人生悠遊

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実朝を識る --『右大臣実朝』(太宰治)--

2020-08-05 20:49:29 | 日記

太宰治が『右大臣実朝』を書いたのは昭和18年(1942)9月、書下ろし長編として錦城出版社より刊行されました。新潮文庫『惜別』の奥野健男氏の解説をみると、太平洋戦争当時、軍の検閲も厳しいなか作者太宰治の様子が分かります。「実朝を書きたいというのは、たしかに私の少年の頃からの念願であったようで、その日頃の願いが、いまどうやら叶いそうになって来たのだから、私もなかなか幸せな男だ。・・・仕事が楽しいという時期は一生に、そう度々あるわけでもないらしい・・・」この時、太宰はただ実朝に夢中だった。小説を書きたい一心であった。その心が、あの戦争下の悪時代に、醇乎たる一人の芸術家、類いなれな文学者を生み出したといえよう。

この『右大臣実朝』は、源実朝のそばに仕えていた従者を語り部とし、都度起きる事件は『吾妻鑑』から引用し、語り部が実朝の様子や周りで起きる事件を客観視するかたちになっています。そして随所に実朝の本音が独り言となり、読者をハットさせます。例えば、「平家ハ、アカルイ。」「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」等です。また読んでいて不思議に思ったのは、引用されている『吾妻鑑』が、人物往来社から出版された『全譯吾妻鑑 全五巻』(永原慶二監修、貴志正造訳注 昭和51年)の内容とほぼ同じ点。『吾妻鑑』の漢文体からの訳は戦前にはなされており、太宰治はそれを使い小説に仕立てたと思われます。従ってこの小説は太宰流の『吾妻鑑』の解説本として読んでも面白いですね。冒頭に書いたように、太宰治の熱意が伝わってくる小説であり、数ある実朝本のなかでも私のイチオシのものです。ただ好き嫌いがありますので、まだ読んでない方は一度読んでみて下さい。

さて写真は芦ノ湖で箱根峠から見下ろしたものです。実朝は生涯何度も二所詣で訪れました。『金槐和歌集』に峠で詠んだ歌があります。

   タマクシゲ箱根ノ水海ケケレアレヤ二クニカケテ中ニタユタフ

ケケレというのは東言葉で心の意。そして二クニは相模と伊豆のこと。この歌なども、人によっては、この歌にこそ隠された意味がある、将軍家が京都か鎌倉か、朝廷か幕府かと思いとどまっている事を箱根ノミウミに事よせて詠んだなどという人もいるらしいですね。やはり実朝には歌があるから妄想が働きやすい。それが魅力で人気があるのではないでしょうか。

 

 

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