のお話」
『・・・・・・』
「何かひとつでもなるほどと思っていただけたならありがたいのですが」
『はい。』と一言。
「今日は勉強させていただけました!ありがとうございました!」
『はい。』
こんな具合。なんだか不思議な、、、、神様の話だけじゃなくて
自分の話、奥さんのこととか聞きたかったね。
お話しをさせてもらうときは、低くならないとこちらに流れてこないんだよね。
反省です。話してやってる風では失格です。
もちろんそんなつもりは全くないけど、分かんないじゃないですかね。。
神様からご覧になったら。。。

 

次の家の方も聞いてくださった。
私がインターホンを目指して庭に入っていくと(大邸宅)
丁度家の脇から奥さんらしき方が出てきたのね。
手にはふきのとう。
ずっと知り合いだったように心に垣根を作らないような
タイプの方なんでしょうかね。。話しやすくって。
ふきのとうをてんぷらにしてあとは、、、なんとかかんとか
晩御飯のメニューのことを言ってくださって、、


家族の方々、みんな元気ですという話になって
「身体を動かしているのは心なんですよ」
て流れになってきた。奥さんは驚かれてまして、、、、
『心が身体を動かしているの?!』
「心の使い方しだいで病気にもなるし、
家の中で揉め事が起きてくるくることもあるんですよ」
って話の流れになった。素直に聞いてくださって
受け入れてくださったことが嬉しかったしありがたかったね。

ふきのとうのようなものを食事に出すと義父母が喜んで
くれるんだって。やっぱ旬のものですからね。
「そうか、、旬のものは親が喜んでくれるんだなーーー」
確かにそうだ!!
昔の話よりも今の話のほうが理の親は嬉しいんだよね。

・・・なんて思わせていただく。

今日も歩けて良かった。出会いをありがとうございました。






 


日常の記録の重要さ痛感した

2016年03月03日 19時09分08秒 | 他のおみち話

5分間の映像の作成も協力者である青年さんの
おかげ様でまとまってきました。昨日仮の形になったものを観ました。
見直してたものを直しにかかってくれて今日、ナレーションの方も
含めてチェックを入れながら観ました。
昨日もだけど、感激して泣きそうでした。今日もつい涙目になってしまった。
改めて自分の原稿(脚本)に感激してしまいました。うまくまとめて下さった
青年さんの編集センスとか音楽センスとか共感できましたし、
勉強になりました。ホッとしてます。

ナレーションは当日生で放送室からの予定。その前に理の親に
観ていただくようです、ドキドキです。親の声で直しが入る可能性が大!

 

 

映像の中で会活動の画像を何枚か使ってまして、
飛鳥山に電車で行かせてもらったときに三河島駅で
撮った集合写真があります。見ながら青年さんが過去に起きた
国鉄戦後史上最低最悪な三河島事故の話をしてくれました。
1962年に起きたそうで、160人ほどの方が出直しているとのこと。
私が4歳のときでした。最悪とはこういうことを言うんだと思う。

知りたくなかったような気がするけど、聞いてしまったって事は、
聞くべきことだったんでしょうかね。
一枚の写真を複雑な心境で見てしまいました。
「そうだったのか・・・」

 

今回のひのきしんをさせていただくことになって
会活動の記録写真はまめに撮っておくべきだって後悔したんです。
私がそう思えば、勝手にデジカメで撮ってパソコンに入れておけば
いいことで。。。日常の写真が大事なんだ。数だね。
記録の重要性を痛感させられた。今度からはそうしよう。



 


3月11日あの頃の事は忘れられない

2016年03月01日 22時25分02秒 | 修養科

3月になった。
テレビで東日本大震災のことをやってます。
そういえば、もうすぐ11日だ。

忘れもしない3月11日だ。

このブログにはほとんど書かれていないのが許せない気がする。
どう書いていいのか、、言葉が見つからなかったんだと思う。

 

 

実家の母の付き添いで2度目の修養科へ行ってました。
3ヶ月経って帰って来たのが2011年の2月27日。
3月1日の上級の祭典日におつとめをつとめて、
ちょうど5年前の今日です!!
11日上級の月次祭の日に震災だった。

そのあとは遠くはなれたこちらのほうも大変でしたよね。
ガソリンは買えない。米は売ってない。食べ物もあまりない。
電気は計画停電。テレビをつければ同じCM。
泣いて暮らしてました、私。修養科から帰ったばかりで
おぢばボケだったみたいです。日常に心も戻れないうちに
大きな地震で、、、、さっきテレビを見てて思い出して、
今も涙が出てきて仕方がなかったんです。

 

3月11日におぢばにいた人たちはあの不自由さや
不安など経験してませんよね。3月11日ゼッタイに忘れません。
忘れられませんよ、体感ってすごいですよね。