抱けば熟れいて夭夭(ようよう)の桃肩に昴 兜太
昭和60年、詩經國風より
。
この句集のあとがきに述べているのだが、
一茶を研究するうちに一茶が一年がかりで
中国の最古の詩集「詩經國風」を勉強しているのに注目し、
自分も一茶を理解する為にこれを読み始めたのだが、
ミイラ取りがミイラになり自分も
これを俳句にしてみようと思った、と書かれています。
狙いは言葉にある、句作りを通してことばをしゃぶってみたかった、
それにしても、表意文字はしゃぶりでがある、
漢字と言うやつはじつに楽しい。とも書かれています。
掲句は「桃夭」結婚を祝う詩から想を取って作られています。
「夭夭」は広辞苑に
よう‐よう【夭夭】エウエウ
□[詩経周南、桃夭]若々しくうつくしいさま。
太平記37「―たる桃花の、暁の露を含んで」
□[論語述而]顔色が和らいださま。表情のにこやかなさま。と出ています。
桃と言えば女性の尻を想い描く人も多いようだが、
まことに古今通して、若くうつくしい女性を形容しているのでしょう。
「抱けば熟れいて」、前回の「尻叩け」もそうでしたが、大らかですね。
そして、どきっとするほどに、エロスを感じます。
勿論、熟れるは桃に掛かるのでしょうが、
この表記にはエロスがあって良いなって思います。
「肩に昴」が現代風なのではないかなあ。
作者は、結婚していくうつくしい女性の未来へ、
希望を、幸多かれと願わずにはいられないのであろう。
正に、結婚を祝う句ですね。
私は、今まで、ここに鑑賞はじめてから、
兜太さんの句で一番好きな句は
麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人
なのですが、この句も「詩經國風」の中の句ですね。
兜太さんは詩經を読まれて、ことばを開拓していかれたのですが
ほんとうにことばを開拓していくって大変なことですね。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm