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円覚寺を訪れ、最初に目に入るのは総門の「瑞鹿山」の扁額。そして三門にあるのが伏見上皇(1265-1317)の筆跡を写した「円覚興聖禅寺」の扁額。そしてさらに進むと仏殿があり、その扁額には「大光明宝殿」と書かれています。『かまくら子ども風土記』には北朝第四代である後光厳天皇(1338-1374)の筆跡を写したものと書いてありますが、どうも『華厳経』の世界を表わした文字のようです。
奈良の東大寺は華厳宗のお寺で毘盧遮那仏が本尊。円覚寺のご本尊は宝冠釈迦如来ですが、毘盧遮那仏そのものとされ光の仏(光明遍照)と言われています。その仏が安置されている建物が「大光明宝殿」。まさに円覚寺の仏殿には『華厳経』の世界が広がっている訳です。また南北朝初期(1334-1338)のものとされる「円覚寺境内絵図」には、現在の黄梅院のある場所に華厳塔(華厳経を納めた塔)が建っています。では『華厳経』はどんなものか?『華厳の思想』(鎌田茂雄著)、『華厳経入門』(木村清孝著)、『華厳の研究』(鈴木大拙著)等をテキストにしました。
華厳経はインドで生まれ、タクマラカン砂漠のホータンで編纂、中国で翻訳されました。『法華経』は絶対に滅びることのない永遠の真理(妙法・正法)を「法」のかたちで説いたお経。『華厳経』は大方広仏華厳経とも言われ、仏を重視した経典です。砂漠の星空をみて広大無辺の宇宙と仏とを一体化したのでしょう。そして華厳宗は開祖・杜順(557-640)、二祖・智儼(602-668)、三祖・法蔵(643-712)、四祖・澄観(738-839)、五祖・宗密(780-840)と続きますが、唐の則天武后の時代の法蔵から時を経て宗密の時代になると禅の影響を強く受けました。その華厳経「性起品」の仏性現起(あらゆる衆生には仏性が備わっていること)の考え方は禅宗の考え方とほぼ同じですし、江戸時代に活躍した白隠禅師は、人々は光輝く仏性を備えており、この娑婆はそのまま光輝く浄土で、みな毘盧遮那仏の真理の世界に住んでいるのだと語っています。
以上、円覚寺が華厳経の影響を強く受けていることは分かりました。しかし誰が、何のために華厳の世界を求めたか?はまだ不明です。妄想ははたらくのですが・・・。
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