東慶寺の前の前の住職井上禅定和尚の講演記録をもとに、『駈込寺-離婚いまとむかし』から東慶寺歴史散歩の部分のみを抜粋した、『川柳駈込寺』という冊子があります。これは松ヶ岡宝蔵売店で買い求められるのですが、なかなか面白い冊子なので紹介します。
東慶寺は縁切寺とも言われています。離縁・縁切りというと、正月過ぎのめでたさとは程遠い感じを受けますが、やむを得ず東慶寺に駈け込む女性の立場からすれば逆で、新しいし人生の再スタート物語とも言えます。江戸時代の女性は16歳頃に訳も分からず結婚し、お歯黒・眉剃りで未婚女性と区別されていました。いい旦那ならともかく、なかにはとんでもない夫もいたようで、そういう男から救済するのが「縁切寺法」でした。そんな様子が人情の機微を穿つ川柳として残されています。
まずはそんな駈込寺である東慶寺(=松ヶ岡ともいう)を詠んだもの。
出雲にて結び鎌倉にてほどき ; 縁なき衆生を済度する松ヶ岡
江戸や各地から夫から必死に逃れ、東慶寺に駈け込んだ様子を詠んだもの。かんざし一つ投げ入れてもセーフ。粋な計らいがありました。
泥足で玄関上がる松ヶ岡
無事に辿りつき、駈込めたご婦人方の晴れ晴れとした気持ちを詠んだもの。
くやしくば尋ね来て見よ松ヶ岡
東慶寺に駈け込んでもすぐに出られるのではなく、3年間は寺で暮らす必要がありました。
三年のうちに歯もはげ眉も生へ
松ヶ岡出づれば桃や栗がなり
何かあればマスコミなどが追っかけまわす今の時代。胡散くさいもうけ主義の匂いがして面白くありません。江戸時代の川柳をみると大らかで節度があったような気がします。但し不倫は死罪の時代だったことをお忘れなく。