人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

中欧4ケ国の旅 ーーなんと言ってもフェルメールーー

2018-01-02 19:59:54 | 旅行

ウイーン2日目の午後は自由散策。せっかくなので美術史博物館を訪ねました。この美術館はハプスブルク家の宮廷美術館で、とくにルーベンスとブリューゲルのコレクションが優れています。この美術館にきて観たかったのは、ブリューゲルの「バベルの塔」とフェルメールの「絵画芸術」の2枚でした。

広い美術館なので、せっかくの絵を見のがさないために音声ガイドを借りましたが、使い方に慣れずフェルメールの絵が見つけられませんでした。なんとも納得がいかず、音声ガイドを返却するときにフェルメールがみれなかったと遠慮がちに訴えると、なんと美術館のマネージャーらしき人がわざわざフェルメールの絵の場所へ案内してくれました。その優しい行為にすっかり感動。そして写したのがこの1枚。何と言ってもフェルメールでした。

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中欧4ケ国の旅 ーーウイーンのシェーンブルン宮殿ーー

2018-01-02 17:23:50 | 旅行

シェーンブルン宮殿はハプスブルク家の「夏の離宮」。マリア・テレジアは子育てのために、手狭な王宮よりこの宮殿にいることが多く、その時代に大改築が行われ、1749年にロココ様式を取り入れた壮大な宮殿が完成しました。シェーンブルンとはドイツ語で「美しい泉」の意味。建物はマリア・テレジア・イエローと呼ばれる黄色い外観で、色鮮やかな花々を配した庭園に調和しています。庭園には現存する世界最古の動物園や大温室もあり、いかにもわが子を愛したマリア・テレジアとフランツ皇帝の愛の巣という感じがします。1814年から15年の「会議は踊る」で有名なウイーン会議の舞台であり、世界遺産となっています。

 

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中欧4ケ国の旅 ーーマリア・テレジアーー

2018-01-02 15:39:44 | 旅行

9月15日(金)。昨日の夜にウイーン入りし、夕食は人気の店”Griechenbeisl”のウインナーシュニツェッレでした。日本のカツレツに似ていますが、なにしろボリュームたっぷりで大きさが私の顔くらいあります。美味しいのですが、全部食べきれずもったいないことをしました。今日はシェーンブルン宮殿に行きます。この宮殿はマリア・テレジア抜きには語ることができません。

マリア・テレジア(1717-1780)は、1740年に急逝したカール6世の跡を継ぎハプスブルク家を23歳で継承します。ほぼ同時期にプロセイン王国の皇帝になったフリードリッヒ2世がシュレジェンに攻め込み、これをきっかけに1748年まで続くオーストリア継承戦争が勃発します。この戦争は何かといえば、オーストリアを囲む列強に対しマリア・テレジアがその継承を認めさせるという戦いです。列強はハプスブルク家の領土を虎視眈々と狙っていたのですが、その間、マリア・テレジアは国内体制の近代化や兵力の増強に努め、8年の歳月をかけ相続の承認させることに成功します。

どんな女性かといえば、才色兼備、何よりも健康で子だくさん、そして全人生を国に捧げた愛国者。オーストリア国民にとっては国を救った恩人で母のような存在だったのでしょう。ウイーンのいたるところマリア・テレジアの姿があります。

この時代、日本では江戸中期にあたり、8代将軍の徳川吉宗の享保の改革から寛政の改革に至る徳川幕府が幕政立て直しに躍起になっていた時期に重なります。そんな時、ヨーロッパでは「3枚のペチコートの共謀」といわれる外交革命が、マリア・テレジア、ロシアのエリザベータ、フランスのポンパドール夫人の間で行われていました。女性が活躍する実に興味深い歴史物語です。

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中欧4ケ国の旅 ーーブラチスラヴァ旧市街ーー

2018-01-02 12:44:03 | 旅行

ブラチスラヴァ城をあとにしてブラチスラヴァ旧市街区を見学しました。なんといっても一国の首都。日本大使館も旧市街のなかの広場の土産物屋の2階にありました。街並みはヨーロッパの童話の世界にタイムスリップしたようでウインドショッピングが楽しめます。この国ははちみつが有名らしく、案内された店でははちみつの瓶詰を買い求めました。

写真は旧市街の時計のある塔をうつしたもの。周りにはEUの庁舎とかがあり、官庁と商業地区がごちゃ混ぜになった街歩きが楽しい賑やかな市街区でした。

 

 

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中欧4ケ国の旅 ーースロバキアのブラチスラヴァ城ーー

2018-01-02 11:08:28 | 旅行

中欧4ヶ国の旅も2か国目。スロバキアに来ました。私の記憶ではチェコスロバキアしかありません。もともとはオーストリア=ハンガリー帝国でしたが、第1次世界大戦後の1918年に独立、チェコスロバキア共和国が誕生し、第2次世界大戦後には社会主義国家となり、25年前の1992年にチェコとスロバキアに連邦を解消し、今日に至っています。スロバキアはスロバキア人の国です。訪れたブラチスラヴァはスロバキアの首都。オーストリア、ハンガリーの2か国の国境に接しており、主権国家の首都としては唯一、市域内に3国の国境があります。数時間の滞在でも訪問国1国制覇。ヨーロッパにいることを実感しました。

写真はブラチスラヴァ城。ドナウ川を見下ろす高台にあり、かつてはハンガリー女王のマリア・テレジアの居になっていました。写真ではわかりませんが、城の四隅にある塔をテーブルの脚に見立てて、「ひっくり返したテーブル」という愛称で親しまれています。

このブラチスラヴァはマリア・テレジアの時代はプレスブルクと呼ばれていました。急逝したオーストリア皇帝の跡を継いだマリア・テレジアは、1741年6月にハンガリー女王の戴冠式にのぞむためにこのブラチスラヴァを訪れました。当時の様子は、ウイーンから数十隻の船でドナウ川を下り、「女王はこの日のためにハンガリー国旗の色に合わせた衣装を身にしているし、船という船が赤白線という国旗で飾られている(『マリア・テレジア』江村洋著)」。若き女王は列国の狭間にあってハンガリーを見方に付ける賭けにでたのでした。

ハプスブルグ家オーストリアの繁栄をもたらしたマリア・テレジアが第一歩を歩みだした場所にいるということは感慨深いですね。城からドナウ川を見下ろし、隣国オーストリアを望みながら暫し時を過ごしました。

 

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