FREAKY 13 DEAKY

酔いどれの誇りと踊る熊へ

社会人になるということは

2016-03-13 18:20:23 | 日記
学生時代は一般社会で生産者ではなくもっぱら消費者であるから

いつもお客様側だ。

だからオモテナシを受ける側。

お叱りを受ける方ではなくする方だ。

仕事上私は「学生さん」から社会人に移り変わる時に立ち会うこととその後の姿を見続けることが実は多い。

この春は生意気盛り?の学生卒業新社会人さんの応対が多くなる。

まだまだ社会に「揉まれて」いないから言葉使いから口調や表情まで手厳しい。

しかし、数か月たったころから表情も話し方も劇的に?変わってくる。

揉まれてるからだ。

自分が接客される側からしなければ社会の一員としてやっていけなくなることを理解してきたからだ。

勿論知恵もつく、言い訳も上手になる。

社会を渡っていくとはそういう変化や成長があるということなんだろう。

そこから2段階3段階目と成長の階段がまたやってくる。

責任の重さも格段に違う。プレッシャーも違う。

ベテランになるとはそういうことだ。

大学卒業のころのまさに「使いえない社会人」から出発して30年弱になろうとしている私はどうなのだろう。

成長の階段という人によって基準の違う成長過程を踏んできているのだろうか。

新社会人の垢抜けない幼く素敵な顔を眺めながらつくづくそんなことを考えていた。

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「フォックス・キャッチャー」wowowでやっと観れた。

2016-03-13 12:05:37 | 日記
(ご注意!ネタバレ確実)

ベネット・ミラー監督の演出が好きだな。

よく森林、森が出てくる。

朝露に濡れた感じの森。

そして毎日が曇り空のような灰色トーン。

アマレスの天才兄弟と武器商人として巨万の富を築き上げたデュポン一族の御曹司の悲しい物語。

ジョン・デュポンと天才アマレス選手マークとの「奇妙な友情」を中心に悲惨なラストへ怒涛のごとく突入。

マークも兄も子供の時から二人きりで生きてきた苦労人たちだ。

ジョンは巨万の富はあるが子供の時から金にモノを言わせて母親から友情も用意されてきた孤独の人。

ジョンは分かっている周りの人間は自分を一人の人間として愛してくれているのでなく金だと…。

マークと出逢ってようやくお金じゃなくて共通の夢を持った友を「手に入れる」ことができると思った。

マークの兄に対するコンプレックス、ジョンの厳しく冷たい母に対するコンプレックスが共振しあうのだ。

ジョンが一人の人間として友として何でも言い合える友を必要としていなかった、というか出来なかった。

生まれ育った環境や気質。

人間を支配することでしか接触できない気質。

だから友情は遠からず破綻する。

袂を分かった時に大事な友を奪ったのはマークの兄貴だと身勝手に思い込み射殺する。

なんの落ち度もない人間が殺される、と表面上は映し出される。

しかし贖罪の匂いがする。

苦労人で生きてきた「立派な大人の」兄は自分の家族を大切にしたいあまりにお金でジョンに「囲われる」ことになる。

お金になびいた兄はやはり悪魔の手に落ちた人間として描かれている様に思えた。

チャニング・テイタム。見事な体つくりになっている。この肉体がまたリアリティを生み出している。

強靭で頑丈なな肉体と繊細な心。

兵器にかこまれ国を動かすくらいの富を持ちながら危うい精神をもった富豪の御曹司。

二人はリンクする。

教訓を見い出すこともできる。

血の繋がりとは何か。

友情とはなにか。

なぜ人と人生は思い通りにならないのか。

教えてくれる映画だった。




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