東京郊外の街。
オレが小学校へ上がる前から中学校を卒業するまでの街。
車を飛ばして一時間もかからないところ。
50年前は開発工事全盛期でどんどん人口が増えて平均年齢が20代後半から30代の夫婦の街。活気があった街。夢と希望がそこらじゅうにころがっていた街。
補助なし自転車に乗れるようになっていろんな場所へ冒険の旅に出た。どこまでも広く果てる事のない街。
何処までも続く商店街。
若い夫婦、沢山の子供たち、毎週のようにどこかでイベント。
どこにもなくなった。
シャッター通り。介護ステーションと整体と床屋と美容室がぽつぽつ。
行って戻って15分。果てしなく続いていた商店街ではなくなった。
公園もなくなった。いや公園だった広場には子供ではなく雑草だけだ。
この街にはうら寂しい風とひび割れたコンクリートと残骸だけだ。
俺の過去も残骸だ。
でも六月の薄ら寒い風にあたっていると50年前の活気ある声が聞こえてくる。
汗をかきながら自転車を立ちこぎしている5歳のオレが目の前を通過する。
世のひとは今が大事だと教えてくれる。
賢く努力している人たちが未来に目を向けよと軌道修正してくれる。
でも今俺の目の前に映っている過去の街は今の街だ。
過去があるから今の俺がある。
用済みですとは口が裂けても言えないよ。過去に思いを馳せるのはまだ死んでいない証明。
自分探しなんかしなくていい。後ろを振り返れば自分の足跡がある。
スマホなんか電源切って机に仕舞って外へ出て歩んできた跡を見つめるのが必要な時。