タイトルは『貞観政要』(ちくま学芸文庫;守屋洋訳)の解題でみつけましたが、「ひんけいのあしたにするは、これいえのつくるなり」と読むようです。中国、唐の草創者である太宗の妻文徳皇后の言葉で、「女がでしゃばるのは家を滅ぼす元」という意味です。
鎌倉時代の歴史を勉強していますと、その身を滅ぼしたり、世の乱れを起こす原因となった陰には女の存在があります。後白河院の愛妾丹後の局(高階栄子)、北条時政の後妻牧の方、義時の後妻伊賀氏、将軍宗尊の妻近衛宰子などです。文徳皇后は臨終を迎えたとき、「房玄齢ほどの名臣を遠ざけるな」、「妾の縁者を顕要の地位につけるな」、「妾の葬儀は簡素なものとする」の三つの遺言を残して亡くなりました。
さて頼朝の妻北条政子はどうだったのでしょうか?北条政子はこの『貞観政要』を和訳させるほどの愛読書だったようで、以後、北条氏は代々、この書を治政の参考書として重んじました。頼朝が亡くなってからは、「尼将軍」として権力をふるいましたが、頼朝が生きていいる間はあまり表舞台に出てきません。女がでしゃばるのはよしとしなかったかもしれません。
この『貞観政要』は、機会があればこのブログでも取り上げていきます。毎日が日曜日の私にはあまり役に立つことはないでしょうが、世の中を客観的にみるにはいい教材であると思います。写真はトイレの窓から見た雲。雲龍の形をしているので写しました。妄想かもしれませんが・・・。
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