曽我の梅林は別所・原・中河原の三つあります。規模は45ha。35,000本の生産梅林が梅の季節になると咲き誇ります。もともと梅は梅干の原料であり、戦の非常食として古くから重宝されてきました。小田原で梅干が作られたのは16世紀小田原北条氏の時代といわれています。そして曽我梅林が整備されたのは、明治時代の日露戦争の頃。太平洋戦争時には食料増産のため一時縮小しましたが、戦争後に復活し今のようになりました。美しく咲き誇るこの時期に一度は訪ねてみたい場所です。
さて曽我梅林には食用の梅が植えられていますが、その品種は多様で、紅枝垂れ、鹿児島紅梅、十郎梅、杉田、青軸、青軸しだれ、大盃、淡路、白加賀、南高、梅郷、藤牡丹など全てを見分けるのは至難の技です。なかでも十郎梅は曽我十郎の名を取ったのかと思いきや、曽我の梅振興の功労者である元小田原市長の鈴木十郎氏を記念した名前とのことで、梅干用として非常に優れた品種となっています。
写真は別所梅林の中心にある八幡宮。大きな木があり、遠くからの目印になっています。さて次は曽我兄弟縁の城前寺に行きましょう。