人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

仁和寺と御室派のみほとけ

2018-02-17 10:38:19 | 日記

2月16日。東京国立博物館平成館で開催中の特別展「仁和寺と御室派のみほとけ-天平と真言密教の名宝-」に行ってきました。お目当ては、2月14日から展示が始まった大阪・葛井寺(ふじいでら)の国宝「千手観音菩薩坐像」です。関東に持ち出されるのは江戸時代の出開帳以来で、かつ普段は内陣の奥に納まり、また仏さまの背後を見ることもできませんので、この機会を逃すわけにはいかず出かけた訳です。

孔雀の羽のように広がる手は1041本。多くの千手観音の手は合掌する手を除き40本の手があり、それぞれの手が25本分の働きをするため、40本×25=1000手観音となります。その手のひらには目があり衆生の苦しみを観て音き、そして救いの手を差しのべる。実際に1000本の手があるということはご利益は無限大。材質はキリのようです。読売新聞での大阪大学の藤岡教授の解説では、千手観音像の制作には、東大寺造営などを担った官立工房「造東大寺司」のメンバーが関ったとみて、752年の東大寺の大仏開眼供養のために大量に作られた舞楽面の端材を使用したのではないかと述べられています。何れにしても半端ない労力がかかっており、造立を命じた人の願いが伝わってきます。

第1会場で長い列ができていたのが、像高僅か12㌢の国宝 「薬師如来坐像」。白檀のつややかな素地の上に直接、極細に切った金箔を貼って精密なキリ金の文様が描かれています。これは厨子に納められ、火事の時に持ち出せる大きさになっています。その姿の優美さからご婦人の持仏ではないでしょうか。

そして国宝 「阿弥陀如来坐像」。右側に勢至菩薩、左側に観音菩薩が脇侍として控えています。仁和寺は光孝天皇が仁和二年(886)に建立を発願し、次代の宇多天皇が仁和四年(888)に完成させた真言密教の寺院。歴代の天皇の厚い帰依受けており、創建時の本尊であるこの阿弥陀如来は当時もっともすぐれた工房の作品といわれています。

また仁和寺では現在、観音堂の解体修理が行われていますが、この観音堂は修行の場のため普段は公開されていません。その観音堂が展示室内に再現され、しかもフラッシュを使用しなければ撮影もOK。海外の美術館では一般的ですが国内では滅多になく、この粋な計らいに感心しました。ただ仏像を美術品として鑑賞するか、信仰の対象として拝観するか、仏さまにカメラを向けるのはちょっと抵抗がありましたが、思わずパチリ。やはり凡人でした。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする