疲れました。
娘の下宿にかえってきたのが11時でした。
晩御飯を食べたのが9時半でした。
何に疲れたって、運転です。
高速道路はやはり、便利です。早いし道を考えなくていいし。朝の京都南~栗東と、帰りの栗東~京都東は、大変スムーズでした。
でも、栗東インターでは、第二インターで降りるのを間違えて、第一インターで降りてしまったので、大宝東小につくまでの道のりで時間をとりました。ちょっとしたことで無駄時間を作ってしまい、もっと早くつくはずだったのに、結局9時でした。
児童集会を見て、公開授業を見て、そして研究討議会の打ち合わせ、司会業、全体会・・と研究会は意義深いものでした。会場校は、開校4年目、とてもきれいで、すてきでした。体育館が校舎からつながっているのがすてきですね。フリースペースもあちこちにあり、教室の作りもうらやましかったです。戸棚なんかも家具調で、同じように税金払って教育を受けるのに、通っている子どもたちにとっても、なんだか不平等だと思いました。
歴史が浅い中でも、学校の取り組みはすごいと思いました。ちゃんと子どもたちが育っているのを見て、研修の成果だなあと思いました。
杉田調査官のお話はとてもよかったです。思わず涙してしまいました。初めは、自分の写真が出てきて、自分のプロフィールみたいで、何だこりゃ?と思いましたが、スピーディな語り口と、面白い話術にひきこまれました。大宝東小の公開授業をすべて見て回られ、子どもたちの素晴らしい笑顔の写真と、先生の素晴らしい笑顔の写真をプレゼンに織り込みながら、コメントされていました。会場校の先生たちはうれしかったと思います。途中で、ユズリンの「先生」の歌詞も登場しました。(いつもみたいですけど)
杉田調査官、ユズリンのファンなのかな。
最後のほうの子どもたちのお別れ集会での「旅立ちの歌」の合唱を聞き、子どもたちの一生懸命の表情を見て、また先生へのお礼の言葉の数々を聞いて、涙が出ました。
全校集会で、一年生の前で泣きながら先生や両親へのお礼の気持ちを表現する六年生、そして、その六年生の姿を見ながら、泣いている一年生、心と心がつながる、そして素直に自分の気持ちを表現できる子どもたちに、感動し、涙が出ました。
教師の仕事って素敵だなって思いました。「こんな素敵な子どもたちを特活で育てよう。」って、おっしゃっていました。日々の疲れを忘れ、エネルギー全開で頑張りたいと思ってしまいました。(あんまり頑張ったらあかん!とまた言われそうです。)
司会業も無事終わり、ほっとしました。ちょっとへんてこな先生がいて、私も報告者もちょっとやりこめられましたが、意見がつながり、時間が足りないほどでした。ちょっとここには書けない不満も残りましたが。
充実感を味わいながら帰りましたが、京都東インターからコンサートホールまでが大変でした。娘の大学の定期演奏会が7時から。余裕でつくなあと思っていたのですが、またまた道に迷ってしまいました。
暗くて、また地図の文字が小さくて見えない(情けない・・)ので、かなりカンで走っているとぐるぐるしてしまいました。
京都って広いです。北区なので、端っこです。6時20分くらいにつくかなあと思っていたのに、到着したのは、7時ぎりぎり。すでに駐車場は満車。またそこから、コインパーキングを探さねばならず、お金はかかるし、歩かなきゃいけないし、かなりイライラしました。
コンサートホールも満席に近く、たった一人なのに座席を探すのに必死。前座った舞台の反対側の座席は、指揮者の顔が見え、演奏者がすぐ近くにいておもしろかったのですが、ソリストである娘の先生の表情を見たかったので、今日は後ろの席はいやだと思っていました。何とかやっと座席を見つけ、座って聞くことができました。やれやれです。
後でわかったのですが、プログラムもなんかしょぼいなあと思ってたら、隣の人が持っていたのは、立派なプログラム、どうも足りなくなって、普通のコピー紙に印刷したみたいです。また、損したような気持ちになってしまいました。
演奏会は、豪華でした。ソリスト陣もすごかったし、舞台狭しと座っていたオケとコーラスの人数もすごかった。指揮者の棒が前のバイオリニストに突き刺さりそうな距離でした。迫力もすごかった。
演奏曲目は、ワーグナーの楽劇(ニュルンベルクのマイスタージンガー)前奏曲と
ベートーベンの交響曲第九です。第九をホールで聞いたのは初めてです。コーラスの人たちの待ち時間が長くて、気の毒でした。舞台上で座っているとはいえ、観衆の視線があるのですから、緊張して座っていなければならず大変です。
先生の笑顔は今日はなく(曲が曲ですから)かなり緊張しているように見えました。
長々と書いたように、なが~い一日でした。帰り道のイルミネーションがとても素敵でした。お風呂につかって居眠りしてしまいました。疲れた~
娘の下宿にかえってきたのが11時でした。
晩御飯を食べたのが9時半でした。
何に疲れたって、運転です。
高速道路はやはり、便利です。早いし道を考えなくていいし。朝の京都南~栗東と、帰りの栗東~京都東は、大変スムーズでした。
でも、栗東インターでは、第二インターで降りるのを間違えて、第一インターで降りてしまったので、大宝東小につくまでの道のりで時間をとりました。ちょっとしたことで無駄時間を作ってしまい、もっと早くつくはずだったのに、結局9時でした。
児童集会を見て、公開授業を見て、そして研究討議会の打ち合わせ、司会業、全体会・・と研究会は意義深いものでした。会場校は、開校4年目、とてもきれいで、すてきでした。体育館が校舎からつながっているのがすてきですね。フリースペースもあちこちにあり、教室の作りもうらやましかったです。戸棚なんかも家具調で、同じように税金払って教育を受けるのに、通っている子どもたちにとっても、なんだか不平等だと思いました。
歴史が浅い中でも、学校の取り組みはすごいと思いました。ちゃんと子どもたちが育っているのを見て、研修の成果だなあと思いました。
杉田調査官のお話はとてもよかったです。思わず涙してしまいました。初めは、自分の写真が出てきて、自分のプロフィールみたいで、何だこりゃ?と思いましたが、スピーディな語り口と、面白い話術にひきこまれました。大宝東小の公開授業をすべて見て回られ、子どもたちの素晴らしい笑顔の写真と、先生の素晴らしい笑顔の写真をプレゼンに織り込みながら、コメントされていました。会場校の先生たちはうれしかったと思います。途中で、ユズリンの「先生」の歌詞も登場しました。(いつもみたいですけど)
杉田調査官、ユズリンのファンなのかな。
最後のほうの子どもたちのお別れ集会での「旅立ちの歌」の合唱を聞き、子どもたちの一生懸命の表情を見て、また先生へのお礼の言葉の数々を聞いて、涙が出ました。
全校集会で、一年生の前で泣きながら先生や両親へのお礼の気持ちを表現する六年生、そして、その六年生の姿を見ながら、泣いている一年生、心と心がつながる、そして素直に自分の気持ちを表現できる子どもたちに、感動し、涙が出ました。
教師の仕事って素敵だなって思いました。「こんな素敵な子どもたちを特活で育てよう。」って、おっしゃっていました。日々の疲れを忘れ、エネルギー全開で頑張りたいと思ってしまいました。(あんまり頑張ったらあかん!とまた言われそうです。)
司会業も無事終わり、ほっとしました。ちょっとへんてこな先生がいて、私も報告者もちょっとやりこめられましたが、意見がつながり、時間が足りないほどでした。ちょっとここには書けない不満も残りましたが。
充実感を味わいながら帰りましたが、京都東インターからコンサートホールまでが大変でした。娘の大学の定期演奏会が7時から。余裕でつくなあと思っていたのですが、またまた道に迷ってしまいました。
暗くて、また地図の文字が小さくて見えない(情けない・・)ので、かなりカンで走っているとぐるぐるしてしまいました。
京都って広いです。北区なので、端っこです。6時20分くらいにつくかなあと思っていたのに、到着したのは、7時ぎりぎり。すでに駐車場は満車。またそこから、コインパーキングを探さねばならず、お金はかかるし、歩かなきゃいけないし、かなりイライラしました。
コンサートホールも満席に近く、たった一人なのに座席を探すのに必死。前座った舞台の反対側の座席は、指揮者の顔が見え、演奏者がすぐ近くにいておもしろかったのですが、ソリストである娘の先生の表情を見たかったので、今日は後ろの席はいやだと思っていました。何とかやっと座席を見つけ、座って聞くことができました。やれやれです。
後でわかったのですが、プログラムもなんかしょぼいなあと思ってたら、隣の人が持っていたのは、立派なプログラム、どうも足りなくなって、普通のコピー紙に印刷したみたいです。また、損したような気持ちになってしまいました。
演奏会は、豪華でした。ソリスト陣もすごかったし、舞台狭しと座っていたオケとコーラスの人数もすごかった。指揮者の棒が前のバイオリニストに突き刺さりそうな距離でした。迫力もすごかった。
演奏曲目は、ワーグナーの楽劇(ニュルンベルクのマイスタージンガー)前奏曲と
ベートーベンの交響曲第九です。第九をホールで聞いたのは初めてです。コーラスの人たちの待ち時間が長くて、気の毒でした。舞台上で座っているとはいえ、観衆の視線があるのですから、緊張して座っていなければならず大変です。
先生の笑顔は今日はなく(曲が曲ですから)かなり緊張しているように見えました。
長々と書いたように、なが~い一日でした。帰り道のイルミネーションがとても素敵でした。お風呂につかって居眠りしてしまいました。疲れた~