気になる事  blueのためいき

日々気になる事を記します。共感してくださる方もそうでない方もちょっと立ち止まって考えて頂ければ、うれしいです。

朝鮮人追悼碑「日本に不要」自民杉田氏、歴史修正扇動

2024-02-04 12:44:29 | 腹立たしい

朝鮮人追悼碑「日本に不要」 自民杉田氏、歴史修正扇動(共同通信) - goo ニュース
2024/02/03 18:37

 自民党の杉田水脈衆院議員は3日付のX投稿で、過去の教訓を伝える各地の朝鮮人労働者追悼碑を取り上げて「うそのモニュメントは日本に必要ありません」と書き込んだ。県立公園の追悼碑撤去に踏み切った群馬県の動きに呼応している。歴史修正主義やレイシズムをあおる言説で、強い批判を招きそうだ。

 投稿で杉田氏は、群馬県が追悼碑撤去工事を終えたと伝える新聞記事を引用し「本当に良かったです」と強調。「日本国内にある慰安婦や朝鮮半島出身労働者に関する碑や像もこれに続いてほしい」と訴えた。所在地の自治体や住民は群馬県を見習い、撤去に動くべきだとの趣旨。

 群馬県の碑撤去を巡っては、犠牲者と朝鮮民族への冒涜であり、負の歴史を否定する恥ずべき行為だとして、反対運動が起きていた。県は現場の公園を閉鎖し、2日までに取り壊した。碑には「記憶 反省 そして友好」と刻まれていた。

 杉田氏は投稿で「京都にある徴用工像」の画像も添付。「私有地ということで、撤去できない状態」「こちらも早く撤去できればいいのですが」などと記した。

天気のライン素材(雪)

報道機関なら想像で記事を書く前に事実を確認して欲しい。

共同通信の記事の「歴史修正主義やレイシズムを煽る言説で強い批判を招きそうだ

この記事こそ読者を煽り、記者の考えに誘導しているように思えます。

 

因みに群馬の森の朝鮮人追悼碑が撤去した経緯、理由は産経新聞が報道しています。

●追悼碑は平成16年、市民団体の申請に県が「政治的行事を行わない」との条件付きで認めた。
 
●追悼式で「強制連行の事実を訴え、正しい歴史認識を持てるようにしたい」との発言が。
 
●設置の条件に違反した為、設置の更新をしないと決定。
 
●設置更新に不服とした設置団体は訴訟したが最高裁で敗訴。 

朝鮮人追悼碑の撤去開始 群馬県が代執行、費用約3千万円は団体側に請求 - 産経ニュース (sankei.com)

 

共同通信は全国の地方紙に配信しているので影響は大きいです。

では実際はどうだったのか。

杉田さんは過去にどんな取材をしていたのか、気になったので調べてみました。

まずは共同通信が問題としている杉田さんのX ⇩ 

 画像の徴用工像は韓国の日本の総領事館前に設置しようとした像でモデルは日本人。

製作者は有名な日本大使館前に設置された慰安婦像と同じ作者で、

確か北海道の炭鉱での日本人工夫の写真が元になっていると記憶しています。

 

で、この像は私有地に設置されているので撤去は難しい様です。

そう聞くと、杉田さんの発信は行き過ぎだと思う人も多いでしょうが、

ここからが問題です。やはり慰安婦について事実を発信し続けている杉田さんは左派のマスコミは嫌いなのです。

ですから常に杉田さんの発言やXを注視しているのではと。

もしかしたら杉田さん専属班がいるのではと思う程です。

というのも徴用工像が設置されているのが私有地と聞くと、個人で何と物好きなと思ってしまいます。

でも、ただの私有地ではありません。

個人の庭先に建てているのとは訳が違うのです。

設置場所は「丹波マンガン記念館」

 

ちょっと時系列がごっちゃですが、「丹波マンガン記念館」に建てられた徴用工像の実態です。

 

こちらは丹波マンガン記念館のホームページですが、植民地支配やら強制連行の記述が目立ちます。

丹波マンガン記念館 (tanbamangan.sakura.ne.jp)

 

ところがこのプロパガンダともとれる施設が京都市の推薦?施設としているのも問題だと思うのです。

丹波マンガン記念館 | 京都ミュージアム探訪 (kyoto-museums.jp)

門川市長の挨拶には「京都に息づく日本の奥深い文化を心ゆくまで堪能していただきたい」との文言が。

これが日本の奥深い文化ですか?

京都市が「京都ミュージアム」に指定しているからか、大学生も多く訪れているようです。

じわじわと日本国内でも反日思想が拡散され、若者への影響も大きいと思います。

これでは愛国心は芽生えませんよね。

 

因みに徴用工の実態は高市早苗さんが個人のコラムに書かれています。

ここまで過去の資料で強制連行ではなかったと分かっているのに政治家もジャーナリストも無視しているのです。

そんなに韓国に寄り添いたいのかと。

そんなに日本が嫌いなのかと思ってしまいます。

 

丹波マンガン記念館はどういうところか、高市さんの徴用工についての考えと共にご覧頂ければと思います。

「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに戦時中の徴用労務者について」という外務省資料 | 5期目だ!野党だ!!永田町通信 平成21年10月~平成24年12月 | コラム | 高市早苗(たかいちさなえ)

 

 

 

 

 
 

 

 

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【チャンネル正論】群馬の森・追悼碑をなぜ撤去しないといけないのか

2024-02-04 10:14:00 | 動画

群馬の森・追悼碑をなぜ撤去しないといけないのか

群馬県の県立公園「群馬の森」(高崎市)に建立された朝鮮人追悼碑が県の行政代執行で撤去されたことをめぐり、メディアが「歴史改ざんに手を貸す」「きわめて危うい事態」などと問題視している。

だが、追悼碑に問題はなかったのか。なぜ行政代執行に至ったのか。

月刊「正論」編集長、田北真樹子と編集委員、安藤慶太が解説する。

なぜ日本人は私たちの先祖(親や祖父母、曾祖父母)を信じないのか。

なぜ反日国に捏造歴史を基に批判されても言い返さないのか。

特に調査能力のある国会議員、マスコミは過去の資料を調べないのか。

そう訴えたいです。

徴用工と呼ばれている朝鮮半島出身労働者。

徴用ではなく自ら応募した応募工だと言われています。

徴用工と言う根拠、そして応募工と言う根拠は何かです。

 

初めて知りました。

高市早苗さんが過去の資料を調べていた事を。

そしてその内容に納得し、更には国内外にこの資料を示せば徴用工裁判も違ったものになるのではと。

マスコミの力は大きいです。

マスコミの主張に反論すれば糾弾されます。そして左翼政党も一緒に叩き始めます。

そして議員は委縮し、強く言えなくなるのです。

昨今の文春砲によるゴシップ記事、女性週刊誌の秋篠宮一家叩き。

いつから日本は週刊誌に世論が操られる様になったのでしょう。

日本のマスコミなら本来の責務は何か、何を購読者に伝え、そして購読者の利益は何かを考えてもらいたいです。

週刊誌を売って儲ければ名誉棄損で訴えられてもどうって事ない、そう思っているようです。

 

話が逸れましたが、是非高市さんのコラムを読んで事実は何か知って欲しいです。

「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに戦時中の徴用労務者について」という外務省資料 | 5期目だ!野党だ!!永田町通信 平成21年10月~平成24年12月 | コラム | 高市早苗(たかいちさなえ) (sanae.gr.jp)

2010年04月02日の高市さんのコラムです。

これは3月10日の衆議院外務委員会での高市さんの質疑で、産経新聞にも掲載されたようです。

以下引用します。(原本ひらがなを漢字に、読点を省略した部分あり)

資料は「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」

(記事資料 昭和34年7月11日:昭和35年2月外務省発表集第10号より抜粋)

昭和34年に外務省が作成し発表ですかられっきとした公文書です。

1、第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、また現在日本に居住している朝鮮人の大部分は日本政府が強制的に労働させるために連れて来たものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが事実に反する。

1939年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人であつたが、1945年終戦直前にはその数は約200万人に達していた。

 そして、この間に増加した約100万人のうち、約70万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるのであり、残りの30万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少部分である。
 しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。
 
 元来国民徴用令朝鮮人(当時はもちろん日本国民であつた)のみに限らず日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに1939年7月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく1944年9月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施された。

 かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは1944年9月から1945年3月(1945年3月以後は関釜間の通常運航が杜絶したためその導入は事実上困難となつた)までの短期間であつた。


2、終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。

(1)まず1945年8月から1946年3月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は日本政府の配船によつて約90万人、個別的引揚げで約50万人合計約140万人が朝鮮へ引揚げた。
右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。

(2)ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき1946年3月には残留朝鮮人全員約65万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約16%、約8万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途をえらんだ。

(3)なお、1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、実際に北鮮へ帰還したものは350人にすぎなかつた。

(4)朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかつたが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになつたので、1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。 
 北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思われる。
 こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である。

3、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約61万であるが、最近、関係省の当局において外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人にすぎないことが明らかとなつた。
 そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。
 したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。


国会質問は14年前で、根拠とする外務省が作成し発表したものは65年前です。

なぜ国会議員はこの資料で韓国に反論し抗議しないのか。

朝鮮半島出身労働者裁判は現在進行形です。

もしもこの外務省の資料に誤りがあるのなら国会議員は外務省を追及すべきですし、

信用に値するものなら、この資料を韓国に提示すべきです。

今までの徴用工裁判は何だったのか、長年日本は酷い国だと反日国に言われ、

そして教育の場でも自虐史観を教え込まれ、謝罪に次ぐ謝罪を良しとしてきた日本です。

国会議員は大いに反省してもらいたい。

教育者は大いに反省してもらいたい。

そして事実を伝えなかった多くのマスコミも。

 

 

参考:国会質問はこちら⇩

 

 

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