竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

声に汗する原色の中華街 たけし

2020-01-31 | 入選句



声に汗する原色の中華街 たけし



大空に祈りのように木守柿 たけし


NHK全国俳句大会 2句入選

第21回NHK全国俳句大会が26日に顔竿された


自由区2 題詠句1 を投稿していたところ
掲句が入選んし、<声に汗する>が佳作だった

昨日作品集が送られてきて
応募投句数の8万句超にも驚愕したのだが
1人の投句者が何通も投句していることに驚いた

特選にも習作にも佳作にも入選句にも
同じ名前がたくさん掲載されていた
選外句が入選句の5倍あるのだからいったいどのくらい投句したのかと思う

3句で2800円の投句料が必要なのだから大変な金額だ
特選句を味わう前にこちらが気になった

俗人からの脱却はまだ道遠いといという事を感じます
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手袋を脱いで握りし別れかな  川口松太郎

2020-01-30 | 今日の季語


手袋を脱いで握りし別れかな  川口松太郎

手袋を脱いでの握手は素手の握手だ
友愛の深さを感じる
おそらくは互いに力をこめて握りあい
握ったままの手を何度も振ることだろう
別離の悲しみ
再会の念を約束する
(小林たけし)

男同士の別れだ。いろいろな場面が思い浮かぶが、たとえば遠くに赴任地が決まり旅立っていく親友との駅頭の別れなどである。日頃は「手袋の手を振る軽き別れあり」(池内友次郎)程度の挨拶であったのが、もうこれからは気軽に会うこともできないとなると、お互いがごく自然に手袋を脱いで固い握手をかわすことになる。力をこめて相手の手を握り、そのことで変わらぬ友情を誓いあい、伝えあう。このような場合に手袋を脱ぐのはごく自然なふるまいだし、礼節の初歩みたいなものだけれど、脱ぐべきか脱がざるべきか、判断に迷うことが日常には多い。とくに、女性の場合は迷うのではなかろうか。映画で見る貴婦人などは、まず手袋を脱がない。それは貴婦人だからであって、貴婦人でない現代女性は、いったい着脱の基準をどのあたりに定めているのだろう。山口波津女に「花を買ふ手袋のままそれを指し」という句がある。こんな場面を句にしたということは、この行為が自分の価値基準に照らしてノーマルではないからである。本来ならば、手袋を脱いで店の人に指示すべきであったのだ。おタカくとまっているように思われたかもしれないという危惧の念と、急いで花を求めなければならなかった事情との間で、作者の心はいつまでも揺れ動いている。(清水哲男)

【手袋】 てぶくろ
◇「手套」(しゅとう) ◇「マッフ」 ◇「マフ」
手や指を寒さから守るもの。毛糸で編んだものが主流だが、皮革も好まれる。「マッフ」は両側から手を入れて暖める円筒形のもので、小物入れを兼ねたものもあるが、現在ではほとんど使用されない。

例句 作者

手袋を脱ぐとき何か忘れをり 辺見じゅん
仲直りできぬ手袋脱ぎにけり 藤田弥生
月光が革手袋に来て触るる 山口青邨
手袋の十本の指を深く組めり 山口誓子
怒も寒もわが手袋の中なりけり 橘川まもる
玻璃くもり壁炉の上に古マッフ 栗原とみ子
手袋に十指をおさめ耐えるのみ 高橋たかえ
手袋をはめ終りたる指動く 高浜虚子
手袋の手を置く車窓山深み 宇佐美魚目
手袋の手をたゞひろげゐる子かな 松根東洋城
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わが天使なりやをののく寒雀 西東三鬼

2020-01-29 | 今日の季語


わが天使なりやをののく寒雀 西東三鬼

破調の調べに違和感がない
下5のどっしりとした語調の力だろう
句意は読み手に任せきった作者の意図が少し憎い
この句をモチーフにした寺山修司の短歌がある
(小林たけし)

寺山修司の短歌に、「わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る」がある。明らかに、この句の引き伸ばしだ。きつく言えば、剽窃である。若かった寺山さんは、この他にもいくつもこういうことを企てては顰蹙をかいもしたが、どちらが私の心に残っているかというと、これまた明らかに寺山さんの歌のほうなのである。なぜなのだろうか。一つの解答を、同じ俳壇内部から上田五千石が、著書の『俳句塾』(邑書林・1992)で吐き捨てるように書いている。「三鬼句の『叙べる』弱さが流用されたのだ」と……。私は二十代の頃から三鬼が好きで、角川文庫版の句集を愛読した。絶版になってからは、同じく三鬼ファンだった若き日の車谷長吉君との間を、何度この一冊の文庫本が往復したかわからないほどだ。でも、年令を重ねるにつれて、三鬼のアマさが目につくようになってきた。あれほど読んだ文庫も、いまではなかなか開く気になれないでいる。五千石の言うことは、まことに正しいと思う。他方、読者が年令を重ねるということは、こういうことに否応なく立ち合わされるということなのでもあって、この気持ちにはひどく切ないものがある。読者の天使もまた「をののく」寒雀……なのか。(清水哲男)

【寒雀】 かんすずめ
◇「凍雀」(こごえすずめ) ◇「ふくら雀」 ◇「冬雀」
寒中の雀。食物が少なくなると、雀らはますます人家付近に来て餌をあさるようになる。羽毛を膨らませて、いわゆる「ふくら雀」となり餌を漁る。

例句 作者

雪天の暮るゝゆとりや寒雀 西山泊雲
寒雀ひともひとりの顔を出す 加藤楸邨
倉庫の扉打ち開きあり寒雀 高浜虚子
寒雀汝も砂町に煤けしや 石田波郷
寒雀雲にぎやかに浮びたる 飯田龍太
しんがりにつかばや寒の雀とぶ 北崎珍漢
筬の音三つ目は間のび寒雀 殿村莵絲子
来迎図の雲よりこぼれ寒雀 神蔵 器
寒雀身を細うして闘へり 前田普羅
天の国いよいよ遠し寒雀 西東三鬼
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白鳥にもろもろの朱閉ぢ込めし 正木ゆう子

2020-01-28 | 今日の季語

白鳥にもろもろの朱閉ぢ込めし 正木ゆう子

一読、難解句と思えるがそうでもない
白鳥は作者の投影の姿と解すれはわかりやすい
主張や恋情、激しい感情は熱く燃えやすい
色に例えれば真紅であろう
作者は少し抑えて「朱色」にとどめた
白鳥自身にも同じことが言えそうだ
(小林たけし)

朱はあけとも読むが、この句は赤と同義にとって、あかと読みたい。朱色は観念の色であって、同時に凝視の色である。白鳥をじっと見てごらん、かならず朱色が見えてくるからと言われれば確かにそんな気がしてくる。虚子の「白牡丹といふといへども紅ほのか」と趣が似ている。しかし、はっきり両者が異なる点がある。虚子の句は、白牡丹の中に自ずからなる紅を見ているのに対し、ゆう子の方は「閉ぢ込めし」と能動的に述べて、「私」が隠れた主語となっている点である。白鳥が抱く朱色は自分の朱色の投影であることをゆう子ははっきりと主張する。朱色とはもろもろの自分の過去や内面の象徴であると。イメージを広げ自分の思いを自在に詠むのがゆう子俳句の特徴だが、見える「もの」からまず入るという特徴もある。凝視の客観的描写から内面に跳ぶという順序をこの句もきちんと踏まえているのである。『セレクション俳人正木ゆう子集』(2004)所載。(今井 聖)

白鳥】 はくちょう(・・テウ)
◇「スワン」 ◇「鵠」(くぐい) ◇「大白鳥」 ◇「黒鳥」(こくちょう)
カモ科の大型鳥で、オオハクチョウとコハクチョウの総称。ともに全身が白色。嘴の基部は黄色で先端は黒い。オオハクチョウもコハクチョウも、ともにユーラシア大陸北部から秋に飛来する。宮城県の伊豆沼、新潟県の瓢湖、島根県の中海などが飛来地として良く知られている。越冬地では数千羽の大群を見ることもある。

例句 作者

白鳥のつぎつぎに着く身を反らし 鷹羽狩行
白鳥のゐてたそがれの深くあり 平井照敏
白鳥の首やはらかく混み合へり 小島 健
千里飛び来て白鳥の争へる 津田清子
八雲わけ大白鳥の行方かな 沢木欣一
しののめの白鳥声を尽しけり 遠藤甫人
こほるこほると白鳥の夜のこゑ 森 澄雄
白鳥の逢ふも別るも首言葉 星野紗一
白鳥といふ一巨花を水に置く 中村草田男
潮凪いで白鳥の首林立す 栃窪 浩
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狼の声そろふなり雪のくれ  内藤丈草

2020-01-27 | 今日の季語
狼の声そろふなり雪のくれ  内藤丈草

山中深くの一軒宿だろうか
しんしんといつ止むともしれぬ夜ぐれの雪である
寒さはいやおうもなくいよいよ厳しい
しないはずの物音が聞こえたようなきがしてくる
聞いたことのない狼の遠吠え
寒さは増すばかり
(小林たけし)

内藤丈草(1662-1704)は尾張犬山藩士、のちに出家した人。蕉門。もう一度、心をしずめて読み返していただきたい。げにも恐ろしき光景。心胆が縮み上がるようだ。狼の姿は見えないが、見えないだけに、恐怖感がつのる。しかも、外はふりしきる雪。そして、日没も間近い薄暗さ。あちらこちらから間遠に聞こえてきていた鳴き声が、ほぼ一所にそろった。「さあ、里にやってくるぞ」と、作者は恐怖のうちに身構えている。三百数十年前のこの国では、狼がこのように出没していたことが知れる。冬場にエサを求めて里にやってくるのは、カラスなどと一緒だ。句は、柴田宵曲『新編・俳諧博物誌』(岩波文庫・緑106-4)で知った。宵曲は「狼の声の何たるかを知らぬわれわれでも、この句を読むと、丈艸の実感を通して寒気を感ずるほど、身に迫る内容を持っている」と、書いている。「声そろふ」で、きっちりと焦点が定まっているからだ。このように、昔は人と狼との距離は近かった。「送り狼」という言葉が残されているほどに……。「日本における人と狼との間には、慥(たしか)に他の野獣と異ったものがあるので、人対獣の交渉というよりもむしろ人対人の交渉に近い」と、宵曲は書いている。(清水哲男)

【狼】 おおかみ(オホ・・)
◇「山犬」
食肉目イヌ科イヌ属。まさにイヌの祖先。ニホンオオカミはすでに明治38年に絶滅したとされる。家畜を襲うことから害獣とされたり、毛皮が高値で取引されたこともその一因であろう。しかし一方でオオカミを神の眷属として祀る神社もある。人間との深い関わりを示す例であろう。

例句 作者

沼涸れて狼渡る月夜かな 村上鬼城
天に天狼日本狼死に絶えし 島 世衣子
狼や剣のごとき月の弦 細木芒角星
山河荒涼狼の絶えしより 佐藤鬼房
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冬麗や象の歩みは雲に似る  大橋俊彦

2020-01-26 | 今日の季語


strong>冬麗や象の歩みは雲に似る  大橋俊彦


冬の日溜まりにつつまれて眠気も少々
縁側から見る空には
もう春を告げそうな厚樹大きな雲が浮かんでいる
しばらくしてまた見上げるとその雲はわずかに動いているようだ
像象歩みのようだな
いや象のほうが雲のようなのか
(小林たけし)

雲に象のかたちを見てとることはあっても、地上最重量の象を見て、雲と似ているなど誰が思いつくだろう。とはいえ、言われて動物園などで目の当たりにしても象の歩みは、どしんどしんと地を響かせるようなものではなく、対極のひっそりした趣きさえたたえている。これは側対歩という同じ側の足を踏み出し、前足のあったところにきれいに後ろ足が重なるという歩き方のためと、足底に柔らかいパッド状に脂肪が付いていることによるのだというが、象のもつ穏やかで優しげな雰囲気もひと役買っているように思う。以前、タイで象の背に乗ったという友人が「思いのほか揺れた」と言っていた。もしかしたら、雲もまた乗ってみれば思いのほか揺れるものなのかもしれない、などと冬の青空に浮かぶ雲を眺めている。〈梟の視界の中を出入りせり〉〈冬至湯の主役にゆず子柚太郎〉『深呼吸』(2011)所収。(土肥あき子)

【冬麗】 ふゆうらら
◇「冬麗」(とうれい)
厳しい冬の寒さは、時折、空のよく晴れたあたたかで穏やかな日和を人々にもたらす。日影も美しい。小春は初冬だが、それ以降の日和を指す。

句 作者

冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ 大野林火
冬麗の微塵となりて去らんとす 相馬遷子
冬うらゝ雲上雲の仏たち 中川宋淵
冬麗の陽を載せ誰も居ぬベンチ 楠本憲吉
冬うらら空より下りて鴎どり 三好達治
湯の池に鰐のねむりも冬うらら 古賀まり子
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ごみ箱のわきに炭切る余寒かな 室生犀星

2020-01-24 | 今日の季語


ごみ箱のわきに炭切る余寒かな 室生犀星


炭と余寒 は季語重なりというむきもあろうが
私には今冬一番の発見句といえる
作者にも驚いたがこれほどの句にはめったに遭遇しない
ゴミ箱のわきで炭を切る作者の渋面が浮かんでくるではないか
余寒 この一語が待春の景にも通じている
(小林たけし)

余寒(よかん)は、寒が明けてからの寒さを言う。したがって、春の季語。「ごみ箱」には、若干の解説が必要だ。戦前の東京の住宅地にはどこにでもあったものだが、いまでは影も形もなくなっている。外見的には真っ黒な箱だ。蠅が黒色を嫌うという理由から、コールタールを塗った長方形の蓋つきのごみ箱が各家の門口に置かれていた。たまったゴミは、定期的にチリンチリンと鳴る鈴をつけた役所の車が回収してまわった。当時は紙類などの燃えるゴミは風呂たきに使ったから、「燃えないゴミ専用の箱」だったとも言える。句の情景については、作者の娘である室生朝子の簡潔な文章(『父犀星の俳景』所載)があるので引いておく。「炭屋の大きな体格の血色のよいおにいちゃんが、いつも自転車で炭を運んできていたが、ごみ箱のそばに菰を敷いて、桜炭を同じ寸法に切るのである。(中略)煙草ひと箱ほどの寸法に目の細かい鋸をいれて三分の一ほど切ると、おにいちゃんは炭を持ってぽんと叩く。桜炭は鋸の目がはいったところから、ぽんと折れる。たちまち形のよい同じ大きさの桜炭の山ができる。その頃になると、書斎の大きな炭取りが菰の隅におかれる。おにいちゃんは山のように炭取りにつみ上げたあと、残りを炭俵の中につめこむのである。炭の細かい粉が舞う。……」。『犀星発句集』(1943)所収。(清水哲男)

【炭】 すみ
◇「木炭」 ◇「堅炭」(かたずみ) ◇「白炭」 ◇「備長」(びんちょう) ◇「炭挽く」 ◇「粉炭」 ◇「佐倉炭」
樹木の幹、枝を蒸し焼きにしてつくった燃料。楢、樫などがつかわれる。

例句 作者

しづけさに加はる跳ねてゐし炭も 鷹羽狩行
炭つぐや静かなる夜も世は移る 五十嵐播水
遊ばせて置く手淋しく炭をつぐ 遠藤はつ
炭の香のたつばかりなりひとり居る 日野草城
桜炭明治の言葉うつくしき 古賀まり子
学問のさびしさに堪へ炭をつぐ 山口誓子
炭ついで火照りの顔を旅にをり 森 澄雄
核心に触れぬ話や炭をつぐ 安部悌子
炭火の世美しくまた寒かりし 滝 春一
更くる夜や炭もて炭をくだく音 蓼太
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上物と聞けばいそいそ紅葉鍋 たけし

2020-01-23 | 入選句


上物と聞けばいそいそ紅葉鍋 たけし



朝日新聞 栃木俳壇に石倉夏生先生の選をいただきました

紅葉鍋は「鹿鍋」

上物を捌いたとの知らせを聞けば

すぐさまにその場に出かける



めったにない至福の時間が到来する

何人かの友人が集いお定まりの夕餉になる



いしいしは約束された味覚の誘惑だあけでもない
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大寒や転びて諸手つく悲しさ 西東三鬼

2020-01-21 | 今日の季語


大寒や転びて諸手つく悲しさ 西東三鬼

掲句は老境の私には実感である
諸手で身を守れるのだから
良かったとも思えるがそうではあるまい
転ぶことが悲しいのである
転んだ醜態は人には見られていないのは救いだが
己自身は一部始終を演じているのだと知っている
(小林たけし)


季語は「大寒」。「小寒」から十五日目、寒気が最も厳しいころとされる。あまりにも有名な句だけれど、その魅力を言葉にするのはなかなかに難しい。作者が思いを込めたのは、「悲しさ」よりも「諸手(もろて)つく」に対してだろう。不覚にも、転んでしまった。誰にでも起きることだし、転ぶこと自体はどうということではない。「諸手つく」にしても、危険を感じれば、私たちの諸手は無意識に顔面や身体をガードするように働くものだ。子供から大人まで、よほどのことでもないかぎりは転べば誰もが自然に諸手をつく。そして、すぐに立ち上がる。しかしながら、年齢を重ねるうちに、この日常的な一連の行為のプロセスのなかで、傍目にはわからない程度ながら、主観的にはとても長く感じられる一瞬ができてくる。それが、諸手をついている間の時間なのである。ほんの一瞬なのだけれど、どうかすると、このまま立ち上がる気力が失われるのではないかと思ったりしてしまう。つまり、若い間は身体の瞬発力が高いので自然に跳ね起きるわけだが、ある程度の年齢になってくると、立ち上がることを意識しながら立ち上がるということが起きてくるというわけだ。掲句の「諸手つく」は、そのような意識のなかでの措辞なのであり、したがって「大寒」の厳しい寒さは諸手を通じて、作者の身体よりもむしろその意識のなかに沁み込んできている。身体よりも、よほど心が寒いのだ……。この「悲しさ」が、人生を感じさせる。掲句が共感を呼ぶのは、束の間の出来事ながら、多くの読者自身に「諸手つく」時間のありようが、実感としてよくわかっているからである。『夜の桃』(1948)所収。(清水哲男)

【大寒】 だいかん
二十四節気の一つ。小寒に続く1月20、21日頃からの15日間を云う。陰暦では12月中であり、まさに厳寒の時季。しかし寒くはあるが、空には早春のひかりが宿り始めており、梅の便りも聞こえてくる。

例句 作者

大寒の埃の如く人死ぬる  高浜虚子
馬の顔大寒の日にあたたまる 中里麦外
大寒や水あげて澄む茎の桶 村上鬼城
大寒や小浜しぶとき紙相撲 野家啓一
大寒の犬急ぐなり葛西橋 殿村莵絲子
大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太
大寒の入日野の池を見失ふ 水原秋櫻子
大寒をただおろおろと母すごす 大野林火
大寒の紅き肉吊り中華街 池田秀水
大寒のここはなんにも置かぬ部屋 桂 信子
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溺愛のもの皆無なり冬座敷 佐藤朋子

2020-01-20 | 今日の季語


溺愛のもの皆無なり冬座敷 佐藤朋子

溺愛のものが一つも無い と作者は言う
溺愛の物とはなんだろうと思う
溺愛の物はやはり現役の生活に常時登場しないといけない
暦年のいくつかのシーンに活躍した思い出にもなっている
閑散とした冬の座敷
家族も減っていていつも静かである
淋しい感じもするが「終活」ともなればいよいよ片付けることになる
(小林たけし)


書かれている内容には、どこか寂しいものがあります。確かに若いころには好き嫌いもはっきりしていました。傍からみっともなく見えても、好きになったらその思いを、がむしゃらに相手にぶつけた時期もありました。それが歳を重ねるとともに、好きも嫌いも感覚が磨耗してきて、すべてがほどほどに受け止められるようになってきます。はじめはそんな内容の句だと思っていましたが、どうもそれほど悟りきってはいないようです。仔細に見て行くと、「溺愛」も「皆無」もかなり激しい言葉です。そんなことでいいのかと、自身の心に活を入れているような厳しさが感じられます。それが冬の畳の冷たさに、うまく対応しています。せっかくこの世に生きて、なにひとつ心を奪われるものもなく過ごす日々を、われながら情けないと叱りつけているようです。年齢にかかわりなく、つねになにかに生き生きと惹かれていたいと、この句に励まされもしてきました。『生と死の歳時記』(1999・法研)所載。(松下育男)

【冬座敷】 ふゆざしき
冬らしくしつらえた座敷をいう。締め切った襖、障子に炬燵、火鉢が置かれた部屋。

例句 作者

物置けばくらがり生れて冬座敷 田中灯京
暗澹と島山つらね冬座敷 飯田龍太
泣きに来し子の坐りたる冬座敷 石原八束
冬座敷ときどき阿蘇へ向ふ汽車 中村汀女

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安々と海鼠の如き子を生めり 夏目漱石

2020-01-17 | 今日の季語


安々と海鼠の如き子を生めり 夏目漱石

漱石を知らなければなんとも難解な句となるが
詠んだ頃の漱石の生活をしればかくもありなんと納得する
安々と は妻子の無事に安堵する漱石の気持ちまでの表現にも感じられる
併せて、無事で生まれた長女である。漱石にとってみれば海鼠でも蛸でもなんでも感激なのだった
(小林たけし)

漱石の妻・鏡子は一度流産している。この句はその後に長女・筆子を生んだときのもので、作者の安堵ぶりがうかがえる。人間の子を「海鼠(なまこ)」みたいだとは、いくら何でもひどいじゃないか。そう思いたくもなるのだが、このときの漱石は気もそぞろ。今度は無事に生まれてくれよと、生まれるまで落ち着けなかった。当時は自宅出産だから、家の中を襖越しにただうろうろするばかりの男としては、元気な産声を耳にし、生まれたばかりの赤子を見せられて、ほっとしたあまりに思わずも本音が出たというところだろう。人間、安心すると、「なんだ、たいしたことなかったじゃないか」との安堵感から、憎まれ口の一つも叩きたくなるものなのだ。言い換えれば、普段通りの心の余裕のある顔つきで表現したくなってしまう。この句はそういう産物で、それまでの狼狽ぶりが書かれていないだけに、かえってそれをうかがわせる何かがあるではないか。漱石先生の頭は隠されているけれど、尻は立派に出てしまっているのだ。今日はキリストの誕生日。誰もそんな想像はしないだろうが、彼もまた、海鼠のように生まれてきたのかしらん。ところで「海鼠」は冬の季語だが、筆子の誕生は五月だった。したがって揚句は夏の句ないしは無季に分類すべきなのだろうが、歳時記の便宜上「冬季」に置いておきたい。この句に限らず、歳時記の編纂には、しばしばこうした悩ましさがつきまとう。坪内捻典・あざ蓉子編『漱石熊本百句』(2006・創風社出版)所収。(清水哲男)

【海鼠】 なまこ
◇「海鼠突」 ◇「海鼠舟」 ◇「海鼠桶」
ナマコの古名は「こ」。そこで「なまこ」は生のもの、「いりこ」は火にかけたもの、「ほしこ」は天日干ししたもの、「このこ」は卵巣を干したもの、「このわた」は腸の塩辛、ということになる。ナマコは、触手で泥ごと口に入れ、有機物だけを消化吸収し、泥は肛門から排泄するという。このようにふにゃふにゃとした得体の知れない動物を、よくぞここまで食用にしたものだと感心する。

例句 作者

珠洲の海の高波見るや海鼠かき 前田普羅
海鼠みてまじまじと見て男去る 瀧川照子
腸ぬいてさあらぬさまの海鼠かな 阿波野青畝
身に余る竿あやまたず海鼠舟 高崎武義
海鼠切り大海の水流れ出づ 蓬田紀枝子
海鼠桶昏さは海につながりぬ 福島 勲
なまなかな傾きならず海鼠舟 大野崇文
底といふ落着きにをり大海鼠 津森延世
心萎えしとき箸逃ぐる海鼠かな 石田波郷
生きながら一つに氷る海鼠かな 芭蕉
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寒卵煙も見えず雲もなく  知久芳子

2020-01-16 | 今日の季語


寒卵煙も見えず雲もなく  知久芳子

煙も見えず雲もなく
これが軍歌の一節と知る人はもはや少ない
俳句は時代を切り取るという側面をあらためて知ることとなった
見事な寒卵に現代の私たちは何を思い浮かべるだろうか
(小林たけし)

季語は「寒卵(かんたまご)」で冬。寒中の鶏卵は栄養価が高く、また保存が効くので珍重されてきた。が、いまどきの卵を「寒卵」と言われても、もはやピンとこなくなってしまった。割った具合からして、いつもと同じ感じがする。それはともかく、掲句の卵は見事な寒卵だ。黄身が平素のものよりも盛り上がり、全体に力がみなぎっている様子がうかがえる。まさに一点のくもりもなく、椀に浮いているのだ。それを大袈裟に「煙も見えず雲もなく」と言ったところに、面白い味が出た。このときに「煙も見えず雲もなく」とは、あまりにも見事な卵の様子に、思わず作者の口をついて出た鼻歌だろう。というのも、この中七下五は、日清戦争時の軍歌「勇敢なる水兵」の出だしの文句だからだ。佐々木信綱の作詞。この後に「風も起こらず波立たず/鏡のごとき黄海は/曇り初めたり時の間に」とつづく。八番まである長い歌で、黄海の海戦で傷つき死んでいった水兵を讚える内容である。内容の深刻さとは裏腹に、明るいメロディがついていて、おかげでずいぶんと流行したらしい。しかし、作者は昨日付の宗因句のように、パロディを意識してはいない。したがって、好戦や反戦とは無関係。卵を割ったとたんに、ふっと浮かんできた文句がこれだった。すなわち鼻歌と言った所以だが、歌も鼻歌にまでなればたいしたものである。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)

【寒卵】 かんたまご
◇「寒玉子」
鶏が寒中に産んだ卵のこと。卵はもともと滋養に富んでいるが、特にこの時期のものが良いといわれている。

例句 作者

ぬく飯に落して円か寒玉子 高浜虚子
寒卵二つ置きたり相寄らず 細見綾子
寒卵割る一瞬の音なりき 山口波津女
わが生ひ立ちのくらきところに寒卵 小川双々子
寒卵わが晩年も母が欲し 野澤節子
寒玉子一つ両手にうけしかな 久米三汀
寒卵割れば直ちに自転かな 星野紗一
母の世や病気見舞に寒卵 古賀まり子
寒卵薔薇色させる朝ありぬ 石田波郷
塗椀に割つて重しよ寒卵 石川桂郎
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夕時雨モンローウオークホ短調 たけし

2020-01-15 | 入選句


夕時雨モンローウオークホ短調 たけし



朝日新聞 栃木俳壇 石倉夏生先生の選をいただきました



三浦岬での吟行で遭遇した

ご婦人の軽やかな足取りは

おりからの時雨にひるむことなく

唄うリズムのようでした



(今年は新聞俳壇への投句はA紙のみと決めています)

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夕暮を惜む隙なし冬げしき 支考 

2020-01-13 | 今日の季語


夕暮を惜む隙なし冬げしき  支考 

この季節の日暮れは最も早い頃である
空気のピンと張った人影のない景は山でも海でも
はたまた街中の灯が点る間際でもよい
はっとする美しい瞬間を作者は観ている
その景を凝視するがすぐさま闇につつまれてゆく
それを「惜しむ隙なし」と言い切った
(小林たけし)

【冬景色】 ふゆげしき
◇「冬の色」
荒涼とした冬の景色全般を指す。草木の枯れ尽くした野山や森、寒々と流れる川や凍りついた池沼、物寂しい冬の浜辺や岸壁に押し寄せる冬浪等々、様々な冬の景色がある。
例句 作者
冬景色はなやかならず親しめり 柴田白葉女
冬景の天のつつしみ地のみだれ 長倉閑山
川中に川一すぢや冬げしき 暁台
息ほそく来し階上の冬景色 ?(はた)こと
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追伸はどれも繰り言十二月 たけし

2020-01-12 | 入選句



追伸はどれも繰り言十二月 たけし



11日 日経新聞俳壇の茨木和生和生先生の選をいただきました

昨年途中からの投句で



戦には欠かせぬ軍手草茂る たけし



を一度だけ採っていただきました



今年からは新聞俳壇への投句は自粛のつもりなので

これが最後の掲載句

よいケジメになった感じです
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