二階堂に坂東三十三観音霊場の第一番札所杉本寺があります。金沢街道より急な石段を登り、杉木立のなかの何枚も千社札が貼られた茅葺の本堂の前に立つと、観光の対象というより観音信仰の霊場にきたという思いを強くします。天台宗のお寺らしく堂内の様子はどこか湖東三山のお寺に似ており、鎌倉にはあまりないお寺です。三体(うち二体は国重文)の十一面観音立像はお堂の奥に置かれており、暗くそのお顔を直に覗うことはできませんでしたが、平安時代末から鎌倉時代に造られたもののようです。いくつかの仏像の中で興味を持ったのは「三十三応化身立像」でした。観音様が姿を変じ救いの手を差し伸べるといった信仰によるもので、奈良や京都のお寺でも見たことがなく珍しく感じました。
寺の縁起を見ると、光明皇后発願、開山は行基になっています。観音信仰の霊場に相応しい歴史が必要だったのでしょうが、実際は杉本城との関係が深く、この地に三浦一族の出城があり、その一部にあったという説が正しいような気がします。太平記にも1337年に奥州から後醍醐天皇のもとに馳せ参じる北畠顕家が杉本城を攻めたとありますが、その時斯波家長ら300余人戦死したようです。まあ史実はどうあれ寺の価値を損ねるものではないでしょうから、ありがたく合掌して杉本寺を後にしました。
寺の縁起を見ると、光明皇后発願、開山は行基になっています。観音信仰の霊場に相応しい歴史が必要だったのでしょうが、実際は杉本城との関係が深く、この地に三浦一族の出城があり、その一部にあったという説が正しいような気がします。太平記にも1337年に奥州から後醍醐天皇のもとに馳せ参じる北畠顕家が杉本城を攻めたとありますが、その時斯波家長ら300余人戦死したようです。まあ史実はどうあれ寺の価値を損ねるものではないでしょうから、ありがたく合掌して杉本寺を後にしました。
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