この「手紙」を書き続けているから分かることがある。
顏も姿かたちも見えぬからその人の発した言葉に魂の輪郭が見えてくることがある。
本当のことを書いても
嘘を書いても
その人となりが見えてくる。
それがいい。
人は見た目が8割とかでその人となりが評価されてしまいがちだ。
でも見てくれが先立っていないからこそ本質が見えてくる。
むしろ嘘をついた方が本質に迫ってくる気がする。
そうは言ってもシラフなら綺麗にラッピングして送るのだろうけれども。
酔っぱらって狂った頭でとなると包装も雑になっているなとも思う。
それが恥ずかしくて昔は削除したけどだんだん図々しくなってそのままだ。
まあそれも自分の本質なのかとも今は感じる。
僕はここでは51歳で通しているけど本当は78歳かもしれない。
だからどんなものにもなれる。
読んでくれた人が見ぬく見抜かないは別にして。
映画の主人公や脇役のように自分がその物語に出演するのだ。
嘘なら嘘で素敵な嘘もひとつはモノにしたい。
疲れたら休めばいい。
心機一転、姿かたちやデザインをを変えて再スタートも良いと思う。
タイトルにも固執してもいいしなくてもいい。
大好きな生き物と出ても良いしやめても良い。
あくまで自分の気持ちが最優先。
自由な空間がここの強み。
直接の言葉を投げかけないのが僕の信条。
往復書簡じゃないからやり取りもしない。
けれども静かに海の向こうのどこか遠い世界で見守ってますよ。