
寺越事件 寺越外雄さんについて(R7.3.6)
令和7年3月6日木曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1777号。
昭和38年(1963)5月、能登半島沖で3人が拉致された寺越事件について、昭二さんと武志さんについてはご家族がそれぞれの活動をされていますが、外雄さんについては支援をしていたお兄さんが亡くなられてほとんど何もできない状態です。
平成6年(1994)に亡くなられているのでできることは限られていますが、少なくとも私たちは忘れてはならないと思います。
1963年(昭和38年)5月11日から12日にかけて出漁中の3人が行方不明に。
寺越昭二は当時36歳、弟の外雄は当時24歳、甥の武志は当時13歳。
寺越嘉太郎の長男が寺越太左衛門、次男が寺越昭二、四男が寺越外雄、
※昭二さんは拉致された時に抵抗した為、その場で殺害された可能性が高い。
※武志さんの父、太座衛門さんは2001年に訪朝した時から武志さん家族と同居。
※武志さんは蓮池薫さんら5人が北朝鮮から帰国する直前の2002年(平成14年)10月3日、
朝鮮労働党員らの副団長として帰国した時の様子がテレビでも報道されていた事を覚えています。
※外雄さんは49歳で亡くなったと荒木さんは述べていますがwikiにには1994年55歳没となっています。
※15年前の「救う会」ニュースの寺越さん拉致事件の記事⇩
昨年9月の武志さんの様子 ⇩
朝鮮労働党の関係者として帰国した時から22年以上経ち、随分老けたとの印象です。
容貌が変わり、年月の流れを感じます。
若者が拉致され、そして何十年も異国で年老いていく。。。。
それが裕福で何不自由なく生活できる国ならまだ救いがありますが、
貧困に喘ぎ、食べる物も満足になく、医薬品も医療機関も満足にない国です。
そして常に監視されている密告社会です。
ビクビクし、極寒の冬に耐え、猛暑の夏にも耐え、我慢に我慢を重ねていると思うと
政府の冷酷さに怒りを覚えます。