人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

曽我 梅の里の旅④ 法蓮寺と満江御前墓

2018-02-19 19:55:20 | 旅行

法蓮寺は別所梅林とは県道72号線を隔て反対側にあります。この県道は東名高速道路の大井松田ICにつながる道でもあり交通量は多く、スピードを出して走る車が多いのでくれぐれも道路の横断には注意してください。その法蓮寺は県道から坂を上った先にあります。日蓮宗のお寺で小八幡の海から引き揚げられたといわれる毘沙門天が安置されています。その法蓮寺の裏に満江御前の墓があり、そこからの別所梅林を見下ろす眺めはなかなかなものです。

満江御前は伊豆の名門で狩野家の三女。伊藤祐親の嫡男河津祐泰に嫁ぎ、曽我の仇討で有名な曽我兄弟を生みました。曽我兄弟のことは本ブログでも紹介しましたので多くは語りませんが、満江御前は曽我兄弟の三周忌が済んだあと出家し、兄弟の菩提を弔って生涯を過ごしたといわれています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曽我 梅の里の旅③ 寶金剛寺

2018-02-19 09:53:54 | 旅行

寶金剛寺は境内の梅林とそこからの箱根の外輪山そして富士山の眺めが素晴らしいお寺です。ちょっと小高い所にお墓があり、すべて富士山の方向に面しています。死んでからのことは分かりませんが、こんなところにいたら毎日が楽しいでしょうね。何か魂が落ち着く場所です。

お寺の縁起によりますと、この寶金剛寺は天長六年(829)に杲隣大徳が創建したとあります。調べてみますと、杲隣大徳は空海の十大弟子の一人で古文書にも名前が出てきます。伊豆の修禅寺を創建したとありますので箱根の山を越えて相模の国に来たのは間違いないかと思われます。また小田原北条氏の祈願所として、江戸時代には徳川幕府の保護を受け隆盛しました。

本尊は地蔵菩薩立像。この地蔵尊は「帯びとけ地蔵」として崇敬されおり、平重盛の妹・高倉天皇中宮徳子が安徳天皇を懐妊した時、平重盛がその安産を祈願したものと伝わります。そのほか国重文の大日如来坐像、県重文の不動明王像など多くの仏様が安置され、このお寺の歴史を感じさせてくれます。また国府津建武古碑もご覧ください。根府川石(安山岩)で造られた石碑で、表面に阿弥陀如来(キリーク)、観音菩薩(サ)、勢至菩薩(サク)の三文字の梵字が刻まれています。

この寶金剛寺をあとにすると次は法蓮寺ですが、道中結構長いので途中、元国鉄総裁石田禮助の住居や臨済宗建長寺派の一徳寺、津島神社を訪ねるのもよいでしょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする