竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

面白うてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉

2017-07-19 | 芭蕉鑑賞
面白うてやがて悲しき鵜舟かな




季語:鵜舟ー夏  出典:曠野  年代:貞享5年(1688年:44才位)

鵜舟が目の前で、花やかな篝火を焚きつつ活発な鵜飼を繰り広げる時、
面白さはその極に達するが、
やがて川下遠く闇の彼方へ消え去るにつれて
、何とも言い知れぬ空虚な物悲しさだけが心に残る。
 
 
「美濃の長良川にてあまたの鵜を使ふを見にゆき侍りて」との前詞がある。
 
鵜飼は月のない闇夜、舳先に赤々と篝火を焚き、
鵜匠が一人で十二羽の鵜を手綱でさばいて鮎を獲りながら、
川上から川下へと、
何艘も相前後して流れ下る。
その作業が目の前にきて繰り広げられるとき、
見物の感興は最高潮に達するが、
やがて川下に流れ去り、
篝火とともに闇の彼方に消える。
句はその間の「歓楽尽きて哀情深し」という心理を捉えている。

流伴鑑賞
鵜飼を見た経験はまだないが
古今鵜飼を詠んだ句は多い
面白くてやがて悲しい
この一言のなんと思い響きよ
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閑かさや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉

2017-07-18 | 芭蕉鑑賞
閑かさや岩にしみ入る蝉の声



季語:蝉ー夏  出典:おくのほそ道  年代:元禄2年(1689年:45才位)
岩にしみ通るような蝉の声が聞こえて、
あたりのしずかさはいよいよ深まっていくことよ、の意。
蝉の種類は、ニイニイ蝉であるとされている。

流伴鑑賞

芭蕉の代表句とされている

蝉が鳴いていて閑さが極まる
この矛盾に次の解釈が明快だ
蝉の声さえも巌に染み入ってしまいそうだ

ここで芭蕉が詠んだ「閑さや」の句は『おくのほそ道』の中で大きな意義をもっています。
西脇順三郎(詩人、1894—1982)ふうに訳すと、
 
何たる閑かさ
蝉が岩に
しみ入るやうに鳴いてゐる
 
こんなふうになりますが、
蝉が岩にしみいるように鳴いているのなら「何たる閑かさ」どころか、
「何たるやかましさ」ではないか。
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竹の子や稚き時の絵のすさび   芭蕉

2017-07-17 | 芭蕉鑑賞
竹の子や稚き時の絵のすさび
 


季語:竹の子ー夏  出典:猿蓑  年代:元禄4年(1691年:47才位)
竹の子が土の中から顔をを出している。幼い時にはよくこれを絵に描いて遊んだものだ、の意。

流伴鑑賞
俳句は現在を詠むもので
過去を偲ぶようなものは第2等といわれる
この句は筍をみて昔よく絵を描いたことを思う出した」という句だが
その当時の時代や家族そしてそれから現在につながる
人生の来し方までを感じさせる

「絵のすさび」の措辞がなんとも平明だが余韻をかんじた
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此のあたり目に見ゆるものは皆涼し 芭蕉

2017-07-15 | 芭蕉鑑賞
此のあたり目に見ゆるものは皆涼し




季語:涼しー夏  出典:藤の実  年代:元禄6年(1693年:49才位)
河のほとりの水楼に登って眺める景色はまことにすばらしい。
暑さを払う涼風に、
あたりのに見えるものすべてが涼しげである、の意。

※『笈日記』には「十八楼の記」と題する長い文章の末に付記する。
文は、稲葉山麓の賀島鴎歩(おうほ)〈岐阜の油商で俳人〉の水楼から見渡した長良川や、
遠近の農漁村、北方の連山など、
広い眺望を風景画風に描き、
その美景を中国の瀟湘(しょうしょう)八景・西湖十景になぞらえて、
水楼に「十八楼」の名を与えたもの。

流伴鑑賞
句だけで鑑賞すればなんとも平明だが
この句の収まるところをみれば
その深さが解けてくる
俳句は作品の背景と作者を理解することも大切のように感じる
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子ども等よ昼顔咲きぬ瓜むかん 芭蕉

2017-07-14 | 芭蕉鑑賞
子ども等よ昼顔咲きぬ瓜むかん



季語:昼顔ー夏  出典:藤の実  年代:元禄6年(1693年:49才位)
子どもらよ、
昼顔が咲いたぞ。
ここへ集まって瓜をむいて食べようではないか、の意。

流伴鑑賞
芭蕉がここでは一茶のようだ
芭蕉にもこの句があることが嬉しくもある
これも旅の途中なのかもしれない
人恋しい気分も滲んでいる
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京にても京なつかしやほととぎす 芭蕉

2017-07-13 | 芭蕉鑑賞
京にても京なつかしやほととぎす



(季語:ほととぎすー夏  出典:己が光  年代:元禄3年(1690年:46才位)
ホトトギスの声を聞いていると、
現在京都にいながら
いまさら京都が懐かしくなる、の意。

流伴鑑賞
芭蕉は京都をことのほか好んでいたのだろう
たくさんの知己もいて
さまざまな出来事、そして京の街並みや歴史
京に居るからこそそんな感慨がふかまるのだろう
そしてこのほととぎすの声
まちがいなくここは京都なのだ
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五月雨を集めて早し最上川 芭蕉

2017-07-12 | 芭蕉鑑賞
五月雨を集めて早し最上川




(季語:五月雨ー夏  出典:おくのほそ道  年代:元禄2年(1689年:45才位)
折からの五月雨を集めて、
最上川は滔々と急流をなしている。
その速い流れの中を船で下っていくことよ、の意。

流伴鑑賞
芭蕉の代表作ののひとつ
おくの細道でも出色の作品
とうとうと流れのはやい最上川
船上の芭蕉が目に浮かぶ

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記五月雨を降り残してや光堂 芭蕉

2017-07-11 | 芭蕉鑑賞
五月雨を降り残してや光堂



季語:五月雨ー夏  出典:おくのほそ道  年代:元禄2年(1689年:45才位)
じめじめした五月雨も、
ここばかりは降り残したのであろうか、
(平泉中尊寺の)光堂は今も昔のままの光輝を保っている、の意。

流伴鑑賞
何回か訪れた光堂
芭蕉の光堂をみての率直な感慨
降り残しては の措辞は他にみたことがない
写生の中に芭蕉が生きている
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やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉

2017-07-10 | 芭蕉鑑賞
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声




季語:蝉ー夏  出典:猿蓑  年代:元禄3年(1690年:46才位)
盛んに鳴きたてる蝉の声を聞いていると、
秋を待たずに
すぐ死んでしまうような様子は少しも見えない、の意。

流伴鑑賞
芭蕉は目に見えないものを見る
奥深いところを見る
そして事実だけを詠む
だれもが気づいていて言葉にできなかった事を詠む
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あらたふと青葉若葉の日の光 芭蕉

2017-07-09 | 芭蕉鑑賞
あらたふと青葉若葉の日の光



季語:青葉若葉ー夏  出典:おくのほそ道  年代:元禄2年(1689年:45才位)
この日光山一帯の青葉若葉に夏の日が降り注いで、なんとまあ尊げであることよ、の意。

流伴鑑賞
「日光山に詣づ」との前詞があり、四月一日、
日光東照宮参詣の折りの作である。
 「日の光」に地名「日光」を掛け、
初夏の日に映える新緑美の中に
神域の荘厳感を織り籠めている。

日光には句碑がある
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ねぎ白く 洗ひたてたる 寒さかな 芭蕉

2016-12-23 | 芭蕉鑑賞
ねぎ白く 洗ひたてたる 寒さかな



垂井市垂井の泉の句碑


元禄4年10月、芭蕉48歳。
元禄2年秋以来の上方在住から江戸へ戻る帰路、美濃の国垂井の本龍寺での作。
このときの本龍寺の住職は規外(または矩外)で芭蕉の門人。
「葱白く洗ひあげたる寒さかな」は誤伝。
この折、本龍寺の庭を見ての挨拶吟に、「作りなす庭をいさむる時雨かな」がある。


葱白く洗ひたてたる寒さ哉
 古来極めて評価の高い芭蕉秀句の一つ。
寒さを表現するにネギの白さという色彩を用いた独創がその評価を支えているのであろう。
 ところで、『和漢三才図会』という本には、
美濃のネギは白いところが長く一尺以上あるとある。
関東のネギは白い部分が長い根深葱<ネブカネギ>、
関西のネギはアサツキのように葉の方が長い葉葱<ハネギ>とされる。
これから類推すると美濃のネギが東に向かって普及していって、
現在の関東のネギになったことになるが、どうか?


http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/negi.htm転載
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海暮れて 鴨の声ほのかに白し   芭蕉

2016-12-22 | 芭蕉鑑賞
海暮れて 鴨の声ほのかに白し



「海辺に日暮して」と前書きがある。
芭蕉は、海辺に夕日が沈むのを眺めていたのだろう。
暮れて暗くなった海辺にたたずんでいたら、鴨の鳴き声が、うっすらと白く聞こえたというイメージ。

日が暮れても、残像のような鴨の姿がうっすらと白く見えた。
すると、その鳴き声までもが白く聞こえた。

YouTubeで鴨の鳴き声を聞くと、「ピュウルルピュウルル」と鳴くようである。
アヒルみたいに「ガーガー」とは鳴かない。
笛の音のような鳴き声。
それを夕暮に聞けば、哀愁を感じるような「しらべ」となるかもしれない。

「黄色い声をあげる」という言い方があるように、声にも色がついている。
日が暮れるということは、だんだんあたりの白さ(明るさ)が消えていくということ。
したがって鴨の声も、白く見える鴨の姿と一緒に、闇のなかへ溶け込んでしまいそうだという情景なのだろう。

http://blog.ebipop.com/2015/11/winter-basyo.html転載
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旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る   芭蕉

2016-12-20 | 芭蕉鑑賞
旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る



義仲寺境内の句碑(牛久市森田武さん撮影)


芭蕉は、元禄7年9月29日夜から下痢を発病し、病床に就く。10月5日に、
之道<しどう>亭が手狭だったため南久太郎町御堂前の花屋仁右衛門宅離れ座敷に移った。
そして、10月8日深更、呑舟に墨を摺らせてこれを作句した。

『枯尾花』(其角)に、
 「ただ壁をへだてて命運を祈る声の耳に入りけるにや、
心細き夢のさめたるはとて、~旅に病で夢は枯野をかけ廻る。
また、枯野を廻るゆめ心、ともせばやともうされしが、
是さへ妄執ながら、風雅の上に死ん身の道を切に思ふ也、
と悔まれし。8日の夜の吟なり」とある。
 前詞に「病中吟」とあるとおりこれは芭蕉の辞世ではなく、
あくまでも生前最後の句に過ぎない。
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いざ行かん 雪見にころぶ所まで

2016-12-19 | 芭蕉鑑賞
いざ行かん 雪見にころぶ所まで





名古屋市 法生院(大須観音)


ためつけて雪見にまかるかみこ哉
 
「ためつける」とは、着物の折り目を正しく折ることを言う。
雪の宴に招かれて旅の薄汚い紙子のせめて
折り目だけでも正していこうかと詠んでいる。
招いてくれた主人への挨拶吟。
 
いざ行む雪見にころぶ所まで
 
上の句に続いて、さあ雪見の宴に出かけましょう。
雪に足を取られてすってんころりんと転ぶかもしれないけど。
心浮き立つ雪の宴への期待感を楽しく詠いあげた。
 この句は、
貞亨4年12月3日名古屋の門人夕道(風月堂孫助)亭での
雪見の席が初案で、『真蹟懐紙』では;
  書林風月と聞きしその名もや   さしく覚えて、しばし立ち寄
  りて休らふほどに、雪の降り   出でければ

いざ出でむ雪見にころぶ所まで
    丁卯臘月初、夕道何某に贈る とある。これとは別に、

いざさらば雪見にころぶ所まで(花摘)

があって、これが決定稿となった 。
実際は、離別吟である。
『笈の小文』は第2稿であるが、
句の勢いから言えばこれが最も良いと思われるのだが。。。。
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初雪や 水仙の葉の たわむまで 芭蕉

2016-12-18 | 芭蕉鑑賞
初雪や 水仙の葉の たわむまで 



貞亨3年12月8日、43歳。
「初雪や幸ひ庵にまかりある」と同日の作と思われる。

芭蕉庵にいた今日、
待ちに待った初雪が降ってきた。
その雪の重みに耐えかねて水仙の葉が折れ曲がっている。
芭蕉中期のみずみずしい秀句。
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