高江雅人  竹工芸職人の独り言  竹工房オンセ

高江雅人  竹工芸を初めて37年、徒然なる出来事をアップしています。

名古屋場所 2

2008年07月17日 04時13分06秒 | 出張

名古屋松坂屋での「日本の職人展」も多くのお客様にご来場、お買い上げ頂きありがとうございました。暑い、蒸し暑い中、本当に良く来て頂いたと思います。

催事終了翌日、恒例の朝歩き、急遽、伊万里焼の福ちゃんを呼び出して、朝のウォーキングに連れ出した。眠っている所を起こされたにも関わらず、「福ちゃん、まだ寝とった?」「ん~、むにゃむにゃ。だいじょうぶだよ、むにゃむにゃ」「一緒に歩こうや!」「ん~、わかった。むにゃむにゃ」と人の良い福ちゃんは決して嫌な顔を見せず、朝から私の散歩に付き合わされた。

20080716075644 ホテルから、北に行くと名古屋名物「金の鯱で有名な名古屋城」その横に、愛知県体育館。今、名古屋場所の最中である。歩いていると、下っ端のお相撲さんが、ビンつば油の匂いを漂わせて、ウロウロしている。入り口には相撲太鼓を打ち鳴らす櫓が作られ、朝早くから「テンテンテン‥」と太鼓を鳴らしている。

相撲取りの様な体型の私と福ちゃんは、相変わらず、子供みたいにアホなポーズで写真をパチリ!20080716080019 朝、7時台だというのに、当日券販売所には列が出来ている。馬鹿話をしながら、福ちゃんとブラリ、ブラリ。

体育館を出て、隣にある名城公園を1週する。ここは、ジョギングやウォーキング、ラジオ体操、太極拳などをするために沢山の市民が歩いている。暫くすると、前方から、背の高いスマートな男が、帽子にサングラス、上下のスウェットスーツで大またに歩いてくる。最初は大きな外人が歩いているのだな?と思っていたが、すれ違った時、「貴乃花」だと判った。やはり、大きい。体型は、スマートで全然相撲取りの体型では無い。私や福ちゃんの方がよっぽど相撲取り体型だ。福ちゃんが「ごっちゃんデスと言い行こうか?」と相変わらず子供の様な事を言う。残念ながら写真は取れなかった。

朝から、ワイワイガヤガヤの一日の始まりであった。

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いみゃーだ先生

2008年07月16日 03時45分26秒 | 友人

松坂屋にやって来ると必ず2回、顔を出してくれる人がいる。名古屋市立北高校の名物男、「たもっつぁん」こと今飯田保先生、標準語では「イマイイダ」と読むが、名古屋弁では「いみゃーだ」と言う。

714_005 40年前から、今と一緒のスポーツ刈り、白衣を着て自転車に乗って校庭を疾走していた。この人の記憶力と行動力には本当に驚かされる。教員生活の間に数千人の生徒を受け持ったであろうが、ほとんどの生徒を覚えている。生徒どころか?生徒の家族のこと、果ては飼っている犬の名前まで知っている。人間の記憶力というのは底知れない物があるのだね?

毎年、保先生から突然、何も前触れも無く「枇杷の種」が送られてくる。この枇杷の種には、薬効性があり、昔から家庭の万能薬として知られている。

ネットで探してみると下記の様な説明が出てきた。

枇杷種焼酎の効能

●胃のもたれ・口内炎・歯痛・歯茎の腫れ・歯槽膿漏等

●のどの痛み・せき等

●内臓の痛みや炎症等

●水虫・切傷・やけど等

●他慢性疾患

外からの手当(患部に直接塗る)と中からの手当(飲む)で多くの方々が実行しておられるようです。

今回、先生が日焼けして少し痩せた印象を受けたので「先生少し痩せまた?」と聞くと、「毎日枇杷を拾いにいっとるで、そう見えるんだろうが」と名古屋弁で答えてくれた。毎日、2時間3時間と枇杷の実を拾って回っているらしい。

「こなぁーだ、枇杷をひろっとったら、パトカーが来やがって‥‥、近所のおっさんが通報しやがったんだゎぁ、警察に言ってやったがや」「とろくさゃーこと言っとっていかんがゃぁ、生っとるもんを採っとるんだ無ぁーで、落ちとるもんを拾っとるんだがや。掃除をしてやっとるみたぁなもんだ。」

その時も、特異な記憶力が威力を発揮する。教え子があちらこちらの警察にいるので、「何処何処の警察署長に電話してみろ、ワシがどんな人間がわかるがや!」とすらすらと、名前と電話番号が出てくる。

そんな、こんなで大変な労力を使って何百キロも集めた枇杷の実を、無償で、その上、自分で送料まで払って全国の知人に送っているのである。 教職は定年退職されている、現在はボランティアで創体法といわれる(整体の一つ)健康法で、あちらこちらを飛び回っている。

ところで、実は最後に、私はこの先生に担任になって貰った事は一度も無く、授業も受けた事が無い。ただ単に北高校の生徒であると言うだけの関係なのだ。

それなのに、この先生は突然、大分県の私の家に泊まりに来たりする。何とも不思議な先生だ。元祖の「金八先生」みたいなイメージかな。

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瑞穂運動場

2008年07月15日 05時04分10秒 | 出張

昨日は、栄町から南東方面に歩いてみた。ホテルを出ると直ぐ裏には「女子大小路」という、名古屋では古くからの歓楽街がある。その中を通ると、夜通し飲んでいたのであろう、酔っ払った若い女の子とホスト風の男がウロウロしている。女子大小路を過ぎると丸太町、此処には私の高校の同級生の実家がある。「美芳苑」という花屋さんだ。ここのお父さん、お母さんにも随分可愛がって頂いた。

20080714060349 更に、進んでいくと鶴舞公園がある。鶴舞公会堂というのは地元では有名なホールで、私も20歳頃、当時大好きだった人に「ダイアナ・ロス」のチケットを買って、ドキドキしながらコンサートを見に行った覚えがある。当時、1チケット5000円くらいだったと思ったが?二十歳そこそこの私には高い物だった。

鶴舞公園を抜けて、さらに進んでいくと御器所から八事方面に途中で「瑞穂運動場」の看板を見つけ、南に進路を変える。御器所から引き返してくればよかったのだが、運動場までだと、ホテルから9キロもある。ちょっと、歩きすぎ?

20080714065659 20080714065724  途中で、ポルシェやフェラーリのショウルームを見つける。子供の頃、スーパーカーブームと言うのがあったが、正に憧れの一度は乗ってみたい車だ。

20080714070824漸く辿り着いた「瑞穂運動場」。名古屋でのスポーツの殿堂である。陸上競技場、野球場、ラグビー場、テニスコート‥‥ありとあらゆる競技が出来るところである。子供の頃は、市電とバスを乗り継いで来た事があるが随分遠かった記憶があるのだが、大人になって歩いてやって来るとは思いもしなかった。

さすがに、片道9キロは歩きすぎた。帰りを計算すると、デパートの営業時間に間に合いそうに無い。途中の新瑞橋から地下鉄に乗って帰って来た。通勤客の電車の中で汗びっしょりのトレーニングウェアーの私は場違いな感じがした。

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反省点いろいろ

2008年07月14日 05時31分05秒 | 出張

名古屋松坂屋での「職人展」も5日が過ぎ、もう終盤である。今回も沢山のお客様、友人、恩師、親戚など、名古屋ならではの賑わいであった。

そんな中、1月の「大九州物産展」の時に、オーダーを頂いたバッグをまだお客様が取りに来られない。何となく、気になっているので、「忘れているのだろうか?」「体調が悪くて出れないのだろうか?」などなどと想像するのだが、一応、「後二日で会期が終ってしまいますが如何致しましょうか?」という気持ちでお電話した。

常連さんでしたら、大体、どんな感じか判るのですが、この方は、初めてのお客様で住所氏名は控えてありますが、顔が思い出せない。

お電話をしてみると、「一昨日行ったのだが、私が他のお客様に接客しており、販売員の人に葉書だけ渡して帰って来た」と仰る。結局、会期中に、もう一度松坂屋に行く事は出来ないので、キャンセルになってしまった。内心は「私に一言、声を掛けて下されば!」と思ったのだが、相手の立場になって考えてみると、「せっかく、松坂屋まで行ったのに、業者は他のお客と話してて、私に全然気付いてくれない、葉書を見れば誰だか判るはずなのに!」とがっかりしてお帰りになったと思う。

「もう少し、細かく気配り、目配りできていたなら、今回の行き違いも無く、お客様にも喜んで頂けたのに」と反省点しきりである。

「すみませんでした。」

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住友生命ビル

2008年07月13日 07時49分51秒 | 出張

20080711061506 今日はホテルから西に歩いてみた。大須観音を通り、名古屋駅方面へ。今では駅前にはホテルマリオットのツインタワーやミッドナイトタウン、ルーセントタワー、モード学園ビルなどなど、高層ビルが立ち並び、最近の名古屋の勢いを象徴している。その中で、駅から少し離れたところに「住友生命ビル」が立っている。

Na102sumitomo私が19歳の時に出来上がったビルである。当時としては名古屋でも一番高いビルとして、脚光を浴びた物である。学生時代や社会人になって間もない頃、ここの屋上ビアガーデン で生ビールを2杯、きゅーと飲み干し、エレベーターで一機に地上に下りて来ると、アルコールと高速エレベーターの気圧の変化で一遍に酔う。こんな、バカな事をしたものである。

この、住友生命ビルが建っている名古屋駅南は、ある意味、都会の裏と表を象徴していた様なところで、方や名古屋一番の高層ビル、方や、この辺りは日雇い労務者の溜まり場でもあった。東京の山谷や大阪の愛隣地区のような所である。公園にその日の日雇い仕事を貰おうとたくさんの労務者が集まり、人扶集めの手配師がワゴン車でやってきては労務者を乗せて行く。その日の仕事にあぶれた人たちは、朝からお酒を飲みながら公園でブラブラしたり、将棋などで賭け事をしている光景が当たり前であった。

今は再開発されて、昔の面影は無い。

20080711064155微かに残っているのは こんな人材派遣や公共のハローワークの看板だけであった。町の中に入って歩いていると、やはり、数人のグループがビールを飲みながら、世間話や将棋を打っていた。携帯で写真を撮っているのが見つかると、袋叩きに合いそうで、さすがに今回は止めにした。

20080711070508 駅方面から戻って来ると、伏見の白川公園に科学館、この公園にも、多くのホームレスがテントを作っていた所であるが、「愛知万博の時に見栄えが悪いから」と機動隊などが強制撤去させたのは、まだ、ついこの間のことである。今は、近所の人たちが犬の散歩にたくさん集まって居り、のどかな公園の風景に変わっていた。

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名古屋松坂屋

2008年07月12日 04時59分48秒 | 出張

昨日は、何とも言えず嬉しくなる一日であった。

711_008 朝一番に甥っ子の啓一がやって来た。今、滋賀県の学校で看護士になるために学校に通っている。丁度、実家に帰っている時に私が松坂屋に来ている事を知り、顔を出しに来た。まー、半分はお小遣いの集金に来たのかも知れない。こちらも、その事は充分承知している。

啓一が帰る時に「宅急便を出してくれ」と私が頼んだのだが、30分ほどして、携帯に電話が掛かってきて、「今、宅急便を出しました。伝票番号は○○○○です。」「そうか、ありがとう」と私が電話を切ろうとすると、「番号を復唱してください」と言う。「へー、そんな対応が出来るようになったのだ。いつの間にか、子供子供と思っていたのに、社会のルールやマナーをちゃんとできるようになったのだ。」と当たり前の事なのだが、妙に感心してしまった。

次に友人の嘉っちゃんが明るい笑顔でやって来た。彼女とのお付き合いも、もう20年来で、私の学生時代の友人の奥さんである。残念ながら、本人は10年ほど前に脳溢血で亡くなってしまった。生前には、私が暮らしている山暮らしに憧れ、毎年、友達を連れて、わざわざ九州まで遊びに来ていた。本人がいなくなった後も、私が松坂屋に来た時に顔を出してくれ、いつも差し入れをしていただく。奇麗で、明るく、飾り気の無い人柄に接すると元気を頂く。

午後からは、小学校の恩師、服部先生がお見えになった。昭和2年生まれというから、もう80を過ぎて居られるが元気だった。私の小学校時代の話を懐かしみながら話してくれる。ちょっと照れながら、「何千人と教え子がいるけど、あなたが一番好きよ!」と仰ってくれる。服部先生は5・6年の時の担任である。一番の思い出は、小学校の謝恩会でのクラスの出し物で、私が企画、演出した劇で、すべて任せてくれた事だ。私は総合司会の役柄で、舞台の上から劇が終った時、ものすごい拍手を貰った事は今でも覚えている。「人は褒めて育てよ!」とよく言われるが、正に、私は服部先生に褒められて、悪ガキだった私を認めてくれて、自信を持つことが出来たのだろう。

その後、高校の同級生の「昌直」が顔を出してくれた。彼も、毎回私が松坂屋に来た時に顔を出してくれる。友人とはありがたいものである。彼との思い出も沢山あるのだが、それはそのうちアップしよう。

それと、何より、私の憧れの人が来て下さった。お客様なので、特徴を書くと差しさわりがあるので書けないが、気品に満ちた美しい方だ。恐らく、この人と話している時の私の顔はデレデレの顔をしているのだろう?(テヘ‥)

幸せを沢山頂いた一日であった。ありがとう。

竹工房オンセ

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名古屋場所

2008年07月11日 05時32分12秒 | 出張

名古屋松坂屋での「日本の職人展」も順調な滑り出しである。初日から、多くの常連さんが朝からお出でくださり、対応に追われる一時であった。昨日の朝歩きは、今まで歩いた事の無い所を歩いてみようと、20080709070629 栄町から北東に進んでみた。4キロほど来た所に「銀栄」?「銀英」?どちらの字で書くのか?忘れてしまったが、名古屋では有名なストリップ小屋がある。今から、35年も前の学生時代に、バスの窓から、この「銀えい」を見ると、頭の中が妄想で一杯になり、目を皿のようにして看板を見つめた物だったが、今は、外見だけから見ると何屋か?判らない。派手なヌードの看板などは出す事が出来ないのであろう。

20080709071222_2出来町から市役所方面に行き先を変え、進んでいると今度は、相撲の名古屋場所のため、市内に借りた「九重部屋」の朝稽古に出会った。

20080709070954 10分ほど、練習風景を眺めてみると、淡々と四股を踏んでいる。この片足を上げて地面に踏み落とす動作は基本中の基本で、素人の私などがやってみると、安定して片足で立っていることが出来ない。まして、千代の富士の様な高々と足を上げる事などは到底無理である。10本も四股を踏んだだけで、へべれけになるのが落ちである。どんな仕事も、基本が大切ですな。

20080709071621 もう少し、進んで来ると、竹細工屋さんを見つけた。名古屋にも、竹細工屋があるのだ。

20080709071605 20080709071645 ビルに囲まれた狭い所に竹が立てかけられていた。ショップの中を覗いてみると、油布さんの篭が飾ってあった。(昨年、一緒にミラノに行った仲間)

何処に行っても、竹細工といえば、別府のものを見ることが出来る。

一般の方は、竹細工と言えば京都と思っている人がいるようだが、それは生産地ではなく、京都のイメージと合わせて、竹製品問屋や竹の販売店が多いと言うことで、竹製品の産地は九州である。

初めてのルートを歩くと、新しい発見があり楽しい。

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トンカツ三昧

2008年07月10日 05時09分21秒 | 食べ物

飾り付けの日に、かねてから約束していた、西春町にあるトンカツ屋さん「いしばし」を訪ねた。ご主人の伊藤さんとは、松坂屋での催事の時に私の作品を買っていただき、奥様にはバッグを、また、ご主人には薬を入れる小物入れをご注文頂き、使ってもらっている。一番最初の出会いは、同じ大分の藍染め屋さん「びぜんや」の多田さんのお客様である。多田さんの所を訪ねて松坂屋に来ておられたのだが、たまたま、奥さまの出身地が大分県安心院町であった。そうです、今、私が住んでいる所だったのです。そんなご縁が重なって、可愛がって頂いてます。

「次回、名古屋に来た時は、必ず食事に行きます!」とお約束していた。5時過ぎに名鉄線「西春駅」についてお電話をすると、ご夫婦で駅まで迎えに来てくれた。忙しい時間に申し訳ない。

初めて、お邪魔したお店は、随分立派な、高級感のある洒落たお店であった。40年この道一筋で遣って来られた、北名古屋では一番と言われるお店である。まずはビールを飲みながら、和風サラダと磯辺上げ、チキンに衣を着けて海苔を巻き上げたものだが、ホクホクとしてビールの抓みに持って来いであ20080708182647 る。その後頂いたのが、脂身の少ないヒレカツとびっくりするほど大きな海老フライであった。この海老の大きさはホント大したものである。最後に、御飯と赤だしを頂いた。

ご主人が忙しい時間なのに、ずっと付いてお話に付き合って頂いた。食卓から回りに目を移してみると、素晴らしい絵や飾り物がいたる所にある。また、奥様がお花が好きなので、山野草などがさり気なく部屋の演出をしている。

20080708192152 その中の一つの絵に目が停まった。何処かで見たことがある?作者を聞いてみると奈良県の画家、左藤勝彦さんの絵だった。この人には30年前にお会いした事がある。遠い記憶を手繰っていくと、長野の農業シンポジュウムで講師で来ていた人だった。

色紙に絵を書いてもらうと、色紙をはみ出して下の机まで飛び出しても、構うことなく力強い絵を書く方で印象に残っている。

このシンポジュウムで私の人生は大きく転換する出会いを頂いたのだ。

何処でどう結びついてくるのか?本当に判らない。そんな事を最近、何故か感じるこの頃である。

結局、この日は 「よく、来て下さった。来てくれただけで嬉しいんだよ!」と、何から何までご馳走になってしった。本当にすみません。ご馳走様でした。

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赤出し味噌の味噌カツ

2008年07月09日 04時11分08秒 | 食べ物

名古屋といえば、言葉、食べ物、ファッション、と独特の文化を持っている。その中でも、特に食べ物は 味噌カツ、味噌煮込みうどん、手羽先、など味の濃いモノが多い。ちょっと甘みのついた味噌をカツの上に掛けてある。一度、食べたらやみ付きになる人と、もう二度と食べたくないという人に分かれるが?

20080708130422昼から、松坂屋の飾りつけ予定であったが、11時半に会場に入ってみるともう荷物が届いていた。1時ころまで飾り付けをして、昼ごはんを、伊万里から来ている福ちゃんに連れられて、「味噌カツ」を食べに行った。名古屋のランチは東京に比べると随分と安い店が多い。栄町の繁華街の真ん中で「串カツランチ」680円、大き目の串カツが2本とキャベツ、赤だし、御飯、漬物、その上、キャベツ、赤だし、御飯はお代わり自由、まだまだ、その上に食後の飲み物まで付いて来る。これは、名古屋名物のモーニングサービスの延長線なのだろうか?  ランチは限定20食に限られていた為、 私たちは「三昧」という、串かつ1本にチキンカツ、豚カツにキャベツ、御飯、赤だし、漬物、食後の飲み物付きで880円。相当な量であった。とても、ダイエットを意識している私が食べる物ではなかったが、全部食べてしまった。

20080708130437 相変わらず、愛想の良い福ちゃん。この人といると、人生が幸せに感じられるのですよね。周りのみんなを幸せにしてくれます。

去年の福ちゃんも良い顔してますね。

http://blog.goo.ne.jp/takae_1/d/20070712

彼が手書きした焼物は、この人の人柄通り、温かくて優しくて、素敵です。是非是非、松坂屋での「職人展」に来られた方は、伊万里焼の福右衛門窯を覗いて見て下さい。きっとあなたが満足する焼物が見つかると思います。

「オンセのブログを見た!」と一言、仰ってください。粗品として、満面の笑みをプレゼントしてくれます。

竹工房オンセ

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予定変更

2008年07月08日 09時53分12秒 | 出張

日本橋三越での催事が終わり、次の名古屋松坂屋での催事まで一日の空時間があった。予定では、山手線一周を歩いてみようと思っていた。一周約35キロ。電車で回れば、役1時間であるが、ブラブラ歩いてあっちを覗き、こっちで楽しみと回れば10時間くらいで回れるのでは?朝、7時に出発すれば夕方、日本橋に戻って来れる、と計画していた。

残念ながら、朝起きると東京地方は一日中、雨のようだ。

急遽、予定を変更して、名古屋に移動した。一日早くチェックイン。市内の地下街を散歩してみた。名古屋には駅前地下街と栄町という繁華街にある栄町地下街と二つの大きな地下街がある。この栄町地下街の真ん中にあるのが、日産ギャラリーだ。昔から、待ち合わせをする格好のポイントになっている。

  久しぶりに覗いてみると、「スカイライン・GT‐R」が展示してあった。目の前に迫ってくる存在感、美しく流れるようなライン、私ぐらいの年代には「ケンとメリーのスカイライン」という2代目のGT-Rが出た頃なんだが、憧れの車であった。Gtrc110

「羊の皮を被った狼」というキャッチコピーが印象に残っている。

20080707171032今、販売されているGT-Rも見かけは大人しいが、最大480馬力、最大トルク60kgと圧倒的な力を持っている。アクセルと踏み込むとシートの中に体がめり込んでいくような感じがする。(だろう) いろんな事を考えながら、思わず衝動買いをしようか?‥‥

値段を見て、フッと我に返った。777万円とあった。

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人生に無駄な事なし!

2008年07月07日 06時00分26秒 | 出張

日本橋三越での「匠の技展」も昨日で終了しました。たくさんの常連さんにもお出で頂き、一年ぶりの再会を楽しむ事が出来ました。また、新規のお客様にも巡り合えバッグやお箸を購入頂きありがとうございました。

私の催事では「竹のハンドバッグ」がメインで販売しておりますが、今回の日本橋三越では、展示スペースの関係で塗装した箸は一切持っていかず、生成りの竹箸「由布」「鶴見」「五画」だけに絞ってみました。

http://take-once.com/SHOP/62298/list.html

使い勝手は抜群。「このお箸に勝るものは無い」と自負しています。そもそも、「箸」という字は竹冠に者と書きます。恐らく、「箸」という字が出来た昔は竹で作っていた物がほとんどだったと思われます。滑りにくく、軽い竹の箸、この季節、お蕎麦や素麺などを食べる時には、滑らないので持って来いです。まー、説明はさておき、このお箸に名前を彫って「名入れ箸」として販売しております。

このお箸が、着実にファンを作っています。単価としては1000円くらいで、小さなモノですが、「チリも積もれば山と成る」で、馬鹿にならないのです。

私が子供の時(小学生の時)、お祖父ちゃんから、毎日、習字の練習をさせられました。正座をして1時間あまり、嫌で嫌で堪らなかったのですが、その時教え込まれた事が45年後の今に繋がって来ているのです。私が下書きもせず、目の前で名前を彫っていくのを見て、お客様が「凄い!字も上手ですね!凄い」と喜んで頂くと、決して自分では字が上手いとは思いませんが、最低限、お客様にお出しする字が書ける様にしてもらったのは、お祖父ちゃんのお陰だと思ってます。

「人生に無駄な事なし」何処でどうつながって来るのか判りませんね!

私が尊敬するイチローさんが、現在の事業を起こすまでの顚末記をブログに書いているのですが、彼が現在に至るまで、すべての事が結びついてくるのです。サラリーマン時代の経験、奥様の人柄、英語が出来る事、そして、お母様が小さい頃に和装の縫い物をしていた事など‥‥すべてが絡み合って、今を作ってきているのですね。この「ICHIROYA繁盛記」は是非、お奨めですから見て下さい。

竹工房オンセ

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小峰ラタン

2008年07月06日 06時07分53秒 | 職人仲間

20080704074526 昨日の朝歩きは、もう一度 国技館の側を通って、もっと北へ北へと歩いてみた。暫く進むとアサヒビールのう〇この形のモニュメント。更に進むと業平橋、2011年には新東京タワーが建つ所である。

その側に、あれっ?何処かで見たことがある?このビルは何処かで見たことがある!そうだ!浅草が世界に誇るコングロマリット、「小峰ラタン」だ。下町の小さな企業が今は世界を征服しようとしている。全世界の後期高齢者をターゲットにベットや椅子、杖、抱き枕etc‥‥。実は新東京タワーも小峰ラタンが広告用に建設しているとの噂も流れている。大したものである。

74_004 この快心の笑顔で全国を行脚しているのが巨大企業「小峰ラタン」の総帥「ショー・オミネだ。最近は国内だけに留まらず、中国、ヨーロッパなど全世界に支店を作ろうと、いろいろ画策している様だ。

70歳を過ぎて、パソコンに挑戦、今では、右手人差し指だけでも、毎分100文字以上をキーボードで叩くという。片手でマシンガンの様にキーボードを叩く姿は驚くべきものがある。

先日の倉員さんは60歳を前に引退されたが、この「ショウ・オミネ」は益々盛ん。得意のマシンガントークは健在である。ショウ・オミネの作品が世界を征服するのも、もう直ぐである。

竹工房オンセ

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とうもろこしの刺身

2008年07月05日 05時40分25秒 | 出張

日本橋三越での四日目。三日目が少しコケたが、また、本日も三越らしいお客様にお買い上げ頂き、まづまづの結果である。本日は、すべて新規のお客様に買っていただき新しい繋がりが広がった。閉店後、東京でネット販売をしている「ネオウィング」の片桐社長と会食をした。別府市出身の片桐さんは元々は橋を作る技術者で三菱系列の会社に勤めていた。途中で、得意なコンピューター関係の技術を買われ、リクルート社へ、そこで培ったノウハウを生かして、40歳で起業した人だ。今では日本橋に会社を構え、年商30数億を売り上げるほどの会社を作り上げた人だ。海外向けに日本のCDやDVDを販売している。関東地区の会社の中で、海外へ向けて郵便物を発送している会社としては一番郵便物が多いそうだ、関東地区で一番という事は恐らく日本一の海外出荷量なのだろう

74_010 別府出身という事で、低迷をしている別府竹細工に新しい販路が作り出せないか?と取り組んでくれている。私と同い年の53才である。ギラギラした商売気は無く、技術職出身らしく、淡々とした雰囲気を漂わせている。

「絶えず変化し続けている社会に対して、自分も絶えず変化していかなくては生き残れない!」 「何か、こちらから情報発信していけば、何か新しい反応が帰ってくる、キャッチボールの中から新しい仕事が生まれてくる」と言う。

片桐さんの会社から、歩いて5分ほどの居酒屋で一杯ご馳走になった。「おばんざい、旬の地魚、お酒  京町家」とある。74_009 珍しいメニューは「とうもろこしの刺身」鮮度の良いとうもろこしを生のまま少し塩をつけて食べるのだが、ほのかな甘みがあり美味しいものだ。2時間近く、将来の竹細工とネット販売の可能性などアドバイスを頂いた。これから、この出会いから何か新しい可能性が生ませて来る様な気がする。

どうも、ご馳走になりました。

竹工房オンセ

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「生き様が墓」

2008年07月04日 09時35分10秒 | 職人仲間

昔、我が師から「生き様が墓!」と教えられた。お墓とは、墓石を積んで大きな物を作るのでなく、あなたの今の生き様が墓になる。と、正にその通りで、自分の生きてきた軌跡が人々の心に残り、その記憶が私の墓になる。

昨日、福岡県八女市の石工「倉員さん」がこの日本橋三越での「匠の技展」を最後に引退される、ということで、内輪での打ち上げ会があった。つい最近まで、この「倉員」という名前が読めなくて「クラカズ」と読むそうだ。珍しい名前である。「クライン」と呼びそうだが、そう呼ぶと「カルバン・クライン」を想像してしまう。背が高くて、金髪のカッコいい人を想像してしまうが、「クラカズ」さんと呼ぶと、目のギョロッとした、メタボリックなお腹をした頭の薄くなったおっさんである。カルバン・クラインとは全然似つかないイメージである。

20080703223507この方と初めてお会いしたのは、名古屋の松坂屋での「大九州展」であった。 「眼つきのキツイ怖そうなおっさんだな」と思ったのが第一印象である。コツコツ・コツコツと蛙の置物を彫っていた。見た目のキツイ人は、案外、情に深い男気のある人が多いのだが、この人も、人伝に聞こえてくる人柄は「人情に厚い誠実な、絶対に嘘が言えない信頼できる人。好き嫌いが激しいが、好きになった人には損得、金勘定は一切無しで全面的に応えてくれる人、小まめに料理洗濯を女房の様にしてくれる‥‥」などである。

普段はあまりお付き合いは無かったのだが、この最後の会だけには参加させて頂いた。20人近くが全員で今までのクラカズさんとの思い出を語り、40年間の石工の労をねぎらった。途中で、三越の名物担当者の金子さんの応援の気持ちを込めて「365歩のマーチ」も飛び出した。20080703223113 

「自分の石工としての最後のステージをこの日本橋三越で締めくくる事が出来て私は幸せだ」と挨拶された。

特に印象的だったのは、会が始まる直前に倉員さんの娘さんからメールが入り、そのメールをエンタティナー大川が情感を込めて朗読した。

「お父さん、40年間ご苦労様でした。私も同じ職人として、職人のお父さんを尊敬しています。ありがとう、ご苦労様でした。」と、

こんな言葉が娘から貰えたら本当に良い人生だったと思う、正に「生き様が墓」だな。

竹工房オンセ

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年1回の同級会?

2008年07月03日 06時27分27秒 | 職人仲間

1年に1回集まる飲み会。ここ、日本橋三越でしか揃わないメンバーである。しな織りの石田さん、籃胎漆器の井上さん、銅器の島倉さん、手作り靴の杉浦さん、紅一点の帽子の高橋さん、それと私の6人である。普通、仲間内での飲み会だと、当たり障りの無い馬鹿話や、翌日になったら忘れてしまう様な事が多いのだが、このメンバーが集まるとちょっと趣が違う。場所は三越から5分くらい歩いた所にある中華料理屋。1年ぶりの集まりなので、この1年間に起きた事、感じた事、やろうとしている事などなど、飲み会というより勉強会という感じである。それぞれに抱えた問題点や経営的なジレンマ、家族の事、話は尽きる事は無い、あっと言う間に閉店時間になってしまった。

72_012 お店を出た後、全員で記念撮影。地面にカメラを置いて、セルフタイマーで撮った。上から覗き込んでいるので、滅多に見れない面白い顔になった。でも、こうやって見ると まだまだ、太い顔をしているな。来年は隣に居る島倉さんくらいの顔にシェープアップしてこよう。

竹工房オンセ

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