日本が「北方領土の日」を迎えた7日、ウクライナのゼレンスキー大統領は「北方領土の日において、われわれは日本政府や日本人と連帯する。日本とウクライナで国際法と正義が回復されなければならない」とする声明をツイッター上で発表した。両国の領土を不法占拠するロシアを念頭に、日本とウクライナの連携強化を訴えた形だ。

ゼレンスキー氏はこれまでも、民主主義の価値観を共有し、先進7カ国(G7)の一員としてウクライナを支援する日本を「パートナー国」だと強調。ロシアによる侵略を受けて、昨年3月には日本の国会でオンライン演説し、支援に謝意を表明した。10月にも「北方領土を含む日本の主権を支持する」とした大統領令に署名。ロシアを敗北に追い込むことが領土の奪還につながるとし、日本に対露圧力の強化と支援の継続を求めた。

昨日2月7日は北方領土の日でした。

この2月7日は1855年に日露和親条約が結ばれた日で、この時に日本とロシアとの国境を択捉島と得撫島の間としました。

2月7日:日露和親条約締結。 - 世界史カレンダー

では千島列島最北の占守島はいつ日本領になったのでしょう。

調べてみると、占守島は1875年(明治8年)5月7日、樺太千島交換条約で、日本領となったのです。

私が占守島の名前を知ったのは浅野次郎氏の小説「終わらざる夏」でした。

これは日本がポツダム宣言受諾後の8月18日未明にソ連軍が上陸し戦いが始まった占守島の戦い

を巡る、ほぼ史実に基づいた小説で、この戦いによりソ連軍の北海道への上陸を阻止したのです。

 

ただ以前からちょっと引っ掛かっていたのですが日本が降伏したのはいつだったのかです。

確かに昭和天皇の玉音放送で日本人は終戦を知ったのですが、国際社会ではどうだったのかです。

つまり国際社会が認知したのはいつなのか、です。

wikiによれば日本は1945年8月14日にこの宣言を受諾し、9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に至って第二次世界大戦太平洋戦争は終結した。

とあり、8月14日に受諾を連合国に通告していますが、正式なものは文書への調印だと思うのです。

ですから、ポツダム宣言受諾から降伏文書への署名調印までに攻めてきたソ連軍を批判し切れるのかです。

そう考えると、もう一つの公的なもの日ソ中立条約(日ソ不可侵条約)が拠り所となります。

つまり8月15日の終戦の日以降に侵攻した事よりも不可侵条約を一方的に破った事こそ批判すべきだと思うのです。

(ちょっと気になっていたので今日は書いてみました)

 

ゼレンスキー大統領がTwitterでウクライナ侵攻と北方領土について述べています。⇩