人生悠遊

写真付きで旅の記録、古都鎌倉の案内などを、周りの人の迷惑にならないように紹介していきます。

曽我 梅の里の旅⑤ 曽我別所梅林

2018-02-20 21:21:03 | 旅行

曽我の梅林は別所・原・中河原の三つあります。規模は45ha。35,000本の生産梅林が梅の季節になると咲き誇ります。もともと梅は梅干の原料であり、戦の非常食として古くから重宝されてきました。小田原で梅干が作られたのは16世紀小田原北条氏の時代といわれています。そして曽我梅林が整備されたのは、明治時代の日露戦争の頃。太平洋戦争時には食料増産のため一時縮小しましたが、戦争後に復活し今のようになりました。美しく咲き誇るこの時期に一度は訪ねてみたい場所です。

さて曽我梅林には食用の梅が植えられていますが、その品種は多様で、紅枝垂れ、鹿児島紅梅、十郎梅、杉田、青軸、青軸しだれ、大盃、淡路、白加賀、南高、梅郷、藤牡丹など全てを見分けるのは至難の技です。なかでも十郎梅は曽我十郎の名を取ったのかと思いきや、曽我の梅振興の功労者である元小田原市長の鈴木十郎氏を記念した名前とのことで、梅干用として非常に優れた品種となっています。

写真は別所梅林の中心にある八幡宮。大きな木があり、遠くからの目印になっています。さて次は曽我兄弟縁の城前寺に行きましょう。

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曽我 梅の里の旅④ 法蓮寺と満江御前墓

2018-02-19 19:55:20 | 旅行

法蓮寺は別所梅林とは県道72号線を隔て反対側にあります。この県道は東名高速道路の大井松田ICにつながる道でもあり交通量は多く、スピードを出して走る車が多いのでくれぐれも道路の横断には注意してください。その法蓮寺は県道から坂を上った先にあります。日蓮宗のお寺で小八幡の海から引き揚げられたといわれる毘沙門天が安置されています。その法蓮寺の裏に満江御前の墓があり、そこからの別所梅林を見下ろす眺めはなかなかなものです。

満江御前は伊豆の名門で狩野家の三女。伊藤祐親の嫡男河津祐泰に嫁ぎ、曽我の仇討で有名な曽我兄弟を生みました。曽我兄弟のことは本ブログでも紹介しましたので多くは語りませんが、満江御前は曽我兄弟の三周忌が済んだあと出家し、兄弟の菩提を弔って生涯を過ごしたといわれています。

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曽我 梅の里の旅③ 寶金剛寺

2018-02-19 09:53:54 | 旅行

寶金剛寺は境内の梅林とそこからの箱根の外輪山そして富士山の眺めが素晴らしいお寺です。ちょっと小高い所にお墓があり、すべて富士山の方向に面しています。死んでからのことは分かりませんが、こんなところにいたら毎日が楽しいでしょうね。何か魂が落ち着く場所です。

お寺の縁起によりますと、この寶金剛寺は天長六年(829)に杲隣大徳が創建したとあります。調べてみますと、杲隣大徳は空海の十大弟子の一人で古文書にも名前が出てきます。伊豆の修禅寺を創建したとありますので箱根の山を越えて相模の国に来たのは間違いないかと思われます。また小田原北条氏の祈願所として、江戸時代には徳川幕府の保護を受け隆盛しました。

本尊は地蔵菩薩立像。この地蔵尊は「帯びとけ地蔵」として崇敬されおり、平重盛の妹・高倉天皇中宮徳子が安徳天皇を懐妊した時、平重盛がその安産を祈願したものと伝わります。そのほか国重文の大日如来坐像、県重文の不動明王像など多くの仏様が安置され、このお寺の歴史を感じさせてくれます。また国府津建武古碑もご覧ください。根府川石(安山岩)で造られた石碑で、表面に阿弥陀如来(キリーク)、観音菩薩(サ)、勢至菩薩(サク)の三文字の梵字が刻まれています。

この寶金剛寺をあとにすると次は法蓮寺ですが、道中結構長いので途中、元国鉄総裁石田禮助の住居や臨済宗建長寺派の一徳寺、津島神社を訪ねるのもよいでしょう。

 

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曽我 梅の里の旅② 菅原神社

2018-02-18 20:04:56 | 旅行

ご存じの通り菅原神社といえば祭神は菅原道真。鎌倉の荏柄天神社と同じです。梅の里に最もふさわしい神社ではないでしょうか。曽我梅林が先か、菅原神社が先かといえばもちろん菅原神社が先で創建は正暦五年(994)です。なんでも貴人が海岸に漂着し、その貴人のお告げで菅原神を祀ったとのこと。

この菅原神社、近郷近在の神様を合祀しているので、いくつもの神様を拝むことができるという大変ありがたい神社でもあります。最も古い諏訪神社はじめ神明社、浅間社、日枝社、稲荷社です。天照皇大神を中心とした系統と大国主命の系統の神々が仲良く祀られています。ありがたくお参りしてください。きっとご利益があります。

また境内に「通りゃんせ」発祥の地の案内がありました。今の若者に「通りゃんせ」を知っているかと聞いても誰も知らないでしょうね。還暦過ぎた者のとってもかすかな記憶しかありません。そしてなぜ発祥の地なのか、これはどうも箱根の関所と関係があるようです。「行きはよいよい 帰りはこわい」 関所を通る人の気持ちを歌ったものかもしれません。ところでもう一か所、発祥地と名乗りを上げている場所があります。それは川越市の三芳野神社。こちらは天神様が川越城の城内にあり、城内の天神様をお参りした帰り道の警備が厳しく、このわらべ歌ができたというものです。さて軍配はどちらに?

次の寶金剛寺は菅原神社から歩いて5分位のところにあります。先を急ぎましょう。

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曽我 梅の里の旅① 国府津駅

2018-02-18 13:23:20 | 旅行

まさに梅の花見の季節。これから数回に亘って曽我梅林までの道筋を案内いたしましょう。スタートはJR国府津駅になります。藤沢から30分位、思ったより近いので一度は訪ねてみたいコースです。

この国府津駅は熱海~函南駅間の丹那トンネルが1934年(昭和9年)に開通するまでは今の御殿場線が東海道線でした。その国鉄は1987年(昭和62年)に分割民営化され、御殿場線は東海旅客鉄道会社(JR東海)の管轄となりました。恥ずかしい話ですが、御殿場線はJR東海だったとは最近まで知らず、それも御殿場線の下蘇我駅ではSuicaが使えないと駅員さんから聞かされて知ったような次第です。箱根の山の向こう側ならまだしも国府津駅までとは、のど元に突き刺さる短剣のようでちょっとビックリです。

写真は国府津駅の1枚。実は城山三郎の『「粗にして野だが卑ではない」 石田禮助の生涯』(文春文庫)の表紙カバーの写真がこうづ駅のホームに立つ元国鉄総裁石田禮助のだったことから、意識して使いました。小説の内容はここでは書きませんが、聞くところによれば、国府津駅の駅舎は石田禮助が自身の退職金をあて建てたものだそうです。男子たる者、商売に徹して生きた後は、「パブリック・サービス」。世のために尽くす。そこではじめて天国に行ける。そういう生き方をした人のようです。俗人の私にはとても真似できません。

話が横道にそれましたが、国府津駅を出て東海道線、御殿場線を「天神暗渠」でくぐり、時宗の光明寺の前を左に行きますと、最初の目的地である菅原神社に着きます。

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